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『マジすか学園vsありえね女子高 AKB48×アイドリング!!!』 第63話

 19, 2012 06:20
 ■決戦前―5■



 目の前の大島優子の姿を実在のものと認識するまで、サドにはしばらくの時間が必要だった。
 自分の思考がこれほど混乱したのは初めてだ。交感神経が興奮し、瞳孔が開き、心臓が早鐘を打つ。血圧を測れば異常なほど上昇していただろう。
 どうしてここに? だれかに訊いたのか? だれかが教えたのか?
 それらの疑問が一塊になってサドの脳裏を巡ったが、いくら考えたところでわかるわけがなかった。
 次にサドは、これが自分の夢の続きである可能性を考えた。自分はまだ裸のトリゴヤを無意識に抱きまくらのように抱いたまま夢を見ているのではないか――。
 だがそんなはずがなかった。自分はいま、しっかりとした意識で立っている。夢の中で冷や汗を感じるだろうか。細かな脚の震えを感じるだろうか。そして、なにより、圧倒的な恐怖を感じるだろうか。
 「――どうしたサド?」静寂を破ったのは、優子だった。その声はとても遠くから聞こえたように、サドには思えた。「あたしがここにいたらおかしいか?」
 サドは恐怖で答えられなかった。言葉を発すれば、すべてを優子に見抜かれるような気がした。
 優子は表情に怒りをあらわしていない。それどころか笑顔を浮かべているように見えるくらいだ。だがサドは知っている。優子がもっとも恐ろしいのは、この表情のときだ。一見、冷静に見える優子の胸のうちは、いま満身の怒りに満ちている。優子がそれを制御せず、自分のリミッターを解除したときの恐怖をサドは身をもって知っている。
 「なんで黙ってる?」
 優子はソファに座ったままなのに、サドは自分の胸倉をつかまれ引っぱられているような威圧感を覚えた。
 なにか答えなければならない。サドは必死に考えようとした。だが、そうしようとすればするほど頭の中にはなにも浮かんでこなかった。
 優子はそんなサドの内心に気づいたのか、ふっと苦笑した。「おまえがあたしになにかを隠していることは知っていた。けど、登校してきて、さすがにびっくりしたぜ。あちこちにバリケードが組んであるわ、歩哨はいるわ……どんな祭りがはじまるかはなんとなく察しはつく。が、あたしはおまえの口から聞きたいんだ、サド。答えてくれるな?」
 「私は……」
 沈黙が怖くて、サドはようやくそれだけの言葉を発した。しかしあとが続かない。それ以上話せば、優子の病気に言及してしまいそうだった。
 「私は――なんだ?」優子はまだ笑顔のまま言った。
 「勝手な真似をして、すみませんでした」サドは頭と膝がくっつきそうになるくらいに腰を曲げ、頭を下げた。とにかく謝るしかない。なにを言われても謝り続け、優子の怒りを静めるのだ。
 「だれが謝れって言った? あたしは理由を聞きたいんだ」
 「――すみませんでした」
 そのままの姿勢で繰り返した。
 優子の病気――いや、わずかな命のことだけは知られるわけにはいかない。自分が泥をかぶって済むなら、いくらでもかぶってやる。
 しばらくの静寂があった。
 頭に血が上ってきたが、サドは我慢した。優子がいいと言うまで、そのままでいるつもりだった。優子の表情はうかがえないし、近づいてきてヤキを入れられるのではないかという恐怖もあった。いや、そうなってもかまわないから、このまま質問を切り上げてほしい。
 「――そうやっていれば、あたしがあきらめるとでも思っているのか、サド。顔を上げろ」
 サドは仕方なく姿勢を戻し、優子を見た。目の前が少しクラッと揺れた。
 「おまえがなぜ、あたしにこの祭りのことを黙っていたか――だいたいのところは察しがついている。あたしの病気のことだろう?」
 核心を突いた優子の言葉に、サドは体を硬直させた。話をそらすべきだ。しかし、どうすればいいのか、サドにはわからなかった。
 「おまえは病気のあたしの体を気遣って、あたしに負担をかけないようにと、独断で祭りの用意をした――そんなところか?」
 「――はい……」サドはからからに渇いた喉から、ようやく声を絞り出した。優子の話にサドは少しほっとしたと同時に拍子抜けをした。そのくらいの認識であれば問題はない。「優子さんには余計な心配をかけたくなかったもので……いまはなにより、安静が必要ですから……」
 よし。これでいこう。この理由で押し切るのだ。言葉にしてから、サドは最初からこの理由でよかったのだと気づいた。どうしてこんな簡単なことがわからなかったのか。あくまでも優子には安静を願うのだと言い張ればいい。残り少ない命であることに触れる必要はない。安心したせいか、口の中に湿り気が戻ってきたような気がする。サドは渇いていた唇を、そっと舌で舐めた。
 だが、そうして徐々に落ち着きを取り戻しつつあるサドを、優子の訝しげな視線が貫いた。「――なるほどな……。けど、その理由がすべてとは思えねえな」
 瞬時に、サドは悟った。
 優子はサドの言葉を信じていない――まったく。
 湿らせたはずの舌が、ふたたび渇きはじめた。
 「おまえがいつまでたっても本当の理由を言わないのなら、あたしが言ってやるよ。サド、おまえがあたしに内緒でこんなことをしているのは、あたしがもうすぐ死ぬからだろう?」


