■胎動―4の1■
ラッパッパアンダーガールズの四人は歩哨役をいったん解かれ、生徒会室へ向かった。
吹奏楽部の部室では、これから実務レベルでの戦術会議がおこなわれる。さしあたって手の空いたアンダーガールズたちは、人手不足の生徒会を補佐するようサドに指示されたのだった。
ジャンボは張り切っていた。今回の戦争は自分をアピールできるチャンスだ。功を成し、サドに認められれば、また抱いてもらえるかもしれない。いまでもジャンボは、たった一度だけのサドとの経験をしっかりと記憶している。極彩色の快感と開放感に満ちた、女に生まれてきたことを心の底から幸せだと実感した、あの人生で最高の時間を。あのためなら、なんだってできる。
四人が生徒会室前の廊下に着いた瞬間、開け放たれた扉の向こうから平松可奈子のすさまじい怒声が漏れてきた。「あんたたち、どういうつもり? 子どもの使いじゃないのよっ」
「すみませんっ」
一年のどっちの声だった。
ジャンボが中に入ると、そこには生徒会役員の平松可奈子がチームフォンデュのメンバー五人を、憤慨した表情で見つめていた。テーブルの上には大きめのコンビニ袋が無造作に置かれている。袋はメタボな中年男のおなかのように膨らんで、開いた部分はだらしなく垂れるように広がり、そこからビニールのパッケージに包まれた包帯がのぞいていた。
「朝礼でサドさんの話聞いてた?」平松がコンビニ袋を指差した。「明日は百人単位で怪我人が出るのよ。こんな量で足りるわけないでしょ?」
「――おまけに……」平松可奈子の横でテーブルに座って電卓を叩いていた佐藤すみれが顔を上げた。「お釣りを五百円ごまかしてる」
佐藤すみれが掲げたレシートを見た寒ブリが、年増を肘でつついて小声でつぶやいた。「だからバレるって言っただろ」
年増は舌打ちをして、スカートのポケットから取り出した五百円玉をテーブルの上に置いた。
「ふざけたことをしてる場合じゃないの」平松可奈子は腰に手を当てた。「こんなことがサドさんにバレたら、あんたたち半殺しよ」
「そ、それだけは勘弁してくだせぇ……」レモンが芝居がかった口調で頭を下げた。
「せめて……謹慎程度に……」年増が懇願した。
「だったらもう一度行ってきなさい。切り傷、擦り傷、脱臼、捻挫、突き指、出血、骨折などの応急手当にはどんな医薬品が必要か、そしてどのくらいの量があれば二百人以上のケガに対応できるか計算して、すみやかに戻ってくること。お金の心配は必要ないわ。足りなければまた渡すから。わかった?」
「はぁい……」レモンがふてくされたように答えた。
「ヒ、ヒントはねえのかよ……」ツリが言った。
「ヒントってクイズじゃないんだから……」佐藤すみれはあきれたように苦笑した。「そもそも、役に立ちたいって志願してきたのはあなたたちでしょ? いまの生徒会はあなたたちの子守をできるほど暇じゃないの。すべてを指示されなきゃできないんだったら、この部屋からとっとと出ていって」
どっちがチッと舌打ちをすると、平松可奈子がにらみつけた。「いい? もう一度言うわ。いまの私たちに、頭に来たり怒鳴りあったりする時間はないの。行くか、このまま帰るか、さっさと決めて。帰るならそれでかまわないわ。別の人たちに頼むだけだから。ただ、あなたたちのことはいずれにしてもサドさんに報告させてもらうから、そのつもりでいて」
平松可奈子は言い終わると、パソコンに向かってキーボードを叩き始めた。
佐藤すみれも書類の束に視線を落とし、それで会話を拒絶した。
これで話はおしまい、だ。
「わあったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」どっちがやけくそになったのか、大声で言った。「年増、寒ブリ、ツリ、レモン。行くぞ」
「おーっ」呼ばれたメンバーたちの声だけは威勢よかった。
だが、そのときレモンがグエッとおかしな声をあげた。ゲップをしたのだ。
「おめぇ、なにこのタイミングでゲップなんかしてんだよ」
「ち、ちげぇよ……。あれだよカエルだよカエルがいたんだ」
「はいはいカエルさんね」ツリが見下したような言い方をした。
