上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
----------------------------
■授業で上映された『ブロークバック・マウンテン』で女生徒がトラウマ、訴訟に
(シネマトゥデイ - 05月21日 08:00)
中学2年生の女の子と保護者である祖父母が、学校の授業で『ブロークバック・マウンテン』を上映したことに対し、教師らとシカゴ教育委員会を訴えた。訴状によると12歳の女の子は映画による心理的苦痛を訴えており、カウンセリングを受けているという。この映画はR指定で、教師は保護者たちの許可を得ずに教室内でビデオを上映。「口外は禁止ですよ」とドアを閉めて映画をみせたらしい。女生徒側は50万ドル(約5900万円)の損害賠償を求めている。
----------------------------
先日、昔放送されていた『魔法のプリンセスミンキーモモ』について友だちと話していたときのこと。
この作品のエピソードの一つに、キューブリックの『博士の異常な愛情』のパロデイがある。ちょっとした勘違いで、とある国から核ミサイルが発射され、それをミンキーモモが救うというものだ。
ところがこのエピソードは、実は最終回に予定していたストーリーだと、当時、ぼくはなにかで読んだ記憶がある。しかも最終回版では、ミンキーモモは核戦争を防ぐことが出来ず、世界は核に包まれ人類が滅亡してしまうというストーリーになる予定だったという。
さすがにそれにはスポンサーから文句がきたのでやめたらしいが、もしそれが実現していたら、多くの子供たちに「すばらしいトラウマ」を残していたに違いない。
というようなことを友だちに言ったら、
「なんでわざわざトラウマになるようなストーリーにする必要があるのか」
と言われた。
別に、この友だちを批判するわけではないが(ホントですよ、O谷くん)、子供にトラウマを与えるっていけないことなのだろうか? と思った。
そもそもトラウマなんて概念はない、という学説もあるからこれが正しいかどうかはわからないけど(まあ、ここではあるものと仮定して)、人間はいろんなことを経験して心に傷を負いながら成長していく。それは実体験であったり、またバーチャルな体験であったりする。
ぼくはトラウマというのは一種の免疫力をつけることだと思っているので、強烈なものは実体験するよりもバーチャルな体験のほうがいいと考える。
たとえば死。
子供のころに死というものを正しく認識することは不可能で、なぜかといえば大人にだってそれは難しいことだから(京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』は評判悪いけど、ぼく的には傑作だ)。
昔話や童話を子供に聞かせるというのは、死という頂点の悲しみに至る経緯をバーチャルに体験させることによって、現実にそれらがおきたとき、心に緩衝を作る役目を果たしているのだと思う。
ぼくも特撮やアニメでいろんなトラウマ体験をし、こんな大人になった(笑)。おれはおれを肯定するので、それらの体験はムダどころか大いに役立っている。
ぼくには子供がいないから言える、という面もあるだろうけど、親というものは子供にトラウマを作らないように育てているらしい。緩衝材がないから、実体験でショックな出来事があったときに、一気に心を傷つけ、ときには極端な行動に走ることもあるのかもしれない。このへんは、実際に子育てをしている方がいたら聞かせて欲しいところだ。
以前、とある子を持つ父親が「『ウルトラマンネクサス』はトラウマ残りそうなんで、子供に見せたくないんですよねぇ」と言っていたのを聞いた。そして呆れた。『ネクサス』は未見だが、親が出来不出来を判断するのは傲慢だと思うし、そうして子供を安全地帯に置きっぱなしにして、それでどんな大人になるのかと考えないのだろうかと思った。なにより、『ウルトラマン』は子供向けに作られたものなのだ。なにも『テキサス・チェーンソー』を見せろ、と言っているのではない。『ウルトラマン』だよ???