 殴られたわけでもないのに、サドの目の前に火花が散った。そして自分の立っている床が突然ゼリーのように柔らかくなったような感触があり、なにかにつかまらないと倒れそうな錯覚に襲われた。
 同時に吹奏楽部の部室がざわめいた。背後から、みんなの視線が背中に突き刺さるのをサドは感じた。
 《優子さんは知っているっ……?》
 なぜだ?
 どうして?
 いつから?
 瞬時にそれらの疑問が浮かび、サドの脳を駆け巡った。
 「図星だな」優子のかわいい八重歯が見えた。「おまえがどうして、あたしの体のことを知ったのかはわからねえが、ンなことはどうでもいい。とにかくおまえはあたしの命があとわずかだと知っていた。そして、抗争のことを知ればあたしが黙っていないと考え、すべてを自分で処理することにした。ちがうか、サド?」
 だがサドには、その言葉の意味は半分も頭に入ってこなかった。
 《もうすぐ死ぬかもしれないというのに、優子さんはどうしてそんなに平然としていられる?》
 優子の様子にいつもとちがった様子は微塵もないのだ。
 《たった十八年しか生きていないのに。人生の楽しみはこれからなのに。それなのに、なぜ……》
 自問するサドだったが、答えには薄々気づいている。
 それが大島優子だからだ。
 目の前に堂々と座り、なにものも寄せ付けない王――大島優子。
 みずからの死すら、大島優子を動じさせることはできない。
 それほどの人物だからこそ、サドは大島優子に従い、そして愛したのだ。
 サドは恥じた。
 自分如きの小さな人間が、大島優子の命を守るなどと考えたことを……。
 「BINGO! ……だな」優子はまた笑った。あの屈託のない笑顔で。
 「優子さん……どうして……それを……?」
 サドはなんとか、それだけの言葉を絞りだした。この部屋にいる、すべての者を代表した問いかけだった。
 「自分の体のことは自分がいちばんよくわかる。頭痛や立ちくらみは毎日だし、痛みも尋常じゃねえ。ここんとこ食欲もなくなってきてる。しかも医者や看護士は腫れ物に触るみたいにオドオドして、あたしのむちゃくちゃな要求にも応えようとする。あたしが入院しているヤクザたちとつるんで博打をしても、無断外出をしても、おかまいなしだ。残り少ない命を好き勝手に使わせてくれているんだろう」優子はゆっくりと話しすと一息置いて、「サド、あたしをかわいそうだと思うか? あと一ヶ月も生きられそうにない、たった十八年しか生きられなかった、あたしを?」
 《もちろんだ》
 サドは間髪いれず、そう思った。しかし、即答できなかった。
 十八年――たった、十八年。
 人生が楽しくなるのはこれからだ。
 健康であれば、たくさん遊び、たくさん愛をはぐくみ、たくさん笑える――これから数十年間も……。
 なのに、もうじき優子さんは死ぬ。
 かわいそうに決まっている。
 「おまえの気持ちは顔に書いてあるな。いや、おまえだけじゃねえ。シブヤ、ブラック、アニメ、昭和、ジャンボ、ライス――おまえらもそうだな」
 だれも返事をしなかった。サドは振り返らなかったが、みんなの表情がこわばっているのが空気で伝わってくる。
 「――ところが、あたしはそうは思ってねえんだよ」そのときの優子の瞳に、ウソや強がりはなかった。サドにはわかる。大島優子はそんなことをする小さな人間ではない。「むしろ、あたしをかわいそうだと思ってる、てめえらのほうがよっぽど哀れだ。なんにもわかってねえ。いいか。人間なんて死ぬときは簡単に死んじまうもんだ。本当にあっけない。さっきまでピンピンしていたやつが、一分後に車にはねられて死ぬ。ケンカで刺されて死ぬ。風呂場で足を滑らせ打ち所が悪くて死ぬ。乗っていた飛行機が落ちて死ぬ。家が燃えて逃げ出せずに死ぬ――あるいは、とんでもねえ災害に巻き込まれて、な……。そんなことはだれの身に起こってもおかしくねえ。てめえらの命を担保してくれるモンなんて、この世界にはなにひとつねえんだ。明日、てめえらが生きてるってだれが断言できる? 明日、あたしが死ぬってだれが言い切れる? 病気の進行が理由もわからず突然止まった例なんて山ほどある。あたしはこれから何年も生きるかもしれない。そして、てめえらは明日死ぬかもしれない。だれにもわからねえ。ただ、ひとつだけ絶対揺るがねえもんがある。いま、この瞬間、あたしたちは生きているってことだ」