「ホントだよ……」
「なんでもいい、さっさと行くぞ」と、そこで振り返ったどっちがこちらに気づいた。「あっ。アンダーのみなさん……。ちいッス」
どっちに倣い、他の四人も深々と頭を下げた。
同じ一年生でも、ラッパッパ所属のアンダーガールズと、まだ駆け出しのチームフォンデュとでは歴然たる階層がある。二年生を(いまは)純情堕天使が仕切っているように、アンダーガールズは一年生のヒエラルキーの最上層に存在しているのだ。
「ちス」ジャンボは軽く手を上げて返した。「聞かせてもらったけど、あんたら、また下手打ったの?」
「はい。すみませ……」
「うちッス。うちがやっちまったんッス」年増が一歩前に出た。「この程度は大丈夫だろう、パレやしないだろうって高をくくって……」
「お天道様は見てるんだぜ」昭和が言った。「悪事は必ずバレる。わかったか、年増?」
「は、はいっ。もうしませんっ」
「ならいいんだ。マジジョの名を汚すようなことだけはすんなよ」
「すみませんでしたっ」年増は頭が膝につくかと思うくらい腰を折った。
「自分だって年増じゃんか……」ライスがからかった。
「ンだとォ……?」昭和がライスをにらんだ。本気ではない、戯れごとだ。
「みんな、さっさと行きな」アニメが優しい笑顔を向けた。「怖いお姉さんたちが本気で怒る前に、ね」
「はいっ、失礼しますっ」
どっちがリーダー然とした大声を出すと、それが合図のようにチームフォンデュの五人は生徒会室を飛び出していった。
「さ。はじめましょう」ジャンボは柏手を二回打った。「時間がないのは生徒会だけじゃないわ。私たちも同じよ」
「そうね、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに、見苦しいところを見せちゃって。どうぞ」平松可奈子がパソコンに向き合ったまま、四人を部屋の奥へとうながした。
「ご覧の通り、猫の手も借りたい忙しさなの。作戦要綱の詳細をテキスト化しておかないといけないし、教師たちとの交渉は生徒会でないとできないし、夜からの全校シミュレーションの準備もあるから手が回らなくて」
「生徒会長は?」ジャンボは訊ねた。
「教師との打ち合わせ。あくまでも体育祭をおこなったってことにしておかないといけないから、いろいろ口裏あわせとか書類作成とか……」平松可奈子は眠たそうにまぶたをこすってあくびをした。「ふあぁあ……。戦争するのがこんなに大変なことだとは思わなかった。マンガや映画のヤンキー物だと、簡単に学校同士で戦うのにね。いざ、本当にやってみようとするとお金はかかるわ、人に伝えなくちゃいけないことや作る書類は山ほどあるわ……。一週間くらい余裕があればもっと詰められるんだけど……」
時間がないとぼやいているわりに、平松可奈子は話し出すと止まらなかった。
業を煮やしてアニメが話をさえぎった。「それで結局、私たちはなにをすれば――?」
「あ。ごめんなさいっ」平松可奈子はぺろりと舌を出して、「あなたたちアンダーガールズにはバリゲートを作ってほしいの」
「えっ……そんなの作ったことないよ……」ライスのつぶやきに、昭和がうんうんと頷いた。
「大丈夫。考えておいたから」事も無げに平松可奈子は言い、書類を差し出した。
平松可奈子の説明によると、それは昨日徹夜で仕上たもので、バリゲートに使う机と椅子の組み方の図面や、設置場所が記載されていた。たしかに急造にしてはよくできている。
「ただ、どれだけの資材が必要かについては時間がなくて計算してないの。それから、設置場所の計測もやれなかった。それをアンダーガールズのみなさんでやってほしいの。他の生徒たちを作業で使いたい場合はこれを使って」平松可奈子は紙の束をジャンボに渡した。「生徒会の召集令状みたいなものね。全生徒の数だけあるわ。まあ、いないとは思うけど、この礼状を拒否したら停学処分が課せられるって説明して。どう、オッケー?」
オッケーもなにも、サドにも命じられているのだから、やらないわけにはいかない。
ジャンボはみんなと顔を合わせた。
アニメと昭和とライスが頷いた。
「もちろん」ジャンボは胸を張った。「わたしたちに任せて」
