■胎動―4の2■
作業の分担は一階の正面玄関付近に来る途中で自然と決まった。ジャンボとライスが計測をし、アニメがそれを記録し、昭和がそれらの作業を俯瞰で見つつ指揮を執ることになった。
ジャンボが平松可奈子から渡されたのは、工事現場で使われるような無骨なデザインのメジャーで、生徒会の備品だった。
「それじゃあ、早速始めるよ。ジャンボ、ライス、まずは横幅から……」
昭和が平松可奈子から受取った図面を広げた。
ジャンボがメジャーのテープを引き出し歩き出すと、突然アニメが口を開いた。「――あのさ。みんな……」
思いつめた末の、決意に満ちた声だった。
「なに、アニメ?」ジャンボは訊いた。
「ちょっと気になることがあるんだけど、正直に答えてね。あと、このことは私たちアンダーだけの秘密にして。だれにも言わないでほしいの」
「なによ、アニメ。わたしたちの仲じゃん」ジャンボは肘でアニメをつついた。「わたしはいつでも正直だし、だれにも言わないよ。ねえ?」
ジャンボは昭和とライスに同意をうながした。二人は即座に頷いた。
「いちいち言わなくたって大丈夫。この四人の話しが漏れたことある?」ライスは寛大な母のような笑顔になった。
「心配しないで、おばちゃんに言ってごらん」昭和はアニメの肩を背後から抱いた。
「あんた、さっきは年増って言われて怒ったでしょ」ライスがツッコミをいれた。
「ごめんね、こんなときに急に言い出して……」薄い色のサングラスの向こうにある黒目がちの瞳が細くなった。「あのね、こんなことサドさんに聞かれたらシメられちゃうだろうけど、みんなはアリジョに勝てると思う? 怖いんだよね、私……」
緊張が走った。
口にしてはいけない問いかけだった。
しかしそれはジャンボも漠然といだいていた不安だった。ライスと昭和も黙りこんだ。多かれ少なかれ二人もそう考えていたということだ。
ジャンボはあたりを見回し、アンダーガールズ以外にだれもいないことを確認した。「うちらが――マジジョが負けると思って……る?」
「厳しいんじゃ、ないかなって……」
マジジョの名だたるヤンキーたちが連戦連敗し、さらに四天王まで歯が立たなかったことを考えると、アニメの不安もあながち杞憂ではない。
「でもさ。だからなんとかしようって、こうしてみんなでやってんじゃん」ジャンボは、これはアニメに対してというより自分に言い聞かせているのだと自覚していた。「大丈夫。どうにかなるって……てゆーか、どうにかしないといかんでしょ?」
「もちろんわかってる。わかってるよ。でも、そのために私たちになにができるのかな……」アニメはうつむいた。「前からずっと思ってたんだけど今回のことで、より強く感じたの。私たちってラッパッパに必要なのかなって……」
「そんなことな――」
「ごめん、ちょっと私の話を聞いて」アニメはジャンボの言葉をさえぎった。「優子さんはマジジョに入ったときから頭角を現していて、二年ではすでにサドさんを脅かす存在になってた。私たちが優子さんとは根本的にちがうってことはわかってる。だれもが優子さんになれないってこともわかってる。でも、私たちはもうすぐ進級して二年になる。で――どう? 私たちはなにかやった? アンダーガールズとして爪あとを残せてる? 残せてないよね、だって私たち、アリジョに狙われてないもん」
ハッとした。
マジジョのヤンキーたちが次々とアリジョの刺客に襲われていく中、アンダーガールズの自分たちは平穏に暮らしていた。アリジョの襲撃リストに入っていないのだ。
取るに足らない連中。
いてもいなくてもいい存在。
その他大勢。
そう思われているにちがいない。
いままでも、ラッパッパの正式なメンバーでありながら、四天王と一緒にいても「あれだれ?」、「あんな子いたっけ?」と言われたことは一度や二度ではない。
「私は悔しいの。あたしたちだって、アンダーガールズとはいえラッパッパの一員なのに……。私たちなんて存在価値ないんだよ……。だからこんな雑用みたいな仕事をさせられてるんだよ……」
