■純情堕天使―3■
集団戦の場合、戦端を開くのはサキコの役目だった。
「サキコさん、やっちゃってください」
プリクラの指示に、サキコはうなずいた。
純情堕天使内ではもっとも背が高いサキコの得意技は、そのリーチを生かした突きだった。大柄のわりに体の線が細いサキコの人差し指と中指によって、相手は刺されたような痛打を受ける。サキコは常日頃から、この二本の指だけを鍛えていた。トータルでの能力では敵わなくとも、なにか一点でも人より優れた点があれば勝てる、というのがサキコの持論だった。
サキコがうめ子に突進し、まずはあえて大降りの回し蹴りを放った。これは牽制で、はなから当てるつもりはない。これをかわしたあと、懐に入り込んできた相手に、必殺の二本指を差し込むのがサキコのパターンだった。サキコはこの技を「革命のエチュード」と名づけていた。
うめ子はサキコの回し蹴りを見て一歩後退し、すかさずバットを振り回してきた。
サキコは臆せず突っ込んだ。バットが回転する円周上にいなければ当たることはないと判断しているのだろう。単純なことだがわかっていても、なかなか踏み込めないのが人間だ。サキコは華奢な見た目によらず、いざ戦闘となると大胆にふるまう。
バットが通過したあとの空間にサキコは突撃した。それはうめ子の正面だった。サキコの二本指がボウリングの球を投げるかのようなフォームで、下から上へと舞った。
喉を狙っているようだ。決まれば一瞬で相手の意識をなくすこともできる。サキコはその必殺の技を一発目から放った。
うめ子はバットを振り回した遠心力に身を任せていた。そのため一瞬の後、うめ子はサキコに背中を見せた。普通なら、そんなことをするわけがなかった。がら空きの背中がいかに危険か、ケンカをする人間なら知っているはずである。
このままでは喉に命中することはできない。しかし、無防備になったからといって、振り上げた腕はそう簡単に止められない。
目標を失ったサキコの二本指が空を切った。
そのとき、一回転して戻ってきたバットが、サキコの頬骨を打った。バットの勢いは衰えていたが、サキコに脳震盪を起こさせるくらいの威力は残っていたようだ。
「ヒットエンドラーンッ」
うめ子のはしゃぐ声が響いた。
サキコはふらりと揺れた。
そこにうめ子の後ろ蹴りが、サキコのくびれた腹に入った。
サキコは弾かれたようにふっ飛び、プリクラの足元まで転がってきた。目は焦点が定まらず、口もだらしなく開いていた。もう闘えないことは明白だった。
「――サキコ先輩っ……」ハルカが叫んで、サキコに駆け寄った。
プリクラはサキコに一瞥をくれると、非情な指揮官の目で「ナツミさん、お願いします」と指示した。
「言われなくても行くわ」
ナツミ――松原夏海は軽やかなステップを踏み、前へ出た。
それこそがナツミの得意技だった。ダンスの動きで相手を翻弄し、疲労させる。強力な攻撃はないが、集団で戦うときの橋渡し役として、ナツミの存在は大きかった。ナツミが相手の体力を奪うことで、あとに続く者が戦いやすくなるからだ。
今回の戦場は狭い空間だったが、ナツミは挑発的に踊った。うめ子に近づいたかと思うと瞬く間に離れ、その直後にまた近づく。弧を描くバットの攻撃範囲内にも、ナツミは果敢に突入した。そのステップと反射神経は、マユミには真似できないものだった。
それでもうめ子は、なにも考えていないのか、いたずらにバットを振り回している。体を軸にした円運動だけではなく、日本刀のように振り下ろしたり、ゴルフのドライバーのように振り上げたりと、その動きには法則がなく、めちゃくちゃで予想できなかった。
その間隙を縫って動けるのだから、ナツミはすごい。マユミは純粋にそう思う。
だが、マユミは同時にこうも思っていた。
――負けろ。
純情堕天使としてはうめ子には勝たなければならないが、そのとき彼女の前に立っているのは自分でなければならない。
マユミは一学年上のナツミを慕っていた。ナツミもマユミに良く接してくれる。だが、ここでナツミがうめ子を倒せば、自分がテッペンに近づくのが遠くなる。ナツミは――いや、純情堕天使のメンバー全員はマユミにとって良き友であり、ライバルでもあった。一番おいしいところを持っていくのは、この内田眞由美でなければいけない。
ナツミはかわすだけでは飽きたのか、やがてちょっかいを出し始めた。近づいたときに、軽くパンチやキックを出す。それらは元から当てるつもりはないようだったが、時折命中していた。
「うめ子」まいぷるが大声を出した。「いつまでそんなのと遊んでるんだ。さっさとやっちまいな」
「はぁぁぁい。やっちまぁぁぁぁす」
まいぷるの檄を受け、うめ子の目の色が変わった。
うめ子は突然、タップダンスを踊りだした。それはナツミのような、攻撃を取り入れたものではなく、ただ単なるタップダンスでしかなかった。