 だれかがすすり泣く声が聞こえた。
 「なんの根拠もなく明日が来ると信じ込んでいるから、目の前の病気の人間を哀み、日常が薄くなる。あたしがかわいそうなら、てめえらはもっとかわいそうだ。自分の命がこの先何十年も続くと勝手に思い込んでいるんだからな。いいか、今しかねえんだ。だれにとっても、命はこの一瞬一瞬にしか存在しねえ。そしてだれもがいずれ死ぬ。だからこそ、生きるってのはキラキラしてんだろ。それが――あたしがここにいる理由だ」
 すすり泣きの音が幾重にもなり、そのときサドは自分が涙を堪えていることに気づいた。意識していないのに、サドはいつのまにか歯を食いしばり、泣くまいと耐えていた。
 「サド」優子に呼ばれ、サドは伏せていた顔を上げた。「てめえのやったことは、あたしの時間を勝手に使ったのと同じ――本当なら、みんなの目の前で半殺しにしなくちゃいけねえほどの大罪だ。けど、その分、おまえはあたしが持つべき荷物をひとりで背負っていた。それに免じて今回だけは見逃してやる。重かっただろう、サド? でも安心しろ。その荷物、あたしが半分背負ってやる」
 涙腺が決壊し、サドは膝から崩れた。
 自分がいかに小さい人間かを思い知らされ、それでも自分を愛し続けてくれている優子の心の大きさに、サドは再び堕ちた。神社でタイマンを張った、あの日と同じく――。
 そしてもはや、どんな説得もウソも脅しも、この世界のだれも、優子の命をかけた決心を変えることはできないと、サドは悟った。
 「すみません……優子さん、すみませんでした……」四つんばいになったサドは、その姿勢からゆっくりと頭を下げた。床に額をこすりつけるように心の底から詫びた。そうすることしかできなかった。涙と鼻水がだらしなく流れ、床にぼとぼとと落ちていく。
 「サド、頭を上げろ。そして立て。ラッパッパのナンバー2が人前でそんな姿見せんじゃねえ」
 優子の叱咤にサドは従った。とてつもない安堵が今まで感じていた恐怖を滲むように包んでいき、それにともなって体全体に力が戻ってきた。涙でにじんで、優子の顔をはっきりと見られなかったが、サドには優子が微笑んでいるとわかった。
 「おまえに涙は似合わねえ」優子が体を伸ばし、サドになにかを差し出してきた。
 ハンカチだった。
 サドはそれを恭しく受け取り、涙と鼻水を拭った。いつも優子が漂わせている微かな甘い女の匂いがした。
 それで少し気分の落ち着いたサドは、背後を振り返った。
 全員が泣いていた。
 シブヤは口をヘの字に曲げ、斜め上を見上げるようにして大きな瞳を見開いていて、そこからは止めどなく涙が溢れている。ブラックは深くうつむいており、長い髪が表情を隠していたが、そのあいだから涙が落ちているのが見える。
 昭和は泣くのをこらえようとしているのか、開いた唇のあいだから食いしばった歯が覗き見えるが、それでも垂れた目からは涙が流れている。アニメは眼鏡を外し、しきりに溢れる涙を拭いている。ライスは泣き顔なのか笑顔なのかわからないほど表情が崩れている。ジャンボは嗚咽していて、涙よりも鼻水の処理に追われている。
 みんなわかっているのだ。
 この闘いが優子の命を縮めることを――。
 それでも優子を求める、自分たちの身勝手な残酷さを――。
 「おいおい。おまえら、これから祭りが始まるってのに辛気臭せえぞ」優子の明るい声が響いた。それはさらにみんなの心に響いたのか、鼻水をすする音と鳴き声がより大きくなった。「派手にやろうぜ、派手に」
 「――はい」自分以外のだれも答えられないと思い、サドはうなずいた。
 「それにな。そろそろ泣きやんでおかねえと、くしゃくしゃになったみっともねえ顔をあいつに見られることになるぜ」
 「――えっ……」
 「ほら。ちょうどいいタイミングでやってきた……」
 優子が部室の扉に視線を向けたので、サドもみんなもそちらを見た。
 扉の向こうから、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。サドにはその歩調と強さで、それがだれのものなのかすぐにわかった。サドの推測が当たっているとしたら、それはここへ来るはずのなかった人物だった。
 《――まさか……。なぜだ?》
 足音が止まり、扉をノックする音が部室に響いた。
 「待ってたぜ」
 優子がそう言うと、ジャンボが小走りで扉に駆け寄り、それを開いた。

