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正直、失敗作だと思う。
去年の『カブト』同様、いくつもの謎がほったらかされたままでお終いというのって、やっぱりダメだよなぁ。小林靖子にしては珍しい失態ではないだろうか? 白鳥が途中でいなくなったことはあんまり関係ないと思う。彼女がああなったのは大分前のことだし。修正する時間はいくらでもあった。
なにより、ぼくは「実は生きていた」パターンが嫌いなのだ。
みんな揃って最終回、というのがやりたいなら、なんでウラとキンをあんなふうに描いたのか。ネットの実況スレとか見てみたけど、「ラストでみんな揃ってよかったです」という人は前回、前々回をどう処理できるんだろう? ずっと前から思っていたけど、物語の全体を見るのではなくシーンそのものだけに反応する人って多いよね(だれに言ってるの?)。彼らにとっては全体として破綻しかねない場面でも、それが「別れ」とか「生き死に」とか「愛」を描いていれば前後の文脈など関係なく「泣ける」んだろうなぁ。はっきり言って、こういう人がたくさんいることがドラマや映画をどんどんダメにしていくと思う。
100%のものを求めるつもりはないけど、小林靖子はいつも90%以上のアベレージを叩きだしてきていただけに、『電王』は残念でならない。
去年の『カブト』同様、いくつもの謎がほったらかされたままでお終いというのって、やっぱりダメだよなぁ。小林靖子にしては珍しい失態ではないだろうか? 白鳥が途中でいなくなったことはあんまり関係ないと思う。彼女がああなったのは大分前のことだし。修正する時間はいくらでもあった。
なにより、ぼくは「実は生きていた」パターンが嫌いなのだ。
みんな揃って最終回、というのがやりたいなら、なんでウラとキンをあんなふうに描いたのか。ネットの実況スレとか見てみたけど、「ラストでみんな揃ってよかったです」という人は前回、前々回をどう処理できるんだろう? ずっと前から思っていたけど、物語の全体を見るのではなくシーンそのものだけに反応する人って多いよね(だれに言ってるの?)。彼らにとっては全体として破綻しかねない場面でも、それが「別れ」とか「生き死に」とか「愛」を描いていれば前後の文脈など関係なく「泣ける」んだろうなぁ。はっきり言って、こういう人がたくさんいることがドラマや映画をどんどんダメにしていくと思う。
100%のものを求めるつもりはないけど、小林靖子はいつも90%以上のアベレージを叩きだしてきていただけに、『電王』は残念でならない。