■懇願―2■
あかつき総合病院から駅へ向かう道の途中にある公園には、だれかに見捨てられ寂しがっているようなブランコや、不気味にそびえるジャングルジムや、なぜかそれだけ真新しい滑り台などが四基の照明に照らされていた。もうすぐ九時になるこの時間に、公園に人気はなく、内密の話をするのにはぴったりの場所だった。
ここに来るまで、ふたりはなにもしゃべらなかった。サドが緊張しているのを前田は察知しているらしく、表情がこわばっている。
サドは公園の中央で立ち止まった。「――疲れているとこ、悪りぃな……」
「いえ」
「これから話すことは他言無用にしてくれ」
「はい」
前田が口が堅いことはわかっているが、念のために釘を刺した。病院内ではなく、わざわざ外に出てきたのは、もちろん優子に話を聞かれないためだ。
「――いま、マジジョがヤバいことになってるのは知ってるな?」
「はい」
「アリジョに狙われている。これも知ってるか?」
「はい」
「あいつらに比べればヤバジョとの抗争なんてガキの遊びだった。ホルモンや歌舞伎や山椒……それに、シブヤとブラックもやられた。勝ったのはチョウコクと純情堕天使だけ。しかも純情堕天使は八人がかりでやっとという有様だ」サドはそこで言葉を区切り、前田の顔色をうかがった。変わりはなかった。サドは続けた。「アリジョは四日後、カチコミに来るらしい。はっきり言って、うちらに勝ち目はない」
こんなことを言うのは、優子からラッパッパをあずかっている身として、恥以外のなにものでもない。口の堅い前田だからこそ言える話だ。
前田の表情が少し曇った。サドの話の行き着く先を推測できたのだろう。
「優子さんはこのことを知らない。私が知らせるべきでないと判断した。病気と闘っている優子さんを、余計なことで煩わせたくないんだ」
「――それは……わかります」前田がうなずいた。
「だが、アリジョとの闘いに負ければ、そのウワサは優子さんにも届くだろう。そうなったら、優子さんは黙っていない。体がどんな状態であれ、アリジョにカチコミに行く。たった一人でも。優子さんはそういう人だ」
「そうでしょうね……」
「だから今回の闘いには、絶対に勝たなければいけない。どんな手段を使ってでも、だ。たとえそれが私の嫌いな人間であろうと、ケンカさえ強ければその力を借りなければいけない。優子さんを守るためには、私の個人的な感情などゴミ同然だ」
サドは前田をにらみつけるように見た。
サドの言いたいことを悟ったらしく、前田は顔を歪ませた。「――私は……」
「力を貸してくれっ。おまえの力が必要なんだ」サドは前田の言葉をかき消すように言った。「私はもうじき卒業だ。だから、この闘いが終わったらお前にラッパッパを譲る。マジジョのテッペンに立て」
考えに考えた末の結論だった。
いまのマジジョ陣営で、アリジョに対抗できそうなのはたった四人だ。サド自身、チョウコク、行方不明のゲキカラ、そして現時点でマジジョ最強の女、前田敦子。
アリジョの戦力がどの程度かわからない現在、四人がそろったとしても不安は尽きない。しかし、やるしかないのだ。優子からマジジョを預かった身としては、命に代えても学園とその誇りを守らなくてはいけない。そのためなら、ラッパッパの部長の座など前田にくれてやる。
一匹狼のチョウコクが素直にラッパッパに手を貸してくれるかわからないし、ゲキカラは期日までに見つからない可能性もある。自分のほかに頼れるのは前田敦子だけ。
サドにとっては皮肉以外のなにものでもなかった。優子を守るため、もっとも貸りを作りたくない前田敦子に頼らなくてはいけないとは――。
アリジョとの抗争が終わったとき、サドはすべてを優子に話すつもりでいる。どんな仕置きでも受ける覚悟もある。自分の身がどうなろうとかまわない。そんなことより、優子が一日でも一時間でも一秒でも長く生きることが大切だ。
すべてを知った優子は、マジジョを守った前田といま以上に距離を縮めるだろう。サドには耐え難い展開だ。しかし、耐えなければならない。以前、ラッパッパとマジジョは私が守る、と優子の前で言い切ったサドは、絶対にそれを成し遂げなければない。
だが、前田は首を横に振った。「――私には……できません……」
「なぜだ?」
「――それは……言いたくありません……」
前田がそう言うのなら、そう簡単には話してくれないだろう。力ずくは効かない。そもそも前田には勝てない。
前田に――いや、だれにもこんな姿は見せたくなかったが、サドは最後の手段に訴えることにした。
踝まであるロングスカートが汚れることも気にせず、サドは砂だらけの地面に膝と、両手をついた。
「サドさん……」
「前田、このとおりだ……」サドは頭を下げた。「学園を――いや、優子さんを守ってくれ……」
目を閉じた。なんという屈辱だろう。しかし、もはや情に訴えるしかなかった。
