■決戦―12■
校門の外でおこなわれた戦いのすえ、《敵》を振りきって壁を乗り越え、校舎へ向かって走るジャージ姿の生徒を、宮脇咲良は桜の木の上から眺めていた。校庭の隅に咲く、樹齢百年はくだらない、この桜の木は幹も枝も太く、しっかりと咲良の体を支えてくれていた。ジャージ女との距離は二十メートルほど――あと少しで咲良たちの眼下を通り過ぎるだろう。
横にいる兒玉遥と田島芽瑠が、ほぼ同時に振り返って咲良を見た。
「どうする?」と芽瑠が小声で訊ねてきた。
「やっちゃおうよ」と遥。
なにを言い出すのかと驚き、咲良はアーモンドのようなかたちの大きな瞳を、より大きく開いた。ダチにはよく表情が豊かだと言われる。
「そうだよ、こっちは三人なんだし」驚いたことに、芽瑠も同意した。
「短絡的すぎる。あの人、マジ女の人だよ。先輩になるんだよ」
「だからこそ――」遥はより小さな声で、「いまのうちにちゅぶしに行かないと」
「ここでそんなことしたら、あっちの連中の手助けをしちゃうことにな――」
咲良の言葉を聞かず、遥は枝から枝へと跳ねるようにして桜の木から降りていった。
「私も行くっ」芽瑠も遥に続いた。
《――ったく、いつもこうなんだからッ》咲良は遥と芽瑠を追った。
まだまだケンカは強くもうまくないのに気概だけは一人前な遥と、勝ち気で怖いものなしの芽瑠の二人に、咲良はいつも振り回されている。特に遥は同学年の三人の中でいちばん生まれた日が早いというのに、いちばん落ち着きがなく、いちばん手がかかる。
咲良は動きながら考えた。いま、馬路須加女学園になにが起きているのか。校舎の外からやってきた集団の制服に、咲良は見覚えがあった。亜理絵根女子高のものだ。それがあのジャージ姿の女と戦ったということは、いまマジ女はアリ女にカチコミをされているのだろう。そして自分たちは来月からマジ女に入学するのだから、ケンカがしたいのであればアリ女の連中と闘うべきだ。
《なのに、あのバカ――》
こうなったら、見つけられるよりもこちらが先に動き、イニシアチブを取ったほうがいい。うまくすれば最低限の戦闘で事態を収集できるかもしれない。そして、ひたすら謝るのだ。許してくれるかどうかはわからないが。
だが、先に動きを止めたのは、木の下まであと三メートルの場所まで来ていたジャージ女だった。遥と芽瑠――あるいは咲良の気配を感じたのか、顔を上げるとややツリ目の瞳で桜の木を見た。
《見つかった――?》
桜は戦闘は避けられないと覚悟した。先を行く、遥と芽瑠の最初の一撃が成功することだけを祈った。
桜の木を見上げていたジャージ女が、地面に降り立った遥と芽瑠に気づき、視線を動かした。「だれ――あんたら?」
「来年からこの学校に入る予定なんでしゅけどね……」遥はじりじりとジャージ女に近づきつつ、「その前に先輩たちに挨拶ちゃちぇてもらおうと思って」
「申し訳ありません」芽瑠は軽く頭を下げた。
「は? なに言ってんの……」ジャージ女は半笑いをした。「いまさ、それどころじゃないから。あんたたち、遊びのつもりならさっさと帰ったほうがいいよ」
「遊びじゃないですよ」
遥はスカートのポケットから特殊警棒を抜き出し、それを一振りさせた。一瞬で伸長した警棒は30センチほどの長さになった。芽瑠も特殊警棒を出し、遥の動作に続いた。
「待ちなさいッ」たまらず、咲良は声を上げた。
しかし遥と芽瑠はその声が聞こえていないのか、あるいは聞こえていて無視をしているのか、こちらを見る気配すらない。だが、ジャージ女はこちらを向いた。咲良は地面に着地すると、脱兎のごとく駆け出した。