 前田敦子がいた。

 わかってはいたが、それでもサドは息を呑んだ。
 前田は小さく一礼し、部室へ入ってきた。
 「あたしに今日のことを教えてくれたのは前田なんだ」
 優子の言葉に、サドはさっきから引っかかっていた《なにか》の正体に気づいた。前田が優子にこのことを知らせる可能性を失念していたのだ。あるいは前田を、まだ一匹狼だと誤解していた。サドとタイマンを張り、熱い拳を交わした前田はいまはもうダチのひとりだった。前田はアリ女との件も知っているし、優子と接点もある。前田が優子にこのことを教えてもなんら不思議はない。サドが口止めをしていたとしても、前田は己の責任において優子に伝えただろう。悔しくて妬ましいが、前田と優子もダチなのだから――。
 サドの横まで来たとき、前田はそれ以上前に出てもいいのかどうか躊躇したように見えた。サドは自分が一歩下がり、前田を促した。
 「ありがとな……前田」
 優子が立ち上がって、前田に袖をめくった右手を差し出した。
 前田と優子の手が重なった。
 現在の、マジ女の実質的ナンバーワンと実力的ナンバーワンが共闘する――。
 サドの胸に複雑な思いが去来する。本来全面的に頼られるべきは自分だという思い。優子に頼られている前田への嫉妬。しかし自分の力ではどうにもならなかった事態。
 喜ぶべきなのに、小さな怒りを感じる。
 「私で――お役に立てますか?」前田が握手をしたまま言った。
 「もちろんだ。おまえが来てくれたなら、どんなやつが相手でも負けやしねえ。そうだろ、サド?」優子が微笑んで、サドを見た。
 「――はい……」
 サドは頷きながら、前田に視線を向けた。サドが土下座をしても首を縦に振らなかった前田がここに来た本当の理由はわからない。しかし、その決断の一助にはなったかもしれず、サドはそれでもよかった。なんであれ、前田が来てくれたことに変わりはない。
 優子は前田から手を離して、「今朝、前田からメールをもらってな。看護士にはちょっくら散歩に行くって言って、そのままトンズラだ。制服、病室に置いといて正解だったぜ」
 「あとで怒られますよ、優子さん」
 「もうじき死んじまうんだから関係ねえよ」
 笑えない冗談だが、自分の命すらネタにしてしまう優子の強さに、サドは苦笑した。
 「それと病院から来る途中でゲキカラに電話しといたぜ。じきに来るはずだ」
 「――ゲキカラが?」ある意味で、前田がここに来たことよりも衝撃的な優子の言葉に、サドは驚いた。「あいつが電話に出たんですか? どこにいたんです?」
 「ああ。昨日ひょっこり病院に現われたんで訊いたんだが、留年しそうなんでしばらく自宅で勉強してたんだと。だれかから連絡が来ると気がまぎれるから携帯も電源入れてなかったそうだ」
 「そんなことだったんですか……」知ってみればなんということのない平凡な理由だ。ゲキカラは普段から登校してもろくに授業に出ず、ケンカ三昧の日常を送り続けている。留年しないほうがおかしい。そのツケが、よりによってこんな時期にまわってきていたというのは、ゲキカラらしいといえばゲキカラらしい。
 「閉じこもって慣れない勉強をしてたから、ストレスが溜まってたんだろうな。今日の祭りの話をしたら、一も二もなく来るって言ってたぜ」
 優子の言葉を聞いているうちに、サドの気分は少しずつ高まっていった。
 今回の作戦で懸念していた、マジ女の『最強』と『最狂』が参戦するのだ。
 サドは拳を握りしめた。
 《これで――勝てる……》
 もちろん勝てるとしても、楽勝というわけにはいかないだろう。油断は禁物だ。前田やゲキカラでさえ苦戦するかもしれない。しかし、それでも勝利の確率が格段に高くなったことはまちがいない。なによりも、精神的支柱としての、優子の存在が大きい。サドにとっても、ラッパッパにとっても、マジ女の全生徒にとっても――。
 「――どうだ、サド? これで勝てるか?」
 「勝てるもなにもありません。優子さんが来てくれただけでも、みんなの心の支えになります」サドはそこで前田を見た。「もちろん前田も――」
 前田はサドの視線に気づき、小さくうなずいた。
 「それなら来た甲斐があったってもんだぜ」優子は一歩前に出た。「みんな安心しろ。どんな相手だろうと、あたしたちは勝てる」
 「はいっ」
 吹奏楽部部室にいる全員の力強い声が重なり、ここ数日間部室に留まり続けていた張りつめていた空気を吹き飛ばした。
