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本屋に行くたび、競馬本コーナーに寄って自分の本を探す、という行動がパターンになってしまいました。
だからもちろん、売れ行きは気になります。前に書いた、いつも行く本屋さんの書棚には、まだぼくの本が置いてあります。だれか買ってくれないと、いたたまれなくて、自分で買ってしまうかもしれません(笑)。
そんな折、自分の本がどうやって市場に流れているのか気になったので、佐野眞一・著『だれが「本」を殺すのか』を読んでみました。
佐野の本は前にも読んだことがある。『日本のゴミ』とか『東電OL殺人事件』は、とても面白かった。
この本を読んで、ぼくはなぜ、『ダ・ヴィンチ』と『このミステリーがすごい』がムカつくのかがわかった。どちらも安易で、理念がないのだ。まあ、『このミス』の当初にはあったのだろうが、いまではその存在が大きくなりすぎて、もはや身動きが取れなくなっている。『ダ・ヴインチ』は、ただただ流行を追いかけるだけで、この雑誌がなにをしたいのかが見えてこない。もっとも、『リアル鬼ごっこ』文庫版の解説を『ダ・ヴィンチ』の編集長が書いている時点で、この雑誌にポリシーなんてものはない、とわかってはいたけれど。
こういう中途半端な「言論」が、本殺しに一役買っているのだろう。しかしまた、こういうものを「読者」が求めているのも事実だ(前出の『リアル鬼ごっこ』然り)。結局、責任は受け手の側にあるのかもしれない。
昨日も書いたことの続きになってしまうけど、いま本屋の平台に置かれている本のほとんどが「感動」を売りにしている。そのうちの一冊で、テレビでも派手な宣伝をしている本を見てみた。……これは、小説以前の問題じゃないか、と唖然とした。ものの15分もあれば読めそうなスカスカの白いページ。読者の想像力を一切喚起しない貧弱な文体。これがぼくの本より高い値段で売っていて、そしてぼくの本より売れているのだから、バカバカしくもなりますよ(笑)。
出版に携わっている人間は読むべき一冊です。