■決戦―1■
馬路須加女学園三階の生徒会室に置かれた三十台ほどの携帯電話のいくつかが、ほぼ同時にけたたましく鳴りだした。
テーブルに就き、それを待ちかねていた生徒会役員たち――小木曽汐莉、高柳明音、桑原みずき――は携帯電話をひったくるように取り上げ、通話を始めた。
峯岸みなみは反射的に立ち上がり、喉の渇きを潤わそうと唾液を飲み込み、三人の報告を待った。
少しすると小木曽がこちらを見て無言でうなずいた。峯岸は握りしめていた自分の携帯電話を開き、サドの番号を呼び出そうとボタンを押したが、指先が震えてうまく操作できず苛立った。その間に、生徒会室に隣接している放送室の扉の前でスタンバイしていた佐藤すみれが、放送室へと脱兎のごとく突入した。
峯岸は落ち着こうと、いったん携帯から指を離して、高柳に訊ねた。「方角は?」
「正門です」
「数は?」
「確認されただけでも五十人です」
「少ないわね」
「少数精鋭?」
「あるいは後続が……」
峯岸の声は、佐藤が放送を始めたサイレンにかき消された。
あらかじめ知らされていたとはいえ、突如鳴り響いたサイレンの音に、教室は騒然となった。多くの生徒が、敵の姿を見ようと窓際に殺到した。
机の上に座り、このときを待っていたバンジーは無言で元チームホルモンのメンバーと目を合わせた。ウナギ、アキチャ、ムクチの三人は黙ってうなずいた。四人は一斉に立ち上がった。
数十人の生徒が群がっている窓際には立錐の余地もなかったので、バンジーは近くにあっただれかの机の上に乗り、立ち上がって同級生の頭越しに外を眺めた。
まず気づいたのは、空の暗さだった。さっきから学校の上空を旋回している鳥の数はいつの間にか数百にまで増え、それが校庭や校舎に影を落としている。鳴き声や羽ばたきの音もこれだけの数がいると幾重にも重なり、とても気持ちの悪い光景だった。
バンジーは視線を落とし、正門の向こうの道を見た。アリ女の制服を着た女たちが歩いている。この位置からではだれがだれだか判別できなかったが、あの中に朝日奈央がいるのかと思うと、バンジーの胸の中に小さな炎が上がった。
「――間に合わなかったな……」
ウナギがバンジーの体につかまりながら、机に登ってきた。
「ああ。けど、まだ始まっちゃいねえ」
「あいつが来る前に、朝日に会ったらどうする?」
「――シメる。あたしだって、あいつにやられたんだ」
「とっといてやらねえのか?」
「朝日になんて言う? ヲタが来るまで待ってろ、と?」
「そりゃそうだな」
「あいつに運があれば、あたしたちより先に朝日と遭遇するさ。なけりゃあ――あたしがシメるまでだ」バンジーは言ってしまってから、みずからの言葉に苦笑した。朝日をシメる――できるのか、あたしに……。「ま。もっとも、あたしがシメる前にだれかがやっちまうことだってあるしな」
「そりゃそうだな」
鳴り響いていたサイレンが止まり、教室の古いスピーカーからガサガサと雑音がして、峯岸みなみの声が聞こえてきた。「総員、配置について」
わいわいと騒がしかった生徒たちが、声を上げたり体をほぐしたりして気合を入れはじめた。武器を持つものはそれを持ち、足早に教室を出て行った。二年C組は一階で敵を向かえ撃つことになっている。
「あたしらも行こうぜ」
「ああ……」
バンジーはウナギに続いて机から下りた。
一階の正面玄関に構築されたバリケードを、難波から来た三人は物珍しそうに見上げていた。
「なんやこれ」山田菜々はだらしなく口を開いて、「よう作ったな……」
「さすがは関東一の高校やな」山本彩は机の足をにぎり、何度かゆすった。
「――登下校どうしてるんやろ」渡辺美優紀が小さくつぶやいた。
マユミはプリクラ、ナツミとともに、この女たちをラッパッパのいる吹奏楽部部室まで『護送』していた。一度の戦闘からうかがえた雰囲気からは、この三人がアリ女のスパイや撹乱要員である可能性はほとんどなかった。そうであれば、これほど易々と捕らえられたりしないだろうし、あんなに無防備な侵入経路をたどるはずがない。裏の裏を考えれば、だからこそそうしたとも取れるが、それを判断するのは自分たちではなくラッパッパの役割だ。
アリ女の襲撃を知らせるサイレンが鳴ったのは、階段を登ろうと一歩足をかけたときだった。階段のすぐ近くにスピーカーがあったため、音の大きさにマユミはかなり驚いた。