 優子の存在がいかに大きなものか――サドはあらためて思った。自分の器では、けっして大島優子には及ばない、と。
 「――優子さん」シブヤが唐突に言った。「全校生徒に向けて、優子さんの声を聞かせてあげてください」
 名案だ、とサドは思った。シブヤを見ると目が合ったのでうなずいた。ブラックもその横で納得のいった顔をしている。
 「生徒会には私が――」サドは言いながら携帯電話を取り出し、峯岸みなみの電話番号をアドレスから探し始めた。そして同時に歩き出した。
 ――そのときだった。
 ザザザザ――と、その行く手を阻むものがいた。
 アンダーガールズ――アニメ、ジャンボ、昭和、ライス――の四人だ。
 しかも、四人はやや腰を落とし、両手でファイティングポーズをつくっている。
 サドの脳裏に一瞬、反乱という言葉が浮かんだ。しかし、このタイミングでアンダーガールズたちがそんなことをするわけがない。いや、どんなときであっても、この四人が優子への忠誠を破るわけがなかった。
 「どうした、おまえたち?」優子は余裕の笑みを浮かべ、そう訊ねた。
 「優子さん」アニメが言った。「もうすぐ闘いが始まります」
 「知っている」
 「しかし」ジャンボが言った。「優子さんは長きに渡り、実戦から遠ざかっておいでに――」
 「あたしの腕が鈍ったとでも……」
 「畏れながらっ」昭和が小さく頷いた。
 優子はとまどいなど一切見せることなどなく、ふっと鼻で笑った。
 狭い部室の幅いっぱいに、アンダーガールズの四人が優子を扇状に取り囲む陣形をとった。サドは数歩下がって、優子が自由に動ける空間をつくった。
 前田がサドに不安な色を浮かべた視線を向けた。サドは小さくうなずいて、大丈夫だと伝えた。
 四人が束になってかかったところで優子に勝てる見込みなど百万分の一もない。しかしそれでも、四人は優子のリハビリ代わりにみずからの肉体を捧げようとしている。これこそアンダーガールズの忠誠心の証だった。これだけの判断を自分たちだけでできるようになった四人に、サドは敬服する思いだった。
 四人は互いに顔を見合わせ、間合いを計っていた。
 一方、優子は堂々たる立ち姿のまま、四人を順に見回した。
 「よし。全力でこい」
 優子の言葉が開戦の合図だった。
 まずは昭和が優子の左側から襲いかかった。その回し蹴りは、くるぶしまであるロングスカートが遠心力で広がり、太ももまで見えるほどのスピードで放たれた。
 そのコンマ五秒後に、今度は優子の右側からライスが突進した。昭和の蹴りを避けようと、体をひねった優子にカウンターの左ストレートを叩き込もうという作戦のようだ。
 しかし優子は、命の火がもうすぐ消えようかという人間とは思えない素早さを見せた。胸の辺りに迫った昭和の蹴りを右回りに回転して難なく避けると、その遠心力を利用して蹴りを放ち、ライスの土手っ腹にローファーの爪先を喰らわせた。優子に指一本触れられなかったライスは、部室の壁に弾き飛ばされた。
 しかし――ライスは囮だった。
 最初の回し蹴りがかわされることを見抜いていたであろう昭和の、今度は脚払いを狙った低い回し蹴りがそのとき優子に襲いかかった。体を低くした昭和の攻撃は、ライスへの攻撃に気をとられている優子の背後の完全な死角に入っている――はずだった。
 だが、まるで背中に目があるかのように、優子は昭和の回し蹴りによる脚払いを、三歩退いてかわした。驚いた昭和は目に動揺の色を浮かべた。
 攻撃の第三陣は、昭和の足払いの直後にやってきた。アニメが大胆にも優子の左腕をつかみ、そのまま引き寄せると腹への膝蹴りを放ったのだ。
 これはさすがにヒットする間合いだとサドは思った。しかし優子は少しもあわてず、自由になっている右手でくの字に曲げられたアニメの脚をつかみ、それをすくい上げると同時にアニメのもう一本の脚を払った。体勢を崩したアニメは背中から床に激しく落ちた。その腹に優子がストンピングの追い撃ちを加え、アニメは悲鳴を上げた。
 その優子の背中を、二度の攻撃をかわされた昭和がまたもや襲った。これで三発目となる回し蹴りだ。腰の位置の高さで、いままで以上のスピードを持った蹴りだった。アンダーガールズとはいえ、ラッパッパに所属している昭和の蹴りは、たとえれば歌舞伎シスターズのそれの数倍の破壊力を持っている。直撃を食らえば、常人なら骨折してもおかしくないほどだ。
 さらに、それを援護するかのごとく、優子の正面からはジャンボが接近していた。これで優子は、仮に背後からの昭和の蹴りを察知したとしても、前にも横にも避けることはできない状況に置かれてしまった。
