■決心2-1■
大島優子の、いつ終わるともしれない愛撫が終わると、サドは堪えていたものを一気に放出させた。
涙だった。
泣き顔を見せたくなくて、サドは優子の胸に顔を押し付けた。優子の乳房は水風船みたいに柔らかく、サドをより一層、悲しい気持ちにさせた。
――この人は、もうじきいなくなってしまう。
優子のいたずらな指による快楽の地獄を味わっているとき、サドは全身で優子を感じた。そして感じれば感じるほど、優子を失いたくないという思いが募り、サドを恐怖させた。
優子の指がサドの敏感な部分を執拗に這うのも、優子の舌と自分の舌を絡められるのも、もってあと数ヶ月――。
優子に抱かれているときだけが、サドが自分を解放できる唯一の時間だった。優子のラッパッパを預かる身として、サドは日々ストレスを感じていた。だからこそ、優子に抱いてほしかった。優子が欲しかった。
「サド……」胸に顔をうずめられた優子がとまどうように言った。「泣いてんのか?」
「い、いえ……」サドは顔を離さず答えた。「泣いてません」
「うそつけぇ」優子はおどけた様子でサドの顔を引き離した。そしてサドの涙と鼻水にまみれた頬を見ると、瞬時に強張った表情になった。「――どうしたんだ。なにかあったのか?」
「なんでもありません」サドは必死に鼻をすすり、まぶたを閉じて涙をぬぐった。
それでも喉からせりあがってくるうねりは止められず、サドの息づかいは次第に嗚咽のようになっていった。
――優子さんの前で泣いたらヘンに勘ぐられる。止まれ、止まれよ、涙のクソ野郎……。
必死に涙をこらえようとしているサドのまぶたに、やわらかい何かが触れた。その感触は少しずつ強さと激しさを増し、サドにはやがて、それが優子の口唇だとわかった。
「かわいいなあ、麻里子は……」
優子はサドを名前で呼び、八重歯を見せて微笑んでくれた。
そして優子は、やや尖ったサドの顎をつまむと、顔を自分のほうへ正対させ、今日何度目かわからないキスをした。
看護士が体温を測りに来たとき、サドは優子のために、ココアを作っていた。
そもそも、終わったあとにココアを飲むというのは、優子の習慣だった。一度、なぜそうするのかを聞いたことがあったが、帰ってきた答えは「塩味のものを食べたあとは甘いもので口直しをしたいんだよ」という最低の下ネタだった。優子は引いているサドを見て、「冗談に決まってんだろぉ」と笑った。
西日が眩しかった。窓の向こうには橙色に染まった山々の尾根と、盆地の中の町並みが見える。そろそろ明かりの灯る時間だ。
優子とのタイマンに負け、一緒に神社から夕日を眺めたあの「始まりの日」以来、夕方はサドの一番好きな時間帯だった。その夜に初めて優子と結ばれたことを思い出させてくれるからだった。
サドにとって優子は、初めての女だった。男にはない肌触りの心地よさ、男にはない繊細さ、男にはない吐息の甘さ――。新しい世界に迎え入れてくれた優子は、本当の愛情とはなにかを教えてくれた。
最近はだれにも邪魔されず優子と一緒にいられる時間が増えた。優子が入院したためにそうなったのは皮肉なことだったが、命に別状さえなければずっとこのままでいてほしい、とさえサドは思う。まあ、たまには四天王やアンダーラッパッパの一年たちと会わせてやってもいいけれど。
その一方で、優子には一日も早く健康を取り戻し、学園に復帰してきてほしいという気持ちもある。相反する感情だが、それがサドの偽らざる心境だった。暴れまわる優子こそ、本当の優子の姿だ。
優子からラッパッパとマジ女を預かるサドは、学校にいるあいだは意識的にぴりぴりとしたムードを醸し出している。常に緊張感を漂わすことで、いま学園には存在しない「大島優子」の存在を意識させていた。
マジ女内はほぼ安寧しているとはいえ、細かな紛争はあちこちで起こっていた。生徒会の自治権がないに等しいマジ女では、ラッパッパがその役割を担っている。一旦事あれば、ラッパッパは事態の収拾のため調停役となる。武力を持たない生徒会に、その力はない。
しかし生徒会は予算決定という、最高の権力を持っている。名目上は吹奏楽部であるラッパッパは、活動費がなければ維持していくことができない。部室の使用権も生徒会が握っている。そのため、ラッパッパの部長といえど、生徒会には楯突けない。生徒会がその気になれば、明日にでもラッパッパはなくなる。