【つづく】
ラッパッパアンダーガールズの四人は歩哨役をいったん解かれ、生徒会室へ向かった。
吹奏楽部の部室では、これから実務レベルでの戦術会議がおこなわれる。さしあたって手の空いたアンダーガールズたちは、人手不足の生徒会を補佐するようサドに指示されたのだった。
ジャンボは張り切っていた。今回の戦争は自分をアピールできるチャンスだ。功を成し、サドに認められれば、また抱いてもらえるかもしれない。いまでもジャンボは、たった一度だけのサドとの経験をしっかりと記憶している。極彩色の快感と開放感に満ちた、女に生まれてきたことを心の底から幸せだと実感した、あの人生で最高の時間を。あのためなら、なんだってできる。
四人が生徒会室前の廊下に着いた瞬間、開け放たれた扉の向こうから平松可奈子のすさまじい怒声が漏れてきた。「あんたたち、どういうつもり? 子どもの使いじゃないのよっ」
「すみませんっ」
一年のどっちの声だった。
ジャンボが中に入ると、そこには生徒会役員の平松可奈子がチームフォンデュのメンバー五人を、憤慨した表情で見つめていた。テーブルの上には大きめのコンビニ袋が無造作に置かれている。袋はメタボな中年男のおなかのように膨らんで、開いた部分はだらしなく垂れるように広がり、そこからビニールのパッケージに包まれた包帯がのぞいていた。
「朝礼でサドさんの話聞いてた?」平松がコンビニ袋を指差した。「明日は百人単位で怪我人が出るのよ。こんな量で足りるわけないでしょ?」
「――おまけに……」平松可奈子の横でテーブルに座って電卓を叩いていた佐藤すみれが顔を上げた。「お釣りを五百円ごまかしてる」
佐藤すみれが掲げたレシートを見た寒ブリが、年増を肘でつついて小声でつぶやいた。「だからバレるって言っただろ」
年増は舌打ちをして、スカートのポケットから取り出した五百円玉をテーブルの上に置いた。
「ふざけたことをしてる場合じゃないの」平松可奈子は腰に手を当てた。「こんなことがサドさんにバレたら、あんたたち半殺しよ」
「そ、それだけは勘弁してくだせぇ……」レモンが芝居がかった口調で頭を下げた。
「せめて……謹慎程度に……」年増が懇願した。
「だったらもう一度行ってきなさい。切り傷、擦り傷、脱臼、捻挫、突き指、出血、骨折などの応急手当にはどんな医薬品が必要か、そしてどのくらいの量があれば二百人以上のケガに対応できるか計算して、すみやかに戻ってくること。お金の心配は必要ないわ。足りなければまた渡すから。わかった?」
「はぁい……」レモンがふてくされたように答えた。
「ヒ、ヒントはねえのかよ……」ツリが言った。
「ヒントってクイズじゃないんだから……」佐藤すみれはあきれたように苦笑した。「そもそも、役に立ちたいって志願してきたのはあなたたちでしょ? いまの生徒会はあなたたちの子守をできるほど暇じゃないの。すべてを指示されなきゃできないんだったら、この部屋からとっとと出ていって」
どっちがチッと舌打ちをすると、平松可奈子がにらみつけた。「いい? もう一度言うわ。いまの私たちに、頭に来たり怒鳴りあったりする時間はないの。行くか、このまま帰るか、さっさと決めて。帰るならそれでかまわないわ。別の人たちに頼むだけだから。ただ、あなたたちのことはいずれにしてもサドさんに報告させてもらうから、そのつもりでいて」
平松可奈子は言い終わると、パソコンに向かってキーボードを叩き始めた。
佐藤すみれも書類の束に視線を落とし、それで会話を拒絶した。
これで話はおしまい、だ。
「わあったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」どっちがやけくそになったのか、大声で言った。「年増、寒ブリ、ツリ、レモン。行くぞ」
「おーっ」呼ばれたメンバーたちの声だけは威勢よかった。
だが、そのときレモンがグエッとおかしな声をあげた。ゲップをしたのだ。
「おめぇ、なにこのタイミングでゲップなんかしてんだよ」
「ち、ちげぇよ……。あれだよカエルだよカエルがいたんだ」
「はいはいカエルさんね」ツリが見下したような言い方をした。
「ホントだよ……」
