■作戦―1■
シブヤ、ブラック、トリゴヤの三人を背後に従え、サドは吹奏楽部の部室から三階の生徒会室へ向かっていた。
放課後の馬路須加女学園は、行き場もなく、だらだらと校内を徘徊する生徒であふれていたが、彼女たちは四人の姿を認めるなり立ち止まって頭を下げた。小競り合いをしている者たちも、サドと目が合うとすぐさま停戦した。
人が、自分にこういう態度をとることに快楽を感じるほど、サドは単純ではなかった。彼女たちは自分を恐れているのではない。単に保身のために、恐れている振りをしているのだ。そしてそれは、サドというよりはラッパッパの存在に対して向けられている。サド自身はラッパッパを構成する、ひとつの要素に過ぎない。核にあるのは言うまでもなく、大島優子だ。彼女たちはここにいない大島優子に対して頭を下げているのだ。サドはそう思う。
生徒会室は、階段を降りた正面にある。
サドはそのドアを軽くノックした。
少し間があってから、生徒会副会長――佐藤すみれの声がした。「だれ?」
「私だ」サドは短く言った。
また、しばらくの間のあとに、ドアは部屋の中から開けられた。ノブをにぎっているのは、生徒会ナンバー3の権力を持つといわれている書記長の平松可奈子だ。平松は生徒会の中で諜報活動を担当している。
「――どうぞ」平松はサドにいぶかしげな視線を向けながらもそう言った。
「邪魔するぜ」サドは平松の横を通り、生徒会室の中へ入った。シブヤ、ブラック、トリゴヤの三人もあとに続いた。
生徒会室は小さな縦長の部屋で、ドアの正面に壁に窓があり、中央に大きなテーブル、そして両方の壁にはたくさんの資料が並んだロッカーが置かれていた。間近に迫った卒業式に関する書類が広げられたテーブルの真正面に、馬路須加女学園生徒会会長峯岸みなみの姿があった。その左横には佐藤が座り、平松と同じ意味をこめた視線をサドに向けていた。
「どうも、サドさん」峯岸は立ち上がって軽く頭を下げ、椅子に座るよう片手でうながした。「今日は、なんの用?」
ブラックが椅子を引き、サドを座らせた。シブヤ、ブラック、トリゴヤの三人は立ったままだ。
「うちの生徒たちが次々とアリジョの連中にシメられていることは、おまえも知っているだろう?」平松が峯岸の右隣に座るのを横目で見つつ、サドは言った。
「ええ」峯岸は頷いた。「かなり劣勢ですってね」
「さすがは生徒会だな。よく知っている」サドはちらりと平松を見た。おそらく、この女がその情報を提供しているのだろう。
武力を持たない生徒会がこの学園で正常に機能しているのは、文化祭や体育祭