生徒会がそうしないのは、自分たちにない「武力」をラッパッパが有しているからだった。ラッパッパをなくせばマジ女内で再び権力闘争が起き、学園は今以上に荒れる。そのために、生徒会はラッパッパを必要としていた。荒れ放題の学園でも、ラッパッパがマジ女に君臨し続ける限り、生徒会そのものも安定を保てるのだ。
サドは以前、生徒会長の峯岸みなみを抱いたことがあった。生徒会への影響力を強くしておくためだ。ところがサドは峯岸に、逆に攻められる結果となった。高速で動く峯岸の舌による全身愛撫には、思わず声を上げてしまったほどだった。
「――はい。いいですよ」看護士は、優子が脇から外した電子体温計を見ると、手元の用紙に数字を書き込んだ。「明日は朝食の後、先生の診察がありますから」
「ね。明日の先生は?」
「戸賀崎先生です」
「えーっ。やだなぁ、あのヒゲ」
「みんなのことを考えてる、いい先生ですよ」
看護士は言いながら、病室を出て行った。
サドはベッドに腰掛けている、ジャージ姿の優子にココアの入ったマグカップを渡した。「どうぞ」
「お。さんきゅ……ん。やっぱり、お前の入れたココアはうめぇな」
「インスタントだから同じですよ、だれが入れても」サドは来客用の丸椅子に座った。
「そりゃそうだな。ははは」と、優子は高笑いをしたあと、急に真顔になってこう言った。「なあ、サド――マジ女でなにが起きてる?」
唐突の質問に、サドは一瞬言葉を詰まらせたが、平静を装った。「――いえ。なにも」
「サド。あたしの目を見ろ」
サドは見た。しかし瞳が動揺していないかどうかには自信がなかった。そして、そう考え始めると、そのことまでも優子に見透かされているような気がして、サドはますます焦燥感を募らせた。
「あたしはラッパッパの部長として、やらなきゃいけないことは必ずやる。たとえ病気であっても。わかるか?」
「わかります」
「それは、わたしが部員たちをどう思っているかとは別――公私混同はいけないという話だ。これが大前提だというのはわかるな?」
「わかります」
「同じ部のダチ同士で一番いけないことはなにか。隠し事だ。ダチ同士での隠し事はお互いを疑心暗鬼にさせる。情報を共有することで、あたしたちは同じ夢を見られる。だが、その前提が狂っていたら、仲間は分裂する。理解できるな?」
「もちろんです」
「特に、自分が見込んだ奴が隠し事をしていたときほど辛いことはない。もしそれがわかれば、あたしはそいつにヤキを入れなくちゃいけなくなるからだ。それも、ハンパねぇヤキをな。トリゴヤがプレイで打たれているような鞭じゃなく、本物の鞭が必要になるだろう。でなければ、他の者たちに示しがつかねえ。でも、あたしはそんなことはしたくない。特にそいつが何度も肌を重ねた相手ならなおさらだ。別のやつに聞けば早いかもしれない。ちょいと締め上げれば、おそらく簡単に口を割るだろう。体に聞くのが一番早い。痛めつけるか、快楽の虜にするか……。人間ってのは、たいていはそのどちらかで落ちる。だけどそれじゃダメなんだ。見込んだ奴から直接聞かなければな。あたしの言っていることにまちがいはあるか?」
「ありません」
「その上で、サド、もう一度だけ聞く。いいか、もう一度だけだ」優子は、サドにぐっと顔を近づけた。もうあと二センチ迫れば、また二人の唇が重なってしまうほどに。「マジ女でなにが起きている?」
サドはすべてを洗いざらい話してしまいたかった。けれど、今の状況では、それはできない。
亜利絵根女子高校から狙われていることを知れば、優子は陣頭指揮を執りたがるだろう。以前の、前田敦子との一件とはわけがちがう。あれは学内闘争で、ラッパッパが一方的に仕掛けたようなものだ。どちらかといえば矢場久根女子高との抗争と似ているが、はっきり言ってヤバ女など比較にならないくらい、アリ女は強い。はっきりとした『戦争』といっていい。
優子は相手が強ければ強いほど燃える。直接、自分が拳を振るうと言い出しかねない。病気だろうがなんだろうが、そうしてしまうのが大島優子という人間なのだ。
しかし今の優子が『戦場』に出れば、自身の命を縮めかねない。
優子にそうさせないためには理由が必要だが、余命一ヶ月であることを告げるのは論外だ。それができるくらいならこんな状況には陥っていない。かといって別の理由を作り上げたところで、嘘の数は変わらない。どこかでだれかが泥を被り、損な役割を担う必要がある。ならばそれは、優子にもっとも近い自分が負うべきだ。サドはそう考えていた。
まして、もうすでにサドは独自の判断で四天王の一人シブヤを動かしてしまっている。本来であれば優子に相談しなければいけなかった。なぜそうしなかったかと聞かれたら、サドには答えようがない。優子さんはあと一ヶ月の命だから精神に負担をかけてはいけないと思い自分で判断しました。そんなことを言えるわけがない。
