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たまには読んだ本のことなど。

 08, 2005 06:22
 この本を読みました。

底抜けブラックバス大騒動底抜けブラックバス大騒動
著者:池田清彦
出版社:つり人社
本体価格:1,200円

 池田清彦は好きな学者で、大抵の著書は読んでいる。最初に読んだのは「臓器移植我、せずされず」だった。ぼくが臓器移植に反対するのはこの本の影響であり、友だちと論議するときもこの本の知識をかなり借りている。
 人の死についてあれこれ考えるようになったのは4年前に遭った交通事故からだが、この本はそんなぼくに不思議とハマった。そもそも「死」というものを定義することさえ、実は難しいのだと、ぼくは知らなかった。池田の論理はとても根源的で、ぼくの心にすっと入り込んできた。それ故、池田の考えは理解されにくいのかもしれない。

 今日読んだ「底抜けブラックバス大騒動」は、外来魚ブラックバスを「駆除」しようとする側(おもに環境省)に対する、生物学者・池田清彦の反論である。
 ブラックバスが琵琶湖に「心無い人間」によって放たれ、その生態系を破壊している、とぼくは聞いていたのだが、どうやらそれはまちがいのようだ。
 池田は、ブラックバスを駆除しきるのは無理なことであり、仮にそれができたとしても生態系は元へ戻らない、と書く。これは、ぼくの心の中に漠然とあった疑問だった。ブラックバスを駆除したら、ブラックバスがいたことで構築されつつあった生態系が、かえって壊されるのではないか。それはリセットすることとは意味がちがうことじゃないか、と素人ながらに考えたりもした。
 また、ずっと前から「自然を保護しよう」的な物言いをする人たちを、なんとなく胡散臭いと思っていた。自然は保護していいものなのか。保護したら、それは自然ではなくなるのではないか。所詮は人間に都合のいい保護でしかないのではないかと……。
「絶滅の危機にある動物を救え」という題目にもひっかかる。人間が絶滅に関わって良いのかどうかの議論はなされたのだろうか。どうせ人間に危害を加えそうな「絶滅の危機にある動物」は放っておくくせに。
 それらに共通するのは、結局は自己満足でしかない。自分の優しさや正当性を確認するために、自然をだしにするのはやめたほうがいい。
 これは本当はブラックバスやバサーたちだけの問題ではない。科学的考証やデータ収集がきちんとなされないまま、バサーたちだけが悪者にされているのは気の毒だ。
 ぼくはこれが気に入らないのだ。物事の構造を善と悪に分けて考えるのはよくない。思考停止になる。
 環境保護を訴えること自体は当たり前のことだ。しかし、そのことにいいも悪いもないのだということを知らない人が多すぎる。ああ、なんか人間っておこがましいなあ。ぼくも含めて、だが。
 と、そんなことを思いました。

 コンビニで「ヤンジャン」を見たら、ほしのあきのグラビアが載っていて、それで思い出したことがあった。
 このあいだの日曜日、ほしのが出ていたテレビ番組を友だちと見ていたときのこと。ぼくが「ほしのあき、かわいいよなぁ」と同調してくれると期待しつつつぶやいたら、みんなの反応が冷たい。「そっかぁ?」と、言うのである。
 たしかに、ぼくの女の子の顔の好みは広い。野球に例えるなら、イチロー並みのストライクゾーンの広さなのだ。悪球打ちの岩鬼という人もいる。みんなが「どーよ」と謂うな女の子を「いや、かわいい」と言い張ったりするからだろう。最近では「南海キャンディーズのしずちゃんならイケる」と言ってしまった(笑)。要はマニアックなのだ。
 だけどほしのあきは、普通にかわいいのではないか?
 なんか、自分の評価に自信がなくなってきた……。

 アフィリエイト・プログラムをいろいろと見ていたら、こんなサイトがあった。↓


 よく、結婚するより離婚するほうが大変だというけど……どうやらそうらしい。いや、うちはそんなつもりないですけどね。
 それにしても、「リコン川柳」て……。

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