ナツミは攻撃の手を休めた。この意味のない行動に、様子をうかがっているのだろうが、マユミにはうめ子のタッブに魅了されているようにも見えた。
三十秒も経ったころだろうか、マユミがハッと気づいたころには、うめ子はナツミに手を伸ばせば届くほどの近さまで接近していた。タップを踏みつつ、少しずつ前進していたのだ。
プリクラさえもうめ子の動きに目を奪われていたのか、警戒するのを怠っていたようで、ナツミに対する加勢の声を上げなかった。
いや――もしかしたら……。マユミは考える。プリクラはわざとなにも言わないのかもしれない。ナツミに、己の迂闊さを体で知ってもらうために。
マユミがそこまで考えたとき、うめ子のバットが槍のようにナツミの腹に突き出された。不意打ちを食らったかたちになったナツミは、その勢いに押され、サキコのようにプリクラの足元に転がってきた。
「くそっ……油断しちまった……」ナツミが腹をおさえてうめくように言った。
「迂闊でしたね、ナツミさん」
その冷静な言葉の響きから、マユミは、やはりプリクラはナツミにはあえてなにも言わなかったのだと確信した。
「次はトモミさん、よろしく」
「わかりました」トモミは言ったころには駆けだしていた。トモミは笑っていた。自分の出番が来たことがうれしかったのだろう。
ハーフと見まちがえられるほどの美貌を持っているトモミは、スピードを生かした戦法を得意としている。一撃の強さはそれほどではないものの、矢継ぎ早に繰りだされるボクサー並みのスピードパンチは相手の考える時間を奪う。
トモミはバットを持つうめ子に躊躇せず、あっという間にその直前まで到達した。
不思議なことに、うめ子は攻撃の意思がないことを示しているかのように、バットをだらりと下げたままでいる。
トモミのパンチが打ちはじめられた。
うめ子よりも背の低いトモミは、アッパー気味のパンチをうめ子の腹部に集中した。それは当たろうが当たるまいがそんなことはおかまいなしの、戦艦に搭載された対空機関砲を連想させるスピードだった。
うめ子はそのパンチを前後左右へ小刻みなステップでかわしていたが、五発に一発くらいの割合でヒットされている。数打ちゃ当たる方式の、トモミのパンチの命中率はいつでもそんなものだったが、あの程度のパンチ力ではうめ子にダメージを与えられないだろう。マユミは冷静にそう分析した。
高みの見物をしているまいぷるが、「ほらほら、お譲ちゃん、もっと狙って打たないと倒せないよ」とトモミを激励した。その余裕がマユミをよりいらだたせた。
やっと闘えたことに対して喜びの笑みを浮かべていたトモミから、時間が経つにつれ、それが消えていった。うめ子が手を出してこないことに対する不気味さも感じているのかもしれない。パンチを繰りだす速度も、徐々に遅くなってきた。そろそろ弾切れの時間か。
「だめね……」プリクラがぽつりとつぶやいたその言葉を、マユミは聞き逃さなかった。
「そろそろ気がすんだんじゃない、この子?」まいぷるがうめ子に言った。「やっちゃいな」
「はぁぁぁい。やっちまぁぁぁぁす」
うめ子はさっきと同じセリフを言い放ち、右手に持ったバットをゆっくり振り上げはじめた。
アッパー気味のパンチを打ち続けるトモミの頭上はがら空きだった。ただでさえ身長差があるうえに、命中率が落ちているため視線を腹部に集中しているようだ。トモミは顔を伏せていた。自分の頭上からバットが襲いかかってくることなどまったく意識していないようだ。
「あぶないっ」マユミの隣でサキコを介抱しながら闘いを見ていたハルカが、絶叫と同時に走りだした。
うめ子がホラー映画の殺人鬼の見せ場のように、ゆっくりとした動きでバットを振り上げなければ、ハルカはトモミを助けられなかっただろう。ハルカはトモミの背中から、ラグビーのトライをするかのように抱きついた。そしてそのままトモミを押し倒した。その結果、うめ子のバットは、トモミでなくハルカの背中を直撃した。
柔道の心得のあるハルカでも、無防備の背中に二メートル近くの高さからバットを打ちつけられてはたまらない。ハルカは体を弓なりにそらし、絶叫した。
「ハルカっ……」自分の身代わりになったハルカの下で、トモミが叫んだ。
たった一撃で戦闘不能となったハルカを足蹴にしたうめ子は、その脚で仰向けになったトモミの顔面を踏みつけた。やや頭を上げていたトモミは、それによって後頭部を激しく床に強打した。
マユミの胸の奥から、ふつふつと湧き出るものがあった。
何人もの友を倒された悔しさはもちろんあった。しかしその思いのほとんどは、その強大な敵を倒すチャンスの順番が自分にまわってきたという喜びだった。それは、たとえるならエベレスト級の熱き思いだった。
「プリクラさん――私があいつを倒します」
プリクラの返事を待つことなく、マユミは歩き出した。
【つづく】