■決心1-2■
その日、厚い雲に覆われた気分の晴れない天気の朝、ヲタはいつもより早く登校し、プリクラの靴箱の中に「果たし状」を入れた。
「放課後、屋上にて。 指原」
古くさいやりかただったが、ヲタにはこんな方法以外思いつかなかった。相手の都合も考えずに投函してしまったが、まあヤンキーの放課後の用事なんてたいしたことであるわけがない。きっとプリクラは現れるだろう。
ヲタはまだだれも来ていない靴箱の並ぶ玄関から、やや早足で逃げるように離れた。もう、これで後戻りはできない。やるしかねぇ。ヲタの脚は心なしか震えていた。
ヲタはそのあと、登校してきたチームホルモンの仲間を集め、今日の夕方、プリクラとタイマンをはることを告げた。
初耳のアキチャとウナギは、ヲタが決心を伝えると顔を見合わせ、とまどいと喜びの混ざったような表情を見せた。ヲタにはそれがどういう意味を持つものかはわからなかったが、特になにも聞きはしなかった。
昼休みを迎えるころ、教室の窓ガラスにはぽつぽつと水滴が付くようになった。
「天気予報、はずれたな」バンジーが外を見上げて言うと、ムクチが何度も頷いた。「どうすんだよ」
せっかく決心をしたのだ。このくらいのことでやめるわけにはいかない。今日を逃したら、もう心が折れてしまう予感がする。
「関係ねぇよ」ヲタは答えた。
六時間目が終わるころ、雨は傘なしでは歩けないくらいの本降りになっていた。
それでもヲタは屋上に向かった。
ついてこいと言わなくても、チームホルモンのメンバーたちはヲタのあとに続いた。ヲタの気持ちを察してくれたのだろう。あるいはもう言っても聞かないという、あきらめの気持ちもあったのかもしれない。
階段を上る一歩一歩が重かった。後悔も少しあった。どうしてプリクラと戦うなんて言ってしまったのか。勝てるかどうかもわからないのに。いや、今回に限ったことではない。昔からそうだった。勢いでものを言ってしまい、必ずあとから後悔する。
チームホルモンでサマーランドに行ったとき、全員でバンジージャンプをすることになった。発案者はもちろんバンジー。自分以外の四人は怖がりながらも飛んだが、ヲタはどうしても飛べなかった。ジャンプ台までは登れるものの、あと一歩が踏み出せない。安全だとわかっているが体が動かない。脚を前に出そうとしても、体が意志に逆らう。リーダーとしてみっともないところは見せられないと思えば思うほど、体はこわばり、喉がからからになり、手のひらと脇の下にはべっとりと汗が滲む。
飛べなかった悔しさと自分に対する怒りで、ヲタはみんなの前で「リベンジする」と大見得を切った。
特訓もした。まずは椅子の上から、次に机の上から、そして最終的には体操部が使うマットを体育館の床に敷き、壁沿いのキャットウォークから飛び降りるところまで成功した。
ところが一ヵ月後、再びサマーランドを訪れたヲタは、またしても飛べなかった。驚くべきことに、恐怖は倍加していた。「飛ぶ」ことを経験したヲタの脳は、一ヶ月前の無知な状態よりも詳細なシミュレーションが可能になっていたのだ。バンジーが手本を見せるためにまた飛んだが、ヲタはもはや階段を登ることさえできなかった。飛べなかったことよりも、軽々しくリベンジを口にした自分が腹立たしくて、ヲタは「男泣き」をした。
そんなヘタレな自分でも、チームホルモンのみんなは認めてくれている。
だから、もう逃げない。ヲタにはチームホルモンがいる。バンジーリタイアのときと今回は事情がちがう。リーダーとして情けない姿を、これ以上見せるわけにはいかない。そして勝たねばならない。
でも、負けたら?
チームは解散。四人と一緒にいられるのも今日限りだ。四人がそのあとどうするかについても考えてある。みんながそれを受け入れるかどうかはわからないが、ヲタはそうしてほしいと思っている。考えに考えて、四人のためを思って出した結論だった。
だが、それは負けた場合の話だ。勝てばいい。勝てばすべてがうまくいくはずだ。朝日にぼろぼろにされた自信も、少しは回復できるだろう。そしていずれは朝日に再戦を挑みたい。
一番の問題は、プリクラだった。ヲタはあえて、「果たし状」をプリクラが読んだかどうかを確認していない。もしかしたらプリクラは今日は休みかもしれないし、ゴミだらけの靴箱に入っている「果たし状」に気づかなかったかもしれない。あるいはいたずらだと思って中も見ず、その場で破って捨ててしまったかもしれない。
屋上への扉の前で立ち止まり、ヲタは物憂げに言った。「あいつ、来るかな?」
「さぁな」バンジーがつぶやくように言った。
扉を開けると、降り注いだ雨があちこちに水たまりを作っていた。外に出て、ひさしの下で立ち止まる。寒くないのが救いだった。頬にかすかにかかる雨が気持ちよかった。
「――ヲタ」アキチャが、数日ぶりにヲタの顔を見た。「本当にやるのか」
「もちろんだ」
「なんのために?」
「チームホルモンと、おれ自身のためだ」
「あたしとウナギのせいか?」
「それもある」
「じゃあ言っておく。あたしたちはおまえを嫌いになったわけじゃない」
アキチャの言葉に、ウナギが深く頷いた。そして今まで溜まっていたものを一気に吐き出すかのように、ウナギはしゃべりはじめた。「朝日に負けて以来、おまえはおかしくなっちまった。井の中の蛙だってわかっちまったからな。でもな、ヲタ。井の中の蛙でもいいじゃねぇか。あたしらはマジ女のテッペン獲ろうなんて思ってもねえ。自分の力はわかってる。その証拠に、前田にもゲキカラにも負けた。ゲキカラに鉛筆突っ込まれたおまえを見て、あたしは心底ビビったよ。あんなことができなきゃ、テッペンなんて獲れねえ。あたしらにはあそこまではたどり着かねえよ。あたしらとラッパッパの連中は、人間の格がちがう。良くも悪くも」
ウナギの言うことはもっともだった。自分たちにそこまではできない。ゲキカラに襲われたとき、ヲタはそう確信した。ケンカは数え切れないくらいして、数え切れないくらい勝ったり負けたりしたが、命を失うかもしれないと思ったのはあれが初めてだった。
テッペンに立つためには理性と狂気を同時に宿せなければならない。単純な強さだけでいえば、大島優子とサドよりも、ゲキカラのほうが上だろう。しかし、ゲキカラには狂気しかない。それではテッペンには立ち続けられない。
リーダーには資質が必要なのだ。
そして自分にそんなものはない、とヲタは思う。
ウナギが続ける。「だけどな、テッペンを目指すばかりが人生じゃねえ。二番手三番手に甘んじるってのも、ひとつの選択肢だ。ま、あたしたちは十番手くらいだろうけどな」
「おめえの悩みは分不相応なんだよ」アキチャが言った。「うちらなんて所詮、ホルモン喰って、駄話して、ときにはケンカしたり仲裁したりってだけの存在だろ。華やかなラッパッパとはちがうんだ。なのにおまえは、朝日に負けたことでうじうじしやがって。うちら二人はそういうおまえに、ちょっとだけ愛想が尽きたんだよ」
ウナギが頷いた。「でも、さっきも言ったが、嫌いになったわけじゃねえ。気づいてほしかった。おまえはおまえでいいって……」
「――だったら」バンジーがさえぎるように言った。「そう言えばいいだろう。黙ってたらわからねえよ」
「それは反省してる」ウナギは目を伏せた。「でも、あのときは怒りのほうが強かった」
ヲタは嬉しかった。二人はチームホルモンを捨てたわけでも裏切ったわけでもなかった。
ふと、かたわらで、すんすんと鼻をすするような音がした。振り返ると、ムクチが泣いていた。
「おまえ、なんで泣いてんだよ」ヲタはおかしくなって、少しだけ笑いながら言った。
「こんなことで泣くんじゃねえよ、ヤンキーが」バンジーも笑っていた。
「ごめんよ、ムクチ……」ウナギがムクチを抱きしめた。「もう、どこにもいかねえから安心しろ」
どこにもいかねえ――か。ヲタは心の中で、そうつぶやいた。
そのときだった。
階段の踊り場に最初に現れたのは、純情堕天使のメンバー中もっとも背の低いマユミだった。続いてナツミ、サキコ、トモミ、ハルカが立ち止まり、そしてプリクラは最後にゆったりとやってきた。
空気が変わった。触れることができるなら、そうした瞬間に砕けてしまいそうなほど、緊張が張り詰めた。
「大雨じゃないですか」プリクラが言った。「晴れてるときにしましょうよ」
いよいよ、この瞬間が来た。
もう逃げられない。
かすかに震える脚を意識しつつ、ヲタは声を振り絞った。「一日でも早く、てめえとケリをつけたいんだよ」
「私にはそんなことする必要ないんですが……まあ、それで気がすむんならやってあげますよ」
プリクラは今度は先頭に立ち、ゆっくりと階段を登ってきた。
【つづく】
・某テレビドラマのパロディ小説です。パロ嫌いな人は読まないでね。
・あとから矛盾とか出てきたらこっそり書き直します。
・著者の上戸に格闘技経験はないので、おかしな箇所があったらこっそり教えてください。こっそり書き直します。