■策謀-1■
サドは渾身の力を込めて、右拳をブラックの面長の頬に叩き込んだ。
拳には、頬骨を直に打った感触があった。かなりの痛みにちがいない。それでもサドの拳に、ややよろけただけのブラックは、さすが四天王だった。
だが、サドにはそれがよけいに腹立たしかった。
もう一度同じ場所に拳を入れてやる。
ブラックは歯を食いしばり、耐えているように見えた。
そうか、まだ我慢できるのか。それなら、これはどうだ?
サドはブーツの細いヒールを、ブラックの腹に突き刺すつもりで蹴った。
四天王といえど、この痛みと衝撃には絶えられないようだった。ブラックは吹っ飛び、ラッパッパ・アンダーガールズの四人が立っている場所に倒れた。
アンダーガールズの四人は血の気をなくした表情で、まっすぐにサドを見ていた。哀れなブラックの醜態から目を逸らしているようでもあった。
サドの下腹部に、じんじんと痺れるような感覚がやってきた。
いつものようにトリゴヤの舌が欲しくなった。トリゴヤをベッドの上に押し倒し、その顔面の上に膝立ちをして下着を取る……もう何度も何度もしてきた行為だ。
そのトリゴヤは部室の椅子に座ったまま、爪やすりで爪を磨いている。すぐ横でブラックが蹴り倒されても、まったく動じる様子はなかった。
サドは倒れたブラックに歩み寄った。アンダーガールズたちが、さっと道を開いた。
スカジャンの襟元を鷲摑みにし、ブラックを引き寄せる。そして今度は、思いっきりビンタを浴びせた。
ビンタとは思えないほど大きな音がした。
ブラックはもちろん抵抗などしない。サドの怒りが収まるまで、この制裁は続くことを知っているのだろう。無様な、ラッパッパの威信を失墜させるようなマネをした奴に、サドは今までもそうしてきたし、これからもそうするつもりだった。
ビンタを何回往復したか、もうサドにはわからなくなっていた。ブラックの両方の頬は真っ赤に腫れ、ビンタのあまりの激しさに口の中を切ったらしく唇の両端から血が滴っている。それを見た途端、サドは自分の右手もまた赤に染まっていることに気づいた。
ブラックはよろよろと起き上がり、そのまま正座をすると、サドに向かって土下座をした。「ふみまへんれした……」
「ねえ、サドぉ……」トリゴヤが言った。女子同士のパジャマパーティーで飲み物がなくなったから買ってきて、とだれかに頼むくらいのテンションだった。「そのくらいにしときなよ。ブラック、しばらく戦えなくなっちゃうよ」
サドは無視した。そんなこと、いちいち言われなくてもわかっている。だが、腹の虫が収まらなかった。
敵である亜利絵根の女に抱かれたブラックを、サドは普通の制裁で許すわけにはいかなかった。そうでなければアンダーへの示しが付かない。それに、ここのところ――前田とのタイマンに負けて以来――、サドは思いっきり戦っていなかった。この「制裁」は戦いの代替行為だった。
――戦いたい……。
亜利絵根の校舎に乗り込んで大暴れができたら、どれほど楽しいだろう。思う存分掴み、投げ、殴り、蹴る。戦いの中でなら、自分が受ける痛みさえ心地いい。
けれども、サドにはもはや、背中を預けられる者はいなかった。四天王ではダメだ。自分が背中を預けられるのは、自分より「強き者」でなければならない。シブヤもブラックもトリゴヤも、サドよりも弱い。といって頭のネジが外れているゲキカラは元より無理だ。
ふと、脳裏に浮かんだ光景があった。不思議なことに、そこに自分の姿はなかった。
――大島優子と前田敦子……。
ふたりが背中を預けあえば、亜利絵根と五分、いや、それ以上の戦いができるかもしれない。もちろん大島優子が退院できるくらいに健康を取り戻したら、という前提の話だが……。
なにを考えているんだ、私は。
自分で考えたというのに、サドは狂おしいほどの嫉妬に襲われた。そんなことは私が許さねぇ。優子さんの背中を守る権利があるのは私だけだ。
「――ねえ、サドっ。聞いてるぅ?」
トリゴヤの声で、サドは我に帰った。「ああ、すまない……。聞いてなかった」
「もーぉ、サドってば、ちゃんと話聞いてよ」
「で。なんだ?」
「あたし、"見て"こようか、亜利絵根行って」
「"見る"……?」
「そ」