ジャージ女が咲良に気を向けた瞬間、遥と芽瑠が跳ねた。
遥は上段から特殊警棒を頭上高く上げ、芽瑠は特殊警棒を水平に構えた。
咲良から視線を逸らしたジャージ女の動きは早かった。まずは接近してくる芽瑠に、長くきれいな脚を矢のように放った。その甲は芽瑠の右手に命中し、特殊警棒をたたき落とした。ジャージ女はそれを確認したかしないかという早さで、今度は特殊警棒を振り上げながら襲いかかろうとしている遥に向かって駆け、密着するほどの間合いに入った。遥の特殊警棒が振り下ろされるより早く、ジャージ女はその右腕をつかみ、捻りあげた。遥は絶叫して、特殊警棒を離した。ジャージ女は落ちた二本の特殊警棒を遠くへ蹴った。
すべてが一瞬のことだった。
《すごい――》
遙かも芽瑠も、そして咲良自身も、地元の中学校ではてっぺんを獲っている。その二人が目の前で瞬殺された。咲良が行ったところで、結果は同じだっただろう。
仲間が負けたというのに、咲良は感動さえ覚えた。
「――挨拶って、これで終わり……?」ジャージ女は軽く肩をすくめた。
咲良は地面に正座し、両手をつき、深々と土下座をした。「先輩、すみませんでした。完敗です」
「咲良……」
遥と芽瑠の声がしたが、咲良はそのまま頭を上げなかった。
「てゆーか、そういうの、マジでいらないから、頭上げて」ジャージ女が近づいてくる気配と足音。
「いえ、私の仲間が失礼なことを……」
「いいって。そんなことより、今日はそれどころじゃないんだって……さ、早く顔上げて」咲良が顔を上げると、ジャージ女は彼女をまじまじと見つめた。「――だれ?」
「宮脇咲良。博多中学校三年生です」
「博多? そんなに遠くからなにしに?」
「来年からマジ女にお世話になる予定なので、視察に来ました」咲良は、自分たちが瞬殺されたことを信じきれていない様子の遥と芽瑠を見て、「あの二人――遥と芽瑠も同じです」
「あ。そういうことか。そんで一発カマしてやろうと思ったってこと?」
咲良は頷いて、「はるっぴ、芽瑠。ふたりとも謝りな……その――」とジャージ女を見た。
「おれか? おれはサシハラ」
「サシハラ?」変わった苗字だと思った。
「みんなにはヲタって呼ばれてる。ヲタでいいよ」
「はい。ヲタ先輩」
「先輩はいらねえよ」
「じゃあ――ヲタさん、で」
「ま、そっちのほうがマシか」
遥と芽瑠は、渋々、咲良のかたわらにやってきて、膝と両手を砂だらけの地面についた。「ヲタさん、すみませんでした」
「いいから立てって……」ヲタは照れくさそうに言った。「そんなことより、今日はもう帰った方がいい。いまマジ女はカチコミされてんだよ。しかも、かなりヤバい相手にだ。おまえたちも見つかったら半殺しにあうぞ」
《――やっぱり》
咲良の嫌な予感通りだった。
咲良は立ち上がった。遥と芽瑠も、砂を払いながら立った。
「それじゃあ、あたしたちはこれで――」咲良は言い、遥と芽瑠と視線を交わした。二人が頷いたので、咲良は歩き出そうとした。
「待て」ヲタが叱りつけるように言った。「いまから出るのは危ねえ。おれと一緒にいたほうがいい。ついてきな」
こちらの返事を待たずに、ヲタは言うなり踵を返し、校舎に向かって駆け出した。
まだ言葉を交わして数分と経っていないのに、咲良はヲタとの出会いになにかの縁を感じていた。この先になにが待ち構えているのかはわからないが、ヲタとならうまくやっていけそうな予感がする。自分だけではない。遥も芽瑠も――。
こうして宮脇咲良、兒玉遥、田島芽瑠の三人は、ヲタのあとに続いた。
【つづく】