「アニメ、それはちがうわ」昭和がアニメの真正面に立った。「たしかにわたしたちはまだまだ実力不足かもしれない。けど、だれもが優子さんやサドさんみたいになる必要はないと思う。あんなに飛びぬけた才能の先輩たちに憬れこそあっても、追いつくなんて絶対無理。だからなにもしなくていい、今のままでいいって言ってるんじゃないわ。わたしたちにはわたしたちの役割があって、きっといつかだれかのために身を捧げるチャンスがあるってこと。少なくとも、わたしはそのために日々、努力をしてる。どこかでだれかがそれを見て、わかってくれてるって信じてるから」
そうかもしれない。ジャンボは思う。ラッパッパのリーダーやサブリーダー、そして四天王という響きはマジジョの生徒ならだれもが目指す場所だ。しかし、そこに就けるのはたったの数名。そしてその人物は入学当時から異彩を放っているものなのだ。
努力では到達しえない場所がある――昭和はそう言いたいのかもしれない。
「――あたしも似たようなこと考えてた」ライスは笑顔を作った。「あたしたち、なんなんだろうって思ってた。みんなでケンカをしたときも真っ先にやられるし、優子さんやサドさんや四天王たちに助けてもらうことばっかり。単なる賑やかしじゃないかって。けどね、あたしたちはそれでもラッパッパのアンダーガールズなの。アンダーといったって、ラッパッパの一員なの。優子さんに実力を認められた。それなのに腐ったってしょうがないじゃない」
「腐ってなんかいない」アニメはかぶりを振った。「ただ、悔しくて情けなくて……」
アニメの気持ちもわかる。昭和もライスもわかっているはずだ。
四人は二軍だ。いや三軍かもしれない。
三軍よりは二軍が、二軍よりは一軍がいいに決まっている。バリケードを作る裏方より、表舞台で派手に暴れまわりたい。
けれども、だれもがホームランを打てるわけではない。ゴールを決められるわけではない。バントをしたり、パスをしたりする役目の人間がいなければ、ゲームは面白くない。
自分たちの役割はそれだ、とジャンボは思う。そして、小さな貢献でもだれかが見ていて、その人は自分たちを本当に評価してくれる。
ジャンボにとってはそれがサドだった。
初めてサドに抱かれたのは、矢場久根女子高校との小さないざこざがあった夏の日だった。サドが一瞬の隙を突かれそうになったとき、ジャンボはサドを襲ったヤバジョの生徒になかば反射的に強烈なフックをお見舞いしてやった。その一発はケンカ全体の流れの中ではたいして価値のあるものではなかった。しかしジャンボがそうしなければサドはどうなっていたかわからない。
「さっきは助かった。礼を言う」マジジョの部室に戻るとサドはそう言い、ジャンボをソファに押し倒した。
唇が重なると、ジャンボはその甘さに痺れた。脳が肉体からのすべての信号を快感として認識した。めくるめく夢のような一夜だった。いまでもあのときのことを思い出し、ジャンボはひとり、小さな胡桃を弄ぶこともある。
――自分がいたことは無駄じゃなかった。
あの夜、ジャンボはサドにそう教えられたのだ。
「アニメの気持ちわかるよ……」ジャンボはアニメの肩を抱いた。「でも、わたしたちのやってることって、そんなにつまんないことかな? 地味で目立たないし、だれもわたしたちがやったなんて意識してくれないだろうけど、わたしたちがいまここでやらなかったらだれかが代わりにこれをやることになるんだよ? そのほうが悔しくて情けないことだと、わたしは思う。だれかがやらなくちゃいけないことなら、わたしたちがやろうよ。実際にケンカするだけが戦うってことじゃない。チームフォンデュが医薬品を買出しに行くことだって、バリケードを作ることだって立派な戦争だよ。わたしたちは拳じゃアリジョに勝てないかもしれないけど、あのバリケードがあったから勝てたって言われるようなの作ろうよ。それはきっと、わたしちにしかできないことだから」
ジャンボはメジャーを、アニメだけではなく、みんなに示した。
「だねっ」昭和が頷いて、メジャーに手を乗せた。チームアイドルがライブ前に円形に集まってするパフォーマンスのようだった。「アリジョのやつらが入れないくらい、すっごく頑丈なの作ろっ」
「うん」ライスもメジャーに手を重ね、そして微笑んだ。「あたしたちだって立派なラッパッパの一員だって、みんなに示そう」
「さ――アニメ……」ジャンボはアニメを見た。
アニメは顔を上げ、昭和、ライス――そしてジャンボの順番で見回した。三人はアニメと目が合うと頷いた。
アニメの小さな手のひらがみんなの手と重なった。
【つづく】