「なんでもいい、さっさと行くぞ」と、そこで振り返ったどっちがこちらに気づいた。「あっ。アンダーのみなさん……。ちいッス」
どっちに倣い、他の四人も深々と頭を下げた。
同じ一年生でも、ラッパッパ所属のアンダーガールズと、まだ駆け出しのチームフォンデュとでは歴然たる階層がある。二年生を(いまは)純情堕天使が仕切っているように、アンダーガールズは一年生のヒエラルキーの最上層に存在しているのだ。
「ちス」ジャンボは軽く手を上げて返した。「聞かせてもらったけど、あんたら、また下手打ったの?」
「はい。すみませ……」
「うちッス。うちがやっちまったんッス」年増が一歩前に出た。「この程度は大丈夫だろう、パレやしないだろうって高をくくって……」
「お天道様は見てるんだぜ」昭和が言った。「悪事は必ずバレる。わかったか、年増?」
「は、はいっ。もうしませんっ」
「ならいいんだ。マジジョの名を汚すようなことだけはすんなよ」
「すみませんでしたっ」年増は頭が膝につくかと思うくらい腰を折った。
「自分だって年増じゃんか……」ライスがからかった。
「ンだとォ……?」昭和がライスをにらんだ。本気ではない、戯れごとだ。
「みんな、さっさと行きな」アニメが優しい笑顔を向けた。「怖いお姉さんたちが本気で怒る前に、ね」
「はいっ、失礼しますっ」
どっちがリーダー然とした大声を出すと、それが合図のようにチームフォンデュの五人は生徒会室を飛び出していった。
「さ。はじめましょう」ジャンボは柏手を二回打った。「時間がないのは生徒会だけじゃないわ。私たちも同じよ」
「そうね、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに、見苦しいところを見せちゃって。どうぞ」平松可奈子がパソコンに向き合ったまま、四人を部屋の奥へとうながした。
「ご覧の通り、猫の手も借りたい忙しさなの。作戦要綱の詳細をテキスト化しておかないといけないし、教師たちとの交渉は生徒会でないとできないし、夜からの全校シミュレーションの準備もあるから手が回らなくて」
「生徒会長は?」ジャンボは訊ねた。
「教師との打ち合わせ。あくまでも体育祭をおこなったってことにしておかないといけないから、いろいろ口裏あわせとか書類作成とか……」平松可奈子は眠たそうにまぶたをこすってあくびをした。「ふあぁあ……。戦争するのがこんなに大変なことだとは思わなかった。マンガや映画のヤンキー物だと、簡単に学校同士で戦うのにね。いざ、本当にやってみようとするとお金はかかるわ、人に伝えなくちゃいけないことや作る書類は山ほどあるわ……。一週間くらい余裕があればもっと詰められるんだけど……」
時間がないとぼやいているわりに、平松可奈子は話し出すと止まらなかった。
業を煮やしてアニメが話をさえぎった。「それで結局、私たちはなにをすれば――?」
「あ。ごめんなさいっ」平松可奈子はぺろりと舌を出して、「あなたたちアンダーガールズにはバリゲートを作ってほしいの」
「えっ……そんなの作ったことないよ……」ライスのつぶやきに、昭和がうんうんと頷いた。
「大丈夫。考えておいたから」事も無げに平松可奈子は言い、書類を差し出した。
平松可奈子の説明によると、それは昨日徹夜で仕上たもので、バリゲートに使う机と椅子の組み方の図面や、設置場所が記載されていた。たしかに急造にしてはよくできている。
「ただ、どれだけの資材が必要かについては時間がなくて計算してないの。それから、設置場所の計測もやれなかった。それをアンダーガールズのみなさんでやってほしいの。他の生徒たちを作業で使いたい場合はこれを使って」平松可奈子は紙の束をジャンボに渡した。「生徒会の召集令状みたいなものね。全生徒の数だけあるわ。まあ、いないとは思うけど、この礼状を拒否したら停学処分が課せられるって説明して。どう、オッケー?」
オッケーもなにも、サドにも命じられているのだから、やらないわけにはいかない。
ジャンボはみんなと顔を合わせた。
アニメと昭和とライスが頷いた。
「もちろん」ジャンボは胸を張った。「わたしたちに任せて」
【つづく】