「それはダメだ。優子さんに厳命されている」
「でもさぁ。優子さん、亜利絵根のこと知ってるの?」
サドはどう答えるべきか一瞬迷ったが、正直に答えたほうがいいと判断した。「――知らない」
「教えてないの? ヤバくない? 絶対ヤバいよ」
「大丈夫だ。私がなんとかする」
「だったら、バレる前にカタつけたほうがいいって。そのためには、あたしが行ったほうが……」
「優子さんは今、病気と戦ってるんだ。余計な神経を使わせたくない。私たちだけで学園を守るんだ」
一つだけ大きな嘘をついているサドは、それ以外に大島優子に嘘はつきたくなかった。大島優子には極秘で亜利絵根の件を解決する。これだけはやらざるをえない。しかし一つの嘘を隠すために、二つ目の嘘をついてしまえば、それは止めどない嘘の連鎖を呼ぶに決まっている。やがて矛盾が矛盾を呼び、最終的にどんなことになるのか予想もつかない。先日の面会でもわかった通り、大島優子はなにかに気づいている。早く解決しなければならない。
すべてが終わったとき、サドは大島優子にすべてを話し、どんな制裁でも受ける覚悟だった。
でも、それまでは私がなんとかしなければならない。優子さんが再び、このラッパッパの玉座に鎮座する、その日まで……。
「おまえたちもだ」サドはアンダーの四人に言った。今回の亜利絵根の件、もう優子さんに伝えた者はいないだろうな? いたら今すぐ名乗り出ろ。今なら許す。だが、あとでそれがわかったら……おまえたちもこうなる」
サドはまだ土下座をしているブラックを見た。
サドの問いに、答えた者はいなかった。
ノックの音がした。
アンダーの昭和がドアに駆け寄り、だれだ、と誰何(すいか)した。
「あっしです」ネズミの声。
サドはブラックに立てと命じ、昭和に目で合図した。
ドアが開かれると、ピンクのパーカーを被ったネズミが現れた。いつものようにポケットに手を突っ込み、ガムを噛んでいる。
「なんの用だ?」
「お取り込み中スか?」ネズミは顔を腫らしたブラックを見やった。
「お前には関係ない。用件を言え」
「亜利絵根、相当強いらしいスね。昨日もだれかやられたとか……」ネズミは再び、ブラックを見た。
ブラックはうつむいたまま、なにも言わない。
「だれに聞いた?」
「いいじゃないスか。大丈夫スよ、あっし、だれにも言ってませんから」
「おかしなことを吹聴してまわればどうなるかわかってんだろうな」
「もちろん、わかってますよ、サドさん」ネズミはそこで一息置いた。「でも、あっしが黙っていたところで、事態の解決にはならないスよね? 根本的な対策が必要じゃないスか」
「なにかあるってのか?」
ネズミごときの提案を受けるのは癪だが、自分の頭で考えられることには限界がある。立場のちがう者からの意見を聞いておくのもいいかもしれない。
「これ、名案ス」ネズミはポケットに突っ込んでいた手を出した。それは一枚の写真を掴んでいた。「だれだかわかりますか?」
サドは写真を受け取った。知っているような気はするが、記憶の奥のほうにしまわれているようで思い出せない。
横から覗き込んだトリゴヤが、知ってるーっ、と声を上げた。「あ――2年の菊地じゃん。今は純情堕天使ってチームのヘッドやってる子だよ。この子、一回停学になったけど、戻ってきたの?」
「ええ。珍しいスけどね……」
そこまで聞いて、サドは思い出した。菊地が不純異性交遊で停学になったため、2年をチームホルモンに任せたことまで……。けど、それはかなり前の話ではないか。なぜ、今頃になってネズミが菊地の話題を挙げるのか……。
「菊地がどうしたって?」
「そいつのチーム、デカくなったんスよ。チームホルモンが解散したんで」
「チームホルモン、解散したのか」聞いていなかった。いや、報告は受けたのかもしれない。そういえば、うっすらとそんな話を聞いたような気がする。ここのところ、対亜利絵根のことばかり考えていて、部員からの報告は右から左に抜けていた。「あ、いや……。そうだったな」
「それでホルモンにいたメンバーは、四人がそっくりそのまま純情堕天使に入ったんスよ。だから今のところ、純情堕天使が2年の最大勢力になってます」
「なるほど……。そいつらを使うわけか」
