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wetシーンのある風景その1。『問題のない私たち』

 02, 2006 06:51



 CSの日本映画専門チャンネルでやっていたので見た。
 この映画にwetシーンがあることは知っていた。二年前、『濡れ娘。』でモデルをしてもらっている大野夏希さんと撮影後に寄った、渋谷ブックファーストのマンガコーナーに置かれた小さなテレビで予告編が流されていたのを見た。画面の中では、制服を着た女の子がプールに投げ込まれていた。ぼくはタイトルを覚えておいたものの、あまり見る気にはなれなかった。この映画がいじめを扱ったものだと知ったからだ。
 ぼくの好みでしかないけど、wetシーンには、根本に明るさがあってほしい。女の子が進んで服のままプールに飛び込んでしまうといったシチュエーションが一番好きなのだ。
 もちろん、これは各自の嗜好の問題だから、無理やり濡らすシーンが好き、という人がいてもかまわない。ただ、ぼくはちょっと苦手である、というだけ。
 それなのに、なぜこの映画を見たのか。wetシーンがどうとかこうとかではなく、なんとなく気になっていたからだ(女子高モノが好きってこともあるけど♪)。
 それは主演の黒川芽以の存在感である。
 はっきり言って、ぼくが好きなタイプの子ではない。ぽっちゃりとしているのはいいんだけど、ぼく的にはなにかが足らない……でも気になるのだ。予告編のわずかな時間、それも小さなテレビ画面で見ただけなのに、黒川はぼくの心のどこかに座り込んでいた。
 わざわざ劇場に足を運んだり、ビデオを借りてきて見るほどではない。だからこの映画が、CSで放送されなかったら、ずっと見ないままだっただろう。黒川のことは気にはなっていたとしても。
 映画に限らず、なにかの作品と出会うということは、単なるめぐり合わせに過ぎない。本屋でたまたま目に留まった背表紙が気になり、読んでみたら大傑作だったということもある。理由はない。
 もっと正直に言えば、最初はwetシーンだけを早送りで探すつもりだった。ところが冒頭で女子高の水泳の授業シーンがあったので、早送りせず、そのまま見続けていた。wetだけではなく、おれはスク水も大好きなのだ(笑)。
 そして、wetシーンはすぐに出てきた。プールに放り投げられるのは、ぼくのフェイバリット映画『バトル・ロワイアル』でちょっとだけ登場した美波だった。カメラは遠くから美波を映しているので、服の濡れ感などはまったくない。でも美波が溺れるような感じになるので、窒息フェチの人にとってはツボなのかもしれない。時間的には短い。
 美波は正直、女子高生の顔ではない。年齢の問題ではなく、ハーフの美波が黒川の同級生には見えないのだ。いじめられる役ではなく、いじめる側のほうがよかった気がする。アップになると、いい意味で顔が怖い(いい意味じゃないだろ)。いやいや、ぼくは好きですよ。
 また、この映画を見て始めて知ったのだが、なんと森絵梨佳が出ているではないか。ぼくが森をはじめて意識したのは『仮面ライダー響鬼』だったが、ぷっくりとしたほっぺのかわいい子だ。『響鬼』はいろいろあって途中から見なくなったのだが、本音を言うと、森の成長ぶりだけは見たかったのだ。というほど、ぼくにとって森は気になる存在だった。それが何気に見た映画で再会するとは……(てゆーか、順番逆だけどな)。森はこの映画でいじめっ子の役を演じている(のちの展開でいじめられる側になる)。ぼくはかわいいタイプの女性こそ、こういう役が合うと思っているので、森はハマっていると思った。関係ないが、テレビ版『電車男』の白石美帆もドS役がハマっていて、ぼくの理論を裏づけしていた。
 そして、のちに『パッチギ』で話題となる沢尻エリカも登場する。ぼくは、沢尻にはなにか怖さを感じるので、苦手なタイプだ。でも、この映画の中ではキーポイントとなる役柄で、ぼくの感じた怖さが映し出されている。
 教師役の野波麻帆は『モスラ2』に出たイメージしかなかったので(それは忘れてやれよ……)、最初にこの教師を見たときはだれだかわからなかった。自分は絶対にこの人を知っているのに名前が出てこない、あのどきどきを感じている上に、「女教師」+「メガネ」である。野波はぼくのフェチ心にかなりのインパクトを植えつけた。この教師はトンデモない女なのだが、メガネ姿にやられているぼくは「いや、まあ、いいんじゃない万引きくらい」と思ってしまうのだ(いやいや、ダメですよ。万引きは)。それにしても、こんな役がハマるくらい野波は大人になったのだなぁ、と感慨深い。『モスラ』のころは……(だから『モスラ』の話は忘れてやれよ)。
 そして黒川である。やはり映画の主人公には存在感が必要だ、ということを認識させられた(存在感のない主役、いっぱいいるもんなぁ)。その点に関してだけ言えば、黒川はこの映画で見事に主役を演じていると思う。ぼくの言う存在感とは、その人物がフレームの中に入っているだけで「絵」がかちっとする、ということだ。黒川にはそれがある。
 いじめっ子からいじめられっ子になる役回りというのは、やはりその存在感が重要で、ただかわいいだけでは無理だ。特にこの映画で黒川の役柄は、「いじめの連鎖」を断ち切るものだから、単にいやらしかったりみじめったらしかったりするだけではダメで、どこかに芯の強さがほしい(森絵梨佳がいじめられっ子になったときは、哀れな感じだけが全面に出てしまっている)。そこで黒川の演技力がどうなのかは実はどうでもよく、ただひたすらに「黒川芽以」がそこにいることが必要なのだ。

 ……って、映画の内容についてはなんもなしかよ。


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