おれは、こんな親に育てられなくてよかった、と思う。
冒頭のニュースは、単なるトラウマの問題ではなく、規制されているものを内緒で見せたという点が争点になるのだろうが、トラウマということが気になったので書いてみた。
勘違いしないでほしいが、子供が見たくないというものまで無理矢理見せるべき、とは思わない。この事例の場合は、そこがよくない。いいか悪いかは別として、同性愛に不快感を持つ人もいるわけだから…。ま、いかにもバカなアメリカ人が起こしそうな訴訟だ、とは思うけど(笑)。
一番のトラウマといえば、やはり性についての話を避けるわけにはいかないが、これはまた別の機会に。
■授業で上映された『ブロークバック・マウンテン』で女生徒がトラウマ、訴訟に
(シネマトゥデイ - 05月21日 08:00)
中学2年生の女の子と保護者である祖父母が、学校の授業で『ブロークバック・マウンテン』を上映したことに対し、教師らとシカゴ教育委員会を訴えた。訴状によると12歳の女の子は映画による心理的苦痛を訴えており、カウンセリングを受けているという。この映画はR指定で、教師は保護者たちの許可を得ずに教室内でビデオを上映。「口外は禁止ですよ」とドアを閉めて映画をみせたらしい。女生徒側は50万ドル(約5900万円)の損害賠償を求めている。
----------------------------
先日、昔放送されていた『魔法のプリンセスミンキーモモ』について友だちと話していたときのこと。
この作品のエピソードの一つに、キューブリックの『博士の異常な愛情』のパロデイがある。ちょっとした勘違いで、とある国から核ミサイルが発射され、それをミンキーモモが救うというものだ。
ところがこのエピソードは、実は最終回に予定していたストーリーだと、当時、ぼくはなにかで読んだ記憶がある。しかも最終回版では、ミンキーモモは核戦争を防ぐことが出来ず、世界は核に包まれ人類が滅亡してしまうというストーリーになる予定だったという。
さすがにそれにはスポンサーから文句がきたのでやめたらしいが、もしそれが実現していたら、多くの子供たちに「すばらしいトラウマ」を残していたに違いない。
というようなことを友だちに言ったら、
「なんでわざわざトラウマになるようなストーリーにする必要があるのか」
と言われた。
別に、この友だちを批判するわけではないが(ホントですよ、O谷くん)、子供にトラウマを与えるっていけないことなのだろうか? と思った。
そもそもトラウマなんて概念はない、という学説もあるからこれが正しいかどうかはわからないけど(まあ、ここではあるものと仮定して)、人間はいろんなことを経験して心に傷を負いながら成長していく。それは実体験であったり、またバーチャルな体験であったりする。
ぼくはトラウマというのは一種の免疫力をつけることだと思っているので、強烈なものは実体験するよりもバーチャルな体験のほうがいいと考える。
たとえば死。
子供のころに死というものを正しく認識することは不可能で、なぜかといえば大人にだってそれは難しいことだから(京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』は評判悪いけど、ぼく的には傑作だ)。
昔話や童話を子供に聞かせるというのは、死という頂点の悲しみに至る経緯をバーチャルに体験させることによって、現実にそれらがおきたとき、心に緩衝を作る役目を果たしているのだと思う。
ぼくも特撮やアニメでいろんなトラウマ体験をし、こんな大人になった(笑)。おれはおれを肯定するので、それらの体験はムダどころか大いに役立っている。
ぼくには子供がいないから言える、という面もあるだろうけど、親というものは子供にトラウマを作らないように育てているらしい。緩衝材がないから、実体験でショックな出来事があったときに、一気に心を傷つけ、ときには極端な行動に走ることもあるのかもしれない。このへんは、実際に子育てをしている方がいたら聞かせて欲しいところだ。
以前、とある子を持つ父親が「『ウルトラマンネクサス』はトラウマ残りそうなんで、子供に見せたくないんですよねぇ」と言っていたのを聞いた。そして呆れた。『ネクサス』は未見だが、親が出来不出来を判断するのは傲慢だと思うし、そうして子供を安全地帯に置きっぱなしにして、それでどんな大人になるのかと考えないのだろうかと思った。なにより、『ウルトラマン』は子供向けに作られたものなのだ。なにも『テキサス・チェーンソー』を見せろ、と言っているのではない。『ウルトラマン』だよ???
おれは、こんな親に育てられなくてよかった、と思う。
冒頭のニュースは、単なるトラウマの問題ではなく、規制されているものを内緒で見せたという点が争点になるのだろうが、トラウマということが気になったので書いてみた。
勘違いしないでほしいが、子供が見たくないというものまで無理矢理見せるべき、とは思わない。この事例の場合は、そこがよくない。いいか悪いかは別として、同性愛に不快感を持つ人もいるわけだから…。ま、いかにもバカなアメリカ人が起こしそうな訴訟だ、とは思うけど(笑)。
一番のトラウマといえば、やはり性についての話を避けるわけにはいかないが、これはまた別の機会に。