「そいつらが勝ったら2年の自治権を認めればいいし、負けてもラッパッパに損害はない……。どっちに転んでも、ゲキカラさんを探すための時間稼ぎにはなるじゃないスか。菊地ってのは、権力に憧れてるらしいから、その餌にはすぐ食いつきますよ」
ネズミの提案は魅力的だった。ゲキカラはアンダーガールズを使って居所を探させているが、良い情報はまったくなかった。
だが、この女の、腹に一物あるような怪しさには注意しなければならない。
「たしかにいいかもしれんな。だったらひとつ、頼みたいことがある」
「なんスか?」
「おまえもゲキカラを探せ。得意分野だろ?」サドは微笑んだ。
だが、ネズミは人を舐めたような目線でこう言った。「――人探しは苦手で……」
サドはその目つきに激しい殺意を抱いた。
気が付くと、ネズミの首に手をかけていた。親指を開き、喉に押し当て、そのまま一気に壁に押し付ける。
「いいか、ネズミ……」手のひらに、ネズミの生暖かい体温を感じる。ネズミの苦悶に満ちた表情は、サドの性的衝動を刺激した。性格は気に入らないが、フードの奥の顔がコンピュータグラフィックのような美しさと精巧さを兼ね備えていることは認めなくてはなるまい。一度、この女をむちゃくちゃに責め立ててやりたかった。気絶するまで快楽の地獄を味あわせたかった。が、今はお灸の時間だ。サドはネズミの首をさらに絞めた。「てめえがなにか企んでるのは百も承知だ。だがな、てめえが馬路須加女学園の生徒である限り、命の保障をしているのがうちらラッパッパだってことを忘れ……」
そのとき、サドの左首筋に、硬く冷たいものが押し当てられた。サドはハッとした。かろうじて、ネズミを抑えてはいたが絞めている手を緩めてしまった。
「――なにも企んでなんかいないスよ、サドさん」
押し当てられたものは、いつの間にかネズミが手にしていたスタンガンの先端の電極部だった。スウェットのポケットの中から取り出したのだろう。そうか、だからこいつはいつもポケットに手を突っ込んでいるのか……。
サドは迂闊な自分を呪った。
「――サドさんっ」
「――テメェ、サドさんになにしやがるっ」
アンダーガールズたちの声が飛び交った。サドは空いている左手で、それを制した。
ネズミはサドを見上げ、にたりと笑った。さっき、サドが殺意を覚えた、あの目つき。「あっしは腕っ節には自信がないもんで、こいつにいつも助けてもらってるんスよ。小さいけどなかなか強力で、このあいだあっしをレイプしようとした男は泡吹いちまいました。夜道って危険スね」
ケンカなら、こんなチビに負けるわけはない。だが、たしかにスタンガンはヤバい。
サドは努めて冷静に対処した。「てめえ、だれに対してそんな真似してるのか、わかってんのか、あん? そいつを使ったらこの部室を生きて出られねえぜ」
アンダーガールズの四人がサドの背後までやってきた。一声かければネズミはあっという間にボコられて、裸に剥かれる。しかし、ネズミをそんな目に合わせたところで、サドの気は晴れるだろうがなにひとつ得はない。なにかを企んでいるのはわかっているが、馬路須加女学園一の情報屋に代わる存在はいないのだ。
「あっしも必死なんスよ。いろいろと、ね。そのためには危ない橋も渡らなくちゃいけないんスよ……」
ネズミの本気を感じたサドは、喉から手を離した。
が、スタンガンはまだ首筋に当てられたままだ。
「今日のところは勘弁してやる。だが、これだけは覚えておけ。次に私の前でこのおもちゃを出したとき、おまえの命はない。わかったら、こいつを放して、この部屋から出て行け」
ネズミはゆっくりと手を下ろし、顔を伏せた。
アンダーガールズの四人がサドを見つめていた。全員の顔に、このまま帰していいのかという疑問が浮かんでいた。サドは小さく首を横に振った。四人はネズミの進路を開けた。
――私を脅したツケ、いつか払ってもらうぜ……。
サドはネズミの背中を見て、心の中でそうつぶやいた。
【つづく】
・某テレビドラマのパロディ小説です。パロ嫌いな人は読まないでね。
・あとから矛盾とか出てきたらこっそり書き直します。
・著者の上戸に格闘技経験はないので、おかしな箇所があったらこっそり教えてください。こっそり書き直します。