タイマンを張ったときにサドは前田と通じ合えた。前田は一見クールで感情の起伏がないように見える。しかし前田の胸の奥には、いつでもめらめらと炎が燃えている。情に熱く、ダチを大切にする女だ。その前田なら、きっとわかってくれる。マジジョのテッペンに君臨する自分のこの姿に、なにも感じないはずはない。
「これじゃあ、まだ足らないか、前田? それなら言ってくれ。なんでもする」
「顔を上げてください」前田も膝をつき、サドの肩を軽くつかむと、顔を覗きこんできた。
「お前がやってくれると言うまで、私は動かない」サドは前田をにらんだ。
「そんな……。本当に困ります」
「なぜだ、前田? あれだけの実力がありながら、お前はいつもケンカを避けている。なぜだ、なぜなんだ、答えろっ、前田っ……」
最後のほうは、絶叫に近くなっていた。
前田とタイマン勝負をしたとき、サドは絆を感じた。二人は似ていた。たがいに引くことのできない場所に立っている者同士だった。一撃が打ち込まれるたびにサドが感じたのは、痛みだけではなかった。そこには前田の悲痛な叫びがこもっていた。あのとき二人は、たしかに通じ合えたのだ。
それなのに、いま――サドの言葉は前田に届かない。
――あれは錯覚だったのか、前田? 答えてくれ、前田……。
「やめてください」前田は肩に置いた両手に力をこめた。それには有無を言わせぬ、堅牢な強さがあった。「お話します。私が、サドさんに協力できない理由を。だから、立ってください。そうしてくれなければ、私は帰ります」
サドは仕方なく、よろよろと立ち上がった。前田はそのあいだ、ずっと肩を支えていた。もし前田がサドより背が高ければ、きっとクレーンのように引き上げられていたにちがいない。「――話してくれ」
「はい」そして前田はゆっくりと話し始めた。「私には前の学校に、唯一無二のダチがいました。彼女はケンカばかりの毎日から脱却して、マジに生きる道を選びました。でも、その矢先、彼女は私を狙ったヤンキーたちに暴行され……命を落としました……」
サドは驚いたが、想定内ではあった。前田がこれほどケンカを拒みつづけるのは、きっとだれかの命が関わっているのだろうと、サドは漠然と考えていた。しかし実際に本人の口から発せられた言葉には、想像を超えた重みがあった。
「私は、彼女が死ぬ前に約束していたんです。マジに生きる。ケンカはやめるって……。でも、この学園に転校してからも、私はケンカをやめられなかった。自分には言い訳をしました。降りかかってきた火の粉だから。私が悪いんじゃないって……。でも、本当はちがう。私は弱い人間なんです。自分の強さに甘えているだけ。力をコントロールできないだけ。ケンカがしたいだけ。彼女との約束も守れない、弱い人間なんです……」
「お前は弱くなんかない」
「私はもう嫌なんです」前田は左手首につけた青と赤のふたつのシュシュを見つめた。「サドさんとのタイマンに勝ったとき、もう本当にやめよう、ケンカはこれで最後にしよう……。そう決心したんです。サドさんに勝ったいま、もう私がこの学園でケンカをする理由はありません。だから、なにがあっても、もうケンカはしません」
「これは学園内の闘争じゃない」
「ケンカには変わりありません」
「守りたくないのか、自分の学校を……」
「守りたいです。けど、私にはなによりも、ダチが大切なんです」
「学校の誇りよりも……?」
「――すみません」前田は頭を下げた。「でも、サドさんにならわかってもらえると思います。自分の大切な人を守るためなら、憎んでいる相手にでも頭を下げられるサドさんになら……」
サドの脳裏に、優子の笑顔が浮かんだ。
やはり自分と前田は似ている。タイマンのときの、あの恍惚の時間に感じた気持ちにまちがいはなかった。二人はいま、自分のもっとも大切な人のために、追いつめられている。それを守るために、必死に自分のルールにしたがおうとしている。
だから前田の気持ちはよくわかった。痛いほど――。
引くべきだった。
「――時間をとらせてすまなかった」
「いえ……」
「最後にもう一度言わせてくれ……。おまえは弱くなんかない」
「――失礼します」前田は会釈をして、背中を向けた。どんな表情かはわからなかった。
歩き出した前田の後姿をながめながら、サドは考えた。こうなったら最後の望みはゲキカラしかいない。生徒会には力を借りたくなかったが、峯岸みなみに事情を話し、協力をあおぐしかなかった。現在、ラッパッパだけでおこなっているゲキカラ探索を、マジジョの生徒全員でおこなうのだ。これで探索範囲は広がり、少なくともいまよりは発見の確率が高くなるだろう。
それに気づいたのは、前田のほうが早かった。サドから三メートルほど離れた地点で不意に足を止め、前田は公園を見回した。
サドは前田のその仕草があってから数秒後に、公園を包み込んでいる強烈な敵意に気づいた。
暗闇の中から、六つの影が現れた。
【つづく】