「なんや、うるさいなぁ……」山本彩が眉をしかめた。
「なにこれぇ……」渡辺美優紀が耳をおさえた。
「これは――まずいですね」プリクラが立ち止まった。
「どうします?」ナツミが訊ねた。
「急ぎましょう」マユミは急かすつもりで提案した。早くこの三人を人の手に渡し、自分は闘いで戦果を挙げ、トップにのし上がるチャンスを逃したくなかった。
だが、ラッパッパは開戦の準備で忙しいにちがいない。そこへのこのこと三人を連れて行ったらどうなるか。怒鳴りつけられるだけならマシかもしれない。場合によってはシメられることもありえる。なんにしても歓迎されないことだけはたしかだ。
プリクラは腕を組んだ。迷っているようだ。
と――階上から、どたどたと数十の足音が聞こえてきた。
敵影発見のサイレンとともに、マジ女の生徒全員は決められた配置につくことになっている。一年生と二年生は一階に集結して人の壁をつくり、徹底的に敵の侵入を防ぐのがその役目だ。
「今度はなんや……みんな降りてくんで」山本彩が階段を見上げた。
「――仕方ないですね」プリクラは難波の少女たちを見た。「あなたたちは私の指揮下に入ってください」
「シキカ……って、なに……?」山田菜々は、またぽかんと口を開いた。
「この人の命令に従うってことや」山本彩が説明した。
「なんでさっき会ったばっかりの人に命令されなあかんの……」
「つべこべ言うてる場合やなさそうやで」
数十の足音はいまや、階段の踊り場付近にまで響き、その直後には木刀やバットや角材を持った生徒たちがぞろぞろと現われた。生徒たちの多くは、ちがう制服を着た三人にガンを飛ばしながらも、プリクラが近くにいることに気づくと、アクションを起こすことはなかった。
「なんやのこれ……」渡辺美優紀が不安げな表情になった。
「いまから他校との戦争が始まるんです」プリクラはお天気の話をするような口調で言った。「いいときに来ましたね」
「なんかおかしな雰囲気やと思ってたけど、そういうことやったんか」山本彩は苦笑いをした。「よりによって、そんなときに来たとは……あたしら運がええのか悪いのか……」
「怖かったら体育館にでも避難するかい?」ナツミが廊下の向こうを指差し、山田菜々を見た。
「怖い? そんなことあらへんよなあ、さや姉」
「あたしは、な」
その間にも、生徒の数は続々と増えていた。いまや廊下は血気盛んな女たちであふれかえり、緊張感と高揚感の入り混じった独特の雰囲気に満ちている。
「とりあえず私たちは二階で待機しましょう」
プリクラがそう言って階段を登りはじめたとき、マユミは廊下の窓の外の異変に気づいた。
鳥――。
鳥が窓の外を飛んでいる。それだけなら異変とは言えないが、スズメ、鳩、鴉、そして名前のわからない野鳥たちが狂ったように羽ばたき、暴れまわり、何十羽もの鳥たちが空中で衝突しているさまは、どう考えても正常とはいえなかった。
何百――いや、何千もの鳥の群れは馬路須加女学園の一階から四階までを帯のように取り囲んでいるようだった。風を切る音と空気が窓ガラスを激しく揺らした。
体育館へと向かう廊下のほうから、バンッという衝撃音が響いた。マユミが頭をそちらに向けると、十人ほどの生徒たちが窓から後じさりしていた。窓に鳥が衝突したらしい。だれかが悲鳴を上げると同時に「ンだよっ」、「鳥だ鳥っ」、「気持ち悪りいっ」などの言葉が聞こえた。
それがきっかけだった。
バンッ。
バンッ。バンッ。
バンッ。バンッ。バンッ。
衝突音があちこちの窓から聞こえ始めた。音を発生させているのはもちろん鳥だった。意図的なのか、それとも数が多いために衝突してしまうのかはわからなかった。
廊下に響くざわめきは次第に大きくなり、生徒たちは徐々に廊下の窓から離れた。
マユミの胸の中に、じりじりとした恐怖が生まれつつあった。ケンカのときにはこんな気持ちを感じたことはない。どれだけ相手が強そうであっても、しょせんは人間であり、限界もうかがえる。だが、これは――。
「さ。早く」異様な光景を目にして固まってしまったマユミたちを、プリクラがうながした。
しかし遅かった。
どこかの窓ガラスが割れる音が、生徒たちで埋め尽くされた廊下に響いた。
【つづく】