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マイミクの尾久セントラルくんと、松本人志監督の『大日本人』を見てきました。
東銀座の東劇は十年以上行ってないと思うし、内装はまるっきり変わっていた。座席が互い違いになっているのは見やすいし、電動マッサージ機が無料で使えるのもいい。シネコンに負けないように、いろんなことをしてるなぁと感じた。
で、感想は以下に。
【ネタバレ有り】なので、以下、反転してお読みください。
特撮魂溢れる作品である。
そんな映画を、ぼくがつまらないと思うわけがない。
大満足でした。
この作品を特撮映画にジャンル分けするつもりはないけれど、松本の特撮に対する愛情が絵になっていて、見ていて頬が緩んでしまう。
大日本人という存在が巨大化した人間のことで、それが獣と肉弾戦をするのだから、これは絵としては特撮映画の王道だ。一年前に見た『小さき勇者たち』なんてクソ映画よりも、よっぽど特撮に対する真摯な姿勢がうかがえる。
『小さき勇者たち』や『平成ゴジラ』という王道の「特撮映画」に、作り手の特撮魂が感じられず、『大日本人』にそれがあるのは皮肉だが、作り手の愛情やオマージュの深さの問題なのだろう。松本はラジオでよく特撮の話をするし、今まで彼が作ってきたコントにも怪獣映画やヒーロー物のパロディが多い(同様に共同脚本の高須光聖も)。
ぼくは冒頭で特撮魂という言葉を使ったが、これは単に絵的なことだけを指しているのではなく、ヒーローや怪獣の悲哀やおかしさ、世界との関わりを含んでいる。このへんのニュアンスは、特撮好きの方にならわかってもえるだろうが、それをきちんと説明すると大変なので今回はやめておく。
そんな堅苦しいことを抜きにしても、松本人志という異才が作った処女作としては成功していると思う。
笑いという点においても爆笑はないものの、じんわりと染み入ってくる悲しみの笑いともいえべき、松本の真骨頂が見られる。特に主人公の別れた妻やマネージャーとのやりとりに、いかにも松本的な悲哀がある。
そう考えていくと、この映画は松本人志がいままでにやってきたことの集大成と言えるだろう。しかし、もちろん映画ならではの手法もある。
それは、全編をドキュメンタリー風に撮るというものだ。ドキュメントならテレビでも可能だが、それと特撮部分を乖離せずに作るには「映画」というスケールが必要なのであって、ネットの感想を読んでいると「テレビの域を脱していない」という批判もあったが、的外れな意見だと思う。
それは松本の映像感覚の確かさゆえだし、手法としても正しかった。この物語を普通に語っていくと、おそらく時間がかかり、冗長になってしまう。長い映画は嫌いと自身でも言っているように、松本はそれは避けたかっただろう。
そこで彼が選択したのが、特異な世界観を主人公に語らせてしまうという思い切った方法だ(とはいっても説明的なセリフは一切ない。むしろ序盤は観客を放ったままストーリーが進行する)。これは考えついてもなかなかできるものではない。
残念なのはそれが徹底されていないこと。映像で心象風景を表そうとするあまり、だれの視点かわからないカットが多くあるし、戦闘シーンは普通の特撮映画同様の視点になってしまっている。ドキュメント風にするのなら、あくまでも「カメラという視点」はぶらすべきではなかった。普通の映画ならまずありえない、ガラスにカメラが写ってしまっているシーンもそのまま残っているのだから、ここを徹底すればもっと良い出来になったと思えるだけに惜しい。夜中に大佐藤家に電話がかかってくるシーンや、クライマックス前の大佐藤家突入シーンはだれの視点なのかがわからないし。でも、処女作に完璧を求めるのは、相手がいくら天才・松本人志の作品であっても酷というものだろう。
もっとも議論を巻き起こすと思われる、大オチのスタジオコントだが、ぼくは素直に受け入れることができた。いままでの1時間50分は壮大なフリか、と思わせる、いかにも松本らしいではないか。
自分の作った世界をブチ壊すことは、それがよくできていればいるほど覚悟が必要なのだが、松本は惜しげなくそれをやってのける。賛否が分かれることを見越し、それ故話題になるだろうという計算があったのではないか。それでも普通ならやらないし、思いついても覚悟ができないだろう。これを、映画としてダメ、という人の気持ちもわからないではないが、映画だからこそ生きるわけで、これをそのまんまテレビでやったら効果が半減してしまう。松本は首尾一貫して、これが映画だと意識している。
