■胎動―9■
サドはまんじりとした夜を送っていた。
タイマン部屋のベッドに寝転がり、天井を見つめる。もう二十四時間近く起きている。明日のために眠らなければと思うのに、睡魔はまったくやってこない。ブラックが入れてくれたココアの覚醒作用だけが原因ではないだろう。トリゴヤを抱けば少しは疲労して眠りやすくなるかもしれないが、そんな気分にはなれなかった。
前田敦子と拳を交わしたあの闘いが高校生活最後の『マジ』だった――そのはずなのに、まだ自分の存在を賭けて闘うことになったのだ。
うれしかった。
優子がそばにいないのだけが残念だが、ヤンキー魂を持つ一人の女として、サドはそのこと自体は歓迎すべきことだと考えている。最後の最後に、しかも全校生徒とともに本気で暴れることができるのだ。
だが、眠れないのはそうした興奮だけが原因ではなかった。
先ほど、峯岸みなみの案内で校内をまわったときから、サドは強い疑念にとらわれていた。想像以上に高いバリケードの完成度、臨時の「野戦病院」となった体育館に積まれた医療用品の箱の山、教室や廊下やトイレなどで自主的に格闘戦の訓練をするたくさんの生徒たち――本来、それらは不安をかき消してくれる風景のはずだった。しかし、サドの思いはちがった。
なにかをしくじっている気がする。それも、この作戦の根幹を揺るがすような大きなミスを、だ。その正体がなんなのか、サドにはわからない。だからサドはいらだち、不安を膨らませ、恐怖を感じていた。考えても意味のないことはわかっている。不安の正体がわからないかぎり、対処のしようがない。矛盾するが、ここに優子がいてくれれば、と思う。優子ならそのミスをたちどころに指摘してくれるはずだ。
だが、優子はいない。優子は知らない。
サドは考えるのをやめた。
大きく息を吐き、そして無駄かもしれないと思いつつ、まぶたを閉じた。
ヲタは寝袋の中で体を丸め、横向きに寝転がった。
この修行も明日で終わり――かたわらにいる鬼塚だるまの寝息を聞きながら、ヲタはこの数日間のことを思い出していた。
何度もくじけそうになった。最初は階段のキツさに、そのあとはだまるの打撃の痛さに、そして最後はみずから攻撃を加えるという恐怖に……。
しかし、自分はまだ、ここにいる。
逃げ出さなかった。
勇気の萌芽は確実に芽生えている。それはこの数日間でだるまと育んだ、もっとも大きな成果のひとつだった。
「オレの好きなマンガに、こんな言葉があるんや」だるまが寝る前に言っていたことを、ヲタは思い出した。「ゆるくねぇ時に泣く奴は3流。歯食いしばる奴は2流だ。笑え……果てしなく。そいつが一番だ――ってな。ええ言葉やろ?」
たしかに、いい言葉だと思った。「ああ。おもしれぇな、その発想」
「ヲタ……。おまえは散々泣いてきた。歯も食いしばった。せやから、朝日と会ったら、どうすればいいか――わかるやろ?」
「ああ。もちろんさ」
今ならできそうな気がする。
何週間か前の自分には考えもつかなかったことだ。ダチと離れ、たったふたりで何日間も過ごし、そのあいだ延々とケンカのことばかり考え、実践する。だれかがそれをすると言ったら止めただろう。そんなことできるわけがない。やめとけ、と。
それでも自分はなんとかやり遂げようとしている。いまの実力で朝日と再戦しても勝てるかどうかはわからない。だるまのヒントを元に編み出した必殺の一撃が通用するのか。しなかったらどうするのか。やってみなければわからない。けれども、ひとつだけたしかなことがある。
もう逃げない。
朝日の前に立てば、拳も脚も震えるだろう。あのときの痛打を思い出し、恐怖心がよみがえるだろう。
でも……それでも自分は逃げ出さない。
ヲタは確信を持って言える。
朝日に笑顔を見せるのだ――と。
【つづく】