 優子は頭をほんの少し頭を横に向けた。昭和の攻撃を確認したらしい。
 ジャンボは優子との身長差を生かし、優子の射程距離外から右ストレートを打ち込もうとしている。
 「あぶないっ」隣にいる前田が小さく叫んだ。
 「大丈夫だ」サドは答えた。
 次の瞬間――優子は舞った。
 昭和の回し蹴りの進行方向へ体を回転させつつ、紙一重でそれをかわしたのだ。不思議なことにその動きは、サドにはスローモーションに見えた。遠心力で広がるロングスカートは、ケンカの最中だというのにとても美しく思えた。
 優子がもともといた場所に放たれた、ジャンボの右ストレートは虚空を突き進んだ。その射線上には、回し蹴りを空振りした昭和がいた。ジャンボの攻撃がカウンターで昭和に入りそうになったそのとき、優子のケンカキックがジャンボの側頭部に叩き込まれた。瞬時に白目を向いたジャンボはそのまま膝からくず折れた。
 度重なる空振りをした昭和は、目の前で気絶したジャンボを見て顔色を変えた。優子は電撃的なスピードで昭和の前に移動し、渾身の左フックをその腹に打ち込んだ。体を二つに折った昭和は、口から液体を吐き出した。
 優子はふっと笑って、昭和の腹をえぐった左腕を抜いた。支えを失った昭和は前のめりに倒れていき、やがて床に寝転がった。
 「――他愛ない」
 最初に昭和が優子に襲いかかってから四人が倒れるまで、わずか十秒たらずの出来事だった。
 「完璧……です。優子さん」
 サドは圧倒された。華麗な動きと、それに反比例するかのような力強い攻撃。これが死期の迫った人間の身体能力か――いや、だからこそなのかもしれない。炎が消える直前に、もっとも輝くように。
 「だろ?」優子はあの人懐っこく笑った。
 もう何百回と見た、その笑顔に、サドは安心とわずかな不安を感じた。優子はたしかに闘える。だが――この動きはあきらかに命を削っている。
 「けどよ。こいつらの動きも前よりよくなってるな。おまえが教えたのか」
 「少しだけ。しかしこれは彼女たちの努力の賜物です」
 アンダーガールズの四人が手を抜くことなく全力で闘ったことが、サドは心からうれしかった。
 「いや。なにより、おまえたちはよくやってくれた」優子は床に転がりうめいているアンダーガールズの四人を見た。「この闘いが終わったら、全員抱いてやる」
 「優子さん」突然、前田が言った。「――ご無理はなさらずに……」
 「なあに、ちょろいもんさ」
 そのとき、タイマン部屋に通じる扉が大きな音を立てて開いた。
 ボサボサのロングヘアのまま、まぶたをこすりながら、トリゴヤが立っていた――脚元にスリッパをつっかけただけの全裸で。「もー……朝からドッタンバッタンうるさいよぉ……なにしてんのぉ……」
 窓から入る陽光が、トリゴヤの淫靡な肢体を照らしていた。形のいい張りのある乳房と、その先端の美しい乳首、ゆるやかな腹のライン、小さな面積にうっすらと密集する柔らかい陰毛、適度な太さを持った太もも――。それら、女の肉体にしか存在しない体の曲線は、部屋にいた全員の視線を浴びることによって、より輝きを増しているようだった。
 「よお、トリゴヤ。久しぶりだってのに、そんな格好とはな……。また抱きたくなるじゃねえか」
 半分ほど寝ぼけているような表情のトリゴヤだったが、優子の言葉にはハッとして一瞬で完全に目を覚ましたようだった。「え。え。えっえっ。なになに。なんで優子さんがここにいんの?」
 ピリピリとした状況に突然現われた全裸の女のエロさと間抜けさに――それこそがトリゴヤだ――、サドは声を上げて笑った。つられて優子が笑い、シブヤとブラックも笑いはじめた。あの前田までも、口元に笑みを浮かべている。
 きっかけは全裸のトリゴヤではあるが、サドが笑えたのはそれだけが理由ではなかった。優子とともに闘えることの喜びの感情が、笑いというかたちになったのだった。
 なによりも、大きく開いた口からチャームポイントの八重歯を見せ、だれよりも笑っている優子を見ると、サドはそれだけで幸せな気分になった。
 しかし、サドは見逃さなかった。笑顔の優子が、体のどこかが痛んだのか、一瞬だけ表情を曇らせたことを――。
 その原因がアンダーガールズとの闘いかはわからない。だが、もはやそんなことを指摘するつもりはなかった。
 サドは決めたのだ。
 命尽きようとも、優子とともに闘う――と。