松本と高須はラジオで『放送室』という番組をやっているのだが、これは『放送室』の映画化であるようにも思える。
番組ではアメリカを嫌いと公言している松本をなだめる高須という、ひとつのパターンがあるのだが、『大日本人』でも松本の反米感が描かれている(セリフにもされている)。
赤い鬼=北朝鮮、それが襲ってきたときにどうしようもなく逃げるだけの大佐藤=日本人、そして最後には強大かつ圧倒的な武力で日本を救いに来るヒーロー…。単純化されてはいるものの、普段から松本の話を聞いていると、この図式をあのように描く自虐的な意味合いがより一層理解できる。
ただ、エンディングでの「ごっつ風」コントでは、そのキャラクターから「アメリカ」が完全に省かれてしまっている。彼らの言うことはほとんどが日本人的で、キャラクターを別のヒーローに置き換え可能な点は気になった。もっとも、ここで松本が描こうとしているのは、蚊帳の外に置かれている日本という図式だろうが。それならば、倒したはずの赤鬼もここにいてダメ出しをされるほうがよかったように思う。
キャスティングの話をすると、主演の松本はもちろん好演しているし、UAの乾いた感じはすばらしい。これをこのままコントにするのならYOUがやりそうな役だ。
防衛庁の役人や、街頭インタビューの人たちの「演技」もよかった。多分、あれは映画とは関係ない質問に答えてもらい、それを撮っているのだと思う。特に役人が命について語るシーンは、脚本では書けないセリフと間合いで、あれが演技だとしたら相当すごい(笑)。
エンディング画面での、宮迫博之と宮川大輔もすばらしい。「ごっつ」にはああいうかたちで出ていない二人が、あそこまできちんと「ごっつ風」にできるとは…。特に宮川が浜田っぽく徐々にキレていく感じがいい。
…って、うまくまとめられてないなぁ、これ。
いずれ書き直すかもしれないけど、とりあえずアップしときます。
で、時間があったら、もう一回劇場で見てきます。
なんにしても、しばらくぶりに見終わった瞬間にもう一度見たい、と思わせてくれる映画でした。
東銀座の東劇は十年以上行ってないと思うし、内装はまるっきり変わっていた。座席が互い違いになっているのは見やすいし、電動マッサージ機が無料で使えるのもいい。シネコンに負けないように、いろんなことをしてるなぁと感じた。
で、感想は以下に。
【ネタバレ有り】なので、以下、反転してお読みください。
特撮魂溢れる作品である。
そんな映画を、ぼくがつまらないと思うわけがない。
大満足でした。
この作品を特撮映画にジャンル分けするつもりはないけれど、松本の特撮に対する愛情が絵になっていて、見ていて頬が緩んでしまう。
大日本人という存在が巨大化した人間のことで、それが獣と肉弾戦をするのだから、これは絵としては特撮映画の王道だ。一年前に見た『小さき勇者たち』なんてクソ映画よりも、よっぽど特撮に対する真摯な姿勢がうかがえる。
『小さき勇者たち』や『平成ゴジラ』という王道の「特撮映画」に、作り手の特撮魂が感じられず、『大日本人』にそれがあるのは皮肉だが、作り手の愛情やオマージュの深さの問題なのだろう。松本はラジオでよく特撮の話をするし、今まで彼が作ってきたコントにも怪獣映画やヒーロー物のパロディが多い(同様に共同脚本の高須光聖も)。
ぼくは冒頭で特撮魂という言葉を使ったが、これは単に絵的なことだけを指しているのではなく、ヒーローや怪獣の悲哀やおかしさ、世界との関わりを含んでいる。このへんのニュアンスは、特撮好きの方にならわかってもえるだろうが、それをきちんと説明すると大変なので今回はやめておく。
そんな堅苦しいことを抜きにしても、松本人志という異才が作った処女作としては成功していると思う。
笑いという点においても爆笑はないものの、じんわりと染み入ってくる悲しみの笑いともいえべき、松本の真骨頂が見られる。特に主人公の別れた妻やマネージャーとのやりとりに、いかにも松本的な悲哀がある。
そう考えていくと、この映画は松本人志がいままでにやってきたことの集大成と言えるだろう。しかし、もちろん映画ならではの手法もある。