優子は公私混同はいけない、と言った。でも自分はちがう。優子のためなら命を賭けられる。自分にとってもっとも大切な人が一日でも長く生きられるなら、なんでもする。誰にも口出しはさせない。
そうやって逡巡していたのは、時間にすればおそらく二三秒程度だっただろう。
サドの意思は変わらなかった。この部屋に入る前と、そして出て行くときにも。
「なにもありません」
優子はサドの答えを聞くと、一瞬ののちに破顔した。「――そっか。それならいいんだ」
子供のように無邪気な笑顔だった。愛しい唇が開き、愛しい八重歯がちらりとのぞいた。
この捉えどころのなさこそ、優子の魅力の一つでもあった。どこまでがマジで、どこからが冗談なのかは、まったくわからない。それが優子の心を見えにくくしているが、それでも人を惹きつけるなにかが優子にはあった。
サドは少しだけ安心した。もしかしたら、優子は冗談のつもりで言ったのかもしれない。たとえそうでなくとも、笑顔を見せてくれている今はもう気にしていないはずだった。
「悪りぃな、なんか深刻ぶっちまってよ」優子は照れたように言った。
「いえ。優子さんの立場なら当然です」
「お。それがわかるようになったか。お前にラッパッパを預けたのは正解だったな」
「ありがとうございます」サドは立ち上がった。「それじゃあ、私はそろそろ帰ります。また明日、帰りに寄りますから……」
「毎日毎日、ありがとな」
「いえ……」サドは頭を下げた。
病室を出ようと歩き出すと、優子が扉の前までついてきた。
不意に、優子が口を開いたのは、サドがノブに手をかけたときだった。
「サド……」
深い声だった。
「はい」
サドは後ろ向きのまま、頭を半分だけ動かして横顔で優子を見た。目は合わせられなかった。
「終わったらすべて話せ」
「――失礼します」
サドは逃げるように病室を出た。
――なるべく早く終わらせなければ……。
病院の建物を出てから、サドの歩調は自然と足早になった。いま、早く歩いたところでなにが変わるわけでもないの
に、サドはそうしなくてはいられない気分だった。
サドは三日前のことを思い出す。
シブヤまで投入したというのに、アリ女に勝てる方法は見つかりそうになかった。
山椒姉妹とダンスの写メが送られてきた後、サドはラッパッパ・アンダーのジャンボ、昭和、ライス、アニメを現場に送り込み、事態の収拾に当たらせた。四人の手錠のチェーンをワイヤーカッターで切断したり、シブヤの兵隊たちを病院へ運んだりと、アンダーたちはよく働いてくれた。怪我人は多かったが、致命的な傷を負ったものはなかった。
シブヤの話によれば、相手はたった二人――しかも子供と見間違えるかと思えるくらいの小さかったそうだ。名前は長野と橋本。十傑衆の二人らしい。
優子がなにか不穏な空気を読み取っている今、悠長に構えている理由はサドにはなかった。
四天王を使って一気にケリをつけてしまおう。
だが、それには問題がいくつかあった。
問題その一。ゲキカラが行方不明になっていること。
問題その二。トリゴヤを覚醒させるためには手間がかかり、また相手の懐深く潜入しなくてはならないだけでなく、それだけの苦労をしても実はあまり戦力にならないこと。
ゲキカラは前田との一戦以来、なぜか行方をくらましている。携帯にメールや電話をしても一切の音沙汰がない。四天王の中では攻撃力、耐久力ともにナンバーワンのゲキカラが、今の段階で手元にいないことはかなり痛い。
トリゴヤの特殊能力は、今回の作戦には向かない、とサドは考える。トリゴヤが精神攻撃を有効に使うためにはアリ女校内に潜入するか、アリ女の通学路で網を張るしかない。しかし、そのどちらも「敵」の土地であり、一歩間違えばシブヤのような目に合うだろう。覚醒の解けたトリゴヤが肉弾戦に持ち込まれれば、支援なしでは一分と立っていられないはずだ。
となると、残るはたった一人のみ。
闇夜を味方にするあの女なら、敵の土地に侵入することも脱出することも容易い。
――そうだな。これしかない。
サドは携帯電話を取り出し、ブラック宛のメール作成にとりかかった。
【つづく】
・某テレビドラマのパロディ小説です。パロ嫌いな人は読まないでね。
・あとから矛盾とか出てきたらこっそり書き直します。
・著者の上戸に格闘技経験はないので、おかしな箇所があったらこっそり教えてください。こっそり書き直します。