  【つづく】

COMMENT - 4

上戸ともひこ  2012, 10. 20 [Sat] 06:32

>トマトさん
 ワクワクしてもらえてよかったです。次もじっくり……でも、なるべく早く仕上ますのでよかったら読んでください。

Edit | Reply | 

トマト  2012, 10. 20 [Sat] 00:29

待ってましたよ!ワクワクが止まりません!


次もじっくり書き上げてくださいね。応援してます。

Edit | Reply | 

上戸ともひこ  2012, 10. 19 [Fri] 23:14

第63話あとがき

 長らくお待たせしました。章としては過去最長となり、読み応えもあると思います。楽しんでいただけたのならうれしいですが…。
 今回でほぼすべての役者が揃い、次からはいよいよ闘いが始まります。そこからは怒涛の展開…になることを、ぼく自身がいちばん願っていたりします(笑)。
 まだ、どのくらいかかるかわかりませんが、よろしければお付き合いください。

Edit | Reply | 

上戸ともひこ  2012, 10. 19 [Fri] 07:33

あとがき

たいへんお待たせしました。
やっと終わりました。
ひとつの章としては過去最長となりましたが、お待たせした分、楽しんでいただければ幸いです。
それから、また今回も、大好きなマンガのオマージュをいれさせてもらいました。

次回もすぐに書き始めますので、完成次第、またアップいたします。

Edit | Reply | 

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