それは、全編をドキュメンタリー風に撮るというものだ。ドキュメントならテレビでも可能だが、それと特撮部分を乖離せずに作るには「映画」というスケールが必要なのであって、ネットの感想を読んでいると「テレビの域を脱していない」という批判もあったが、的外れな意見だと思う。
それは松本の映像感覚の確かさゆえだし、手法としても正しかった。この物語を普通に語っていくと、おそらく時間がかかり、冗長になってしまう。長い映画は嫌いと自身でも言っているように、松本はそれは避けたかっただろう。
そこで彼が選択したのが、特異な世界観を主人公に語らせてしまうという思い切った方法だ(とはいっても説明的なセリフは一切ない。むしろ序盤は観客を放ったままストーリーが進行する)。これは考えついてもなかなかできるものではない。
残念なのはそれが徹底されていないこと。映像で心象風景を表そうとするあまり、だれの視点かわからないカットが多くあるし、戦闘シーンは普通の特撮映画同様の視点になってしまっている。ドキュメント風にするのなら、あくまでも「カメラという視点」はぶらすべきではなかった。普通の映画ならまずありえない、ガラスにカメラが写ってしまっているシーンもそのまま残っているのだから、ここを徹底すればもっと良い出来になったと思えるだけに惜しい。夜中に大佐藤家に電話がかかってくるシーンや、クライマックス前の大佐藤家突入シーンはだれの視点なのかがわからないし。でも、処女作に完璧を求めるのは、相手がいくら天才・松本人志の作品であっても酷というものだろう。
もっとも議論を巻き起こすと思われる、大オチのスタジオコントだが、ぼくは素直に受け入れることができた。いままでの1時間50分は壮大なフリか、と思わせる、いかにも松本らしいではないか。
自分の作った世界をブチ壊すことは、それがよくできていればいるほど覚悟が必要なのだが、松本は惜しげなくそれをやってのける。賛否が分かれることを見越し、それ故話題になるだろうという計算があったのではないか。それでも普通ならやらないし、思いついても覚悟ができないだろう。これを、映画としてダメ、という人の気持ちもわからないではないが、映画だからこそ生きるわけで、これをそのまんまテレビでやったら効果が半減してしまう。松本は首尾一貫して、これが映画だと意識している。
松本と高須はラジオで『放送室』という番組をやっているのだが、これは『放送室』の映画化であるようにも思える。
番組ではアメリカを嫌いと公言している松本をなだめる高須という、ひとつのパターンがあるのだが、『大日本人』でも松本の反米感が描かれている(セリフにもされている)。
赤い鬼=北朝鮮、それが襲ってきたときにどうしようもなく逃げるだけの大佐藤=日本人、そして最後には強大かつ圧倒的な武力で日本を救いに来るヒーロー…。単純化されてはいるものの、普段から松本の話を聞いていると、この図式をあのように描く自虐的な意味合いがより一層理解できる。
ただ、エンディングでの「ごっつ風」コントでは、そのキャラクターから「アメリカ」が完全に省かれてしまっている。彼らの言うことはほとんどが日本人的で、キャラクターを別のヒーローに置き換え可能な点は気になった。もっとも、ここで松本が描こうとしているのは、蚊帳の外に置かれている日本という図式だろうが。それならば、倒したはずの赤鬼もここにいてダメ出しをされるほうがよかったように思う。
キャスティングの話をすると、主演の松本はもちろん好演しているし、UAの乾いた感じはすばらしい。これをこのままコントにするのならYOUがやりそうな役だ。
防衛庁の役人や、街頭インタビューの人たちの「演技」もよかった。多分、あれは映画とは関係ない質問に答えてもらい、それを撮っているのだと思う。特に役人が命について語るシーンは、脚本では書けないセリフと間合いで、あれが演技だとしたら相当すごい(笑)。
エンディング画面での、宮迫博之と宮川大輔もすばらしい。「ごっつ」にはああいうかたちで出ていない二人が、あそこまできちんと「ごっつ風」にできるとは…。特に宮川が浜田っぽく徐々にキレていく感じがいい。
…って、うまくまとめられてないなぁ、これ。
いずれ書き直すかもしれないけど、とりあえずアップしときます。
で、時間があったら、もう一回劇場で見てきます。
なんにしても、しばらくぶりに見終わった瞬間にもう一度見たい、と思わせてくれる映画でした。