■純情堕天使-2■
うめ子はふらふらと、本当にゾンビのような歩調で歩き出した。その動きがあまりにもゆっくりだったためか、先鋒のバンジーたちは呆気にとられたように見つめていた。
マユミは気を引き締めた。こういう相手と闘った経験はないが、一番大切なのは呑まれないことだ。あくまでもこちらのペースを維持しなくてはいけない。
今にも倒れそうな歩みのうめ子は、部屋の隅へと移動した。そして、その暗がりから長物を取り出した。うめ子はそれを持ち上げず、ごろごろと音を立てて引きずった。
古びた木製のバットだった。
闘いの始まりだ。
まずはバンジーがうめ子に襲いかかった。
バットのリーチを警戒しつつ、長い脚を伸ばし、うめ子の真正面から顔面を狙った。それは鈍い音を立てて、狙い通りの場所に命中した。
「――やったっ」
マユミは思わず小さく叫んだが、うめ子は顔に止まったハエをはらうようなリアクションを見せただけだった。
だが、うめ子の鼻の穴から、つーっと血が流れ出した。うめ子はそれを舌ですくうように舐めとって、満面に笑みを浮かべた。
「こいつ……」バンジーが呆気にとられたようにつぶやいた。
続いて、アキチャがアメリカンフットボールのタックルのような姿勢で突撃した。うめ子がバットを振り回しても、その下をかいくぐれるような低い姿勢だ。
アキチャの目論見は成功した。バットを握って間もないうめ子は、アキチャを止めることができず、右斜め前からもろにタックルを食らい、ゾンビみたいに脚をふらつかせた。
アキチャがうめ子から離れると、チームホルモンの次の一手が迫った。
ウナギがうめ子へ向かっている。間髪入れない連続攻撃はチームホルモンの得意とする戦法のようだ。
プールに飛び込むような姿勢のウナギは、うめ子のやや太目の脚を捕まえにいった。相手を転ばせ、凶器を無力化するつもりだろう。
ウナギは一瞬でうめ子の脚を捕らえた。
――が、突然ウナギは悲鳴を上げて、もんどりうった。
うめ子がバットを、ウナギの頭の上から叩きつけたのだ。
それはまるでボーリングの杭を打ち込むように力強かった。顎から床に落ちたウナギは頭全体を、両手で覆うように押さえた。頭皮のどこかから出血しているらしく、ウナギの両手がみるみる血に染まった。
ムクチはそのウナギの姿をちらりと見やって、うめ子の間近に迫った。友を助けるのも友情にはちがいないが、今は冷静な判断を下すときだ。ムクチという女、今まで一言も声を聞いたことがないが、なかなかのいくさ人かもしれない。マユミは感心した。
ムクチはうめ子の胸元めがけ、肘を突き出した。それはうめ子の胸のふくらみの下を直撃した。
――が、うめ子は一瞬苦痛に顔を歪めたものの、すぐに不気味な笑みを浮かべた。
バットがムクチの顎を、下から突き上げるように垂直に強打した。
ムクチはそのときに及んでも、声を上げなかった。聞こえたのはバットが顎の骨に当たる、ゴンッという鈍い音だけだった。
ムクチはウナギの体の上に、覆いかぶさるように倒れた。白目を剥いている。気を失ったようだ。
「てめぇ、よくも……ッ」
アキチャが突撃した。今度はタックルではなく、相手の懐に入ってのパンチだった。
バットのような長物の武器は射程距離が長い分、接近戦では不利になる。相手と一定の距離を保っていないと意味がない。アキチャの攻撃は、理にかなっている。
が、ウナギとムクチを倒された怒りを乗せたアキチャのパンチは大振りで、相手に回避の時間を与えてしまった。このあたりが、冷静なバンジーとのちがいなのだろう。
酔拳のようにふらふらと動くうめ子だが、避ける動作だけはすばやい。アキチャの攻撃をかわしたうめ子は、バッドを槍のように持ち替え、グリップの先端をアキチャの顔面に、刺すように突いた。
それはアキチャの鼻柱に命中した。アキチャはそれでもふんばり、倒れなかった。
しかし、顔面への攻撃に耐えるのが精一杯だったアキチャに、もはや攻撃する余裕はなかった。
「ヒットエンドラーンッ」
うめ子が楽しそうに叫ぶと、典型的なダウンスイングで振り下ろされたバットが、アキチャの右脚の脛に命中した。元々の硬さに遠心力が加わったバットには、大腿骨に次ぎ二番目に長い脛骨を叩き割るかのような勢いがあった。
弁慶の泣き所を直撃されたアキチャは絶叫し、今度こそ倒れた。
バンジーが最初に蹴りを放ってから、三人が床に倒れるまでは三十秒とかかっていなかった。
バンジーは攻撃の手を休め、うめ子から距離をとった。これも冷静な判断だ、とマユミは思う。闇雲に攻撃するだけでは、この女は倒せない。
そのとき、室内にぱちぱちと、気のない拍手が響いた。
まいぷるだった。
いつの間にか焼き鳥の串をくわえている。レバーのようだ。まいぷるはそれを口にしたまま拍手を続けた。「ふごーい、ふめ子ぉ……」
マユミはこの女に苛立った。てめえはなにもせず、ただ黙ってみているだけ。しかもふざけた態度で。
――あとでぶっ潰す。
「バンジーさん、残念です」それまで静観していたプリクラが口を開いた。「チームホルモン……使えるのはあなただけのようですね」
「人を、使えるとか使えねえとか言うな」
「言葉のあやですよ、バンジーさん」プリクラは笑顔だった。「もう、チームホルモンのステージは終わりました。下がってください」
「まだ、あたしは立っている」
「根性じゃ倒せないですよ、うめ子さんは」
「ちょっとぉ……」まいぷるがあきれた口調で言った。「仲間割れするならやめる?」
「そうですね。失礼しました、まいぷるさん」プリクラは苦笑した。「ところで、まいぷるさんはやらないんですか?」
「私は保護者だから見学で」まるで体育の授業を休むときのような、軽い口調でまいぷるは言った。「こんな地下じゃ、私の能力使えないし」
まいぷるがどんな能力を持っているかはわからないが、そんなことは関係ない。マユミはうめ子のあとで、この女も倒すつもりだった。
「最初は、たった二人を相手にするのは気が引けましたが……どうやら、そんな配慮は無用でしたね。うめ子さん、すばらしいですよ。相手にとって不足なしです。しかも武器を持っている。だったら、こちらも良心の呵責を感じず暴れられます」
プリクラは純情堕天使のメンバーをぐるりと見た。
マユミとも目が合った。
――全員、行け。
プリクラの、怒りに燃えた瞳がそう言っていた。
マユミもみんなも頷いた。
ひさしぶりの実戦だ。一歩前に出ると、武者震いがした。
ナツミ、サキコ、トモミ、ハルカの四人もマユミに並んだ。
マユミは極真空手の基本の構え、三戦立ちをしてうめ子を見つめた。
【つづく】