■決戦―2■
元チームホルモンの四人は一階へと向かう2年生の殿をつとめ、生徒たちを一階へと誘導していた。篭城作戦の序盤で殿もなにもなかったが、元チームホルモンはラッパッパの命令で2年生たちを統率する役目を担っている。本来はプリクラもここにいるはずだったが、純情堕天使のオリジナルメンバーたちはいまは校庭周辺の巡回をしているはずの時間だった。といっても、アリ女が姿を現したことは知っているだろうから、そろそろ合流できるはずだ。
バンジーがガラスが砕けるような音を聞いたのは、あらかたの生徒たちを階下に誘導し終えたときだった。
「え。もう来たのか?」ウナギが踊り場で立ち止まった。
たしかにいまの音は、投石かなにかでガラスが割れたようにも聞こえた。しかし、ほんの一分前にアリ女の連中はまだ正門の向こうにいた。ガラスを割るほどの攻撃ができるほど近づいたとは思えない。バンジーは混乱しつつあった。階下が必要以上に騒がしいこともそれに拍車をかけた。ケンカの始まる前の高揚感は、逆に人を落ち着かせるものだ。
「まだ校舎の中には入ってきてねえだろ」アキチャがつぶやく。
「行ってみよう」バンジーはみんなをうながし、駆け足で階段を降りた。
叫び声と驚いた声が波のように響いてきた。
一階の廊下が見えた。狭い場所に武装した生徒たちがひしめきあいながら、口々になにかを叫んでいる。それらの断片的な言葉には、「鳥」や「カラス」といった単語が多く含まれていた。
生徒たちの頭上――わずか十センチあまりの高さ――を、黒く大きな鳥が狂ったように翼をバサバサと動かしながら飛んでいる。飛ぶことのできない哀れな人間たちは頭をすくめてカラスとの接触から逃れようとした。しかし満員電車の車内と化した廊下では思うように身動きがとれず、配置されていた百人以上の生徒たちは混乱し、体をぶつけあっている。
「おいっ」だれかの金切り声。「そのカラス、窓開けて逃がせっ」
「ざけんなっ」他のだれかが反論した。「他のやつまで入ってきちまうだろ」
そうしているあいだに、侵入したカラスがひとりの生徒の背後から接近し、後頭部を足で蹴った。マスクをしていた生徒は死角からのカラスの攻撃に、ギャッと叫んで頭を押さえた。それがパニックの引き金だった。その生徒がカラスに攻撃をされるのを見ていた別の生徒が悲鳴を上げた。さらにその声に驚いた隣の生徒が人を掻き分け、どこかへ逃げようとした。彼女に体をぶつけられた生徒は、「ンだよっ」としかめっ面で振り返った。そこにカラスがやってきて、ふたたび足で生徒を蹴った。うわっとみんなの声が上がる。人の波がうねる。
冷静な判断力を失っただれかが窓を開けた。
鳥たちがすさまじい勢いで侵入してきた。今度は一羽どころではない。少なく見積もっても数十のカラスやハトやスズメが廊下に飛び込んできた。バットを持った者が天井に向けてそれを振り回した。逃げた鳥たちが壁や天井にぶつかり、狭い廊下に白や黒や茶の羽が舞った。
「おい、バンシー。ヤベえぜ」アキチャが顎で階下を示した。
すでに数人が一階から脱出しようと、こちらに向かって階段を登ってきていた。
まずい。バンジーはその生徒たちの前に立ちふさがった。
「おい、邪魔だ。どけよ」長髪で厚化粧をした、昔ながらのヤンキースタイルの女がガンをとばしてきた。
「所定の位置に戻れ」バンジーは毅然と言った。「ラッパッパの命令はまだ生きてる」
「てめえ、見てわかんねえのか?」女は自分の背後を親指で示した。「ケンカどころじゃねえよ」
「単なるアクシデントだ。じきに落ち着く。こうしているあいだにも、アリ女がやってく……」
バンジーの声は、ふたたびガラスが割れる音と、より大きな悲鳴でかき消された。
いまや鳥たちは廊下の天井直下にあふれかえり、鳥同士でぶつかりあっていた。廊下のいたるところに数十、数百の羽が舞い、動物特有の臭いが漂ってきた。なるほど、たしかにケンカどころではない。しかしバンジーたちはラッパッパの命令を受け、一年生と二年生を一階に留めておく役割を担っている。引くわけにはいかない。
「とにかく持ち場にもど……」
バンジーがそこまで言ったとき、背後で大きな音がした。反射的に振り返ったバンジーは、踊り場の窓に次々と体当たりをしているカラスを見た。
「マジかよ……」
「騒がしいな。もう来たのか……」『部長専用』の一人掛けソファに脚を組んで座っている大島優子がつぶやいた。
階下から悲鳴や咆哮に似た音と振動が、扉を閉めた吹奏楽部部室にかすかに届いていた。
そんなはずはありません、とサドは答えようとした。校門の向こうにアリ女の姿が見えたと報告があったのはついさっきのことだ。だが、そう言いきれない不安がサドの胸には渦巻いている。サドは優子との闘いから回復したジャンボとアニメに目配せした。二人はすぐさまうなずき、脱兎のごとく扉を開けて部室から消えた。
「やけに鳥も騒がしい」大島優子は顔だけを窓に向けた。
「鬱陶しいですね」サドは短く答えて、昭和を見た。「屋上からの報告は?」
昭和はあわてて携帯電話を取り出し、屋上の歩哨に電話をかけた。そして短く二三言話すとサドに報告をした。「まだ校庭には侵入していないそうです。校門の前で立ち止まったままで……」
《なんで入ってこない?》サドの不安はより大きくなった。
吹奏楽部部室は校庭に面しておらず、窓からその様子をうかがうことはできない。サドはもどかしくなり自分の目で状況を確認したかったが、優子のそばを離れたくなかった。
サドの携帯電話がなった。アニメからだ。「どうなってる?」
「鳥が」アニメの声は上ずっていた。「鳥でパニックになってます」
「鳥、だと?」
次の瞬間、優子が座っているソファの背後にある窓に、なにかがぶつかる音がした。振り返ると、ガラスに当たったハトが気絶でもしたのか、腹部をガラスに密着させたまま、つーっとすべり落ちていくのが見えた。
いや――正確には、ぶつかったというより、体当たりをしたというほうが正しいようだった。そのハトだけではなく、続いて何羽ものスズメやカラスが続々とガラスに正面から突撃してきたからだ。その様子は、まるで無謀とわかっている軍事作戦に捨て駒として投入された兵士を連想させた。
サドは携帯電話の向こうのアニメに言った。「こっちも鳥が騒がしい」
「鳥がどうした?」優子が眉をしかめた。
「はい。一階で騒ぎになっているそうです」サドは答えて、アニメとの通話を切った。そして続けざまに、二階の生徒会室にいるはずの峯岸みなみに電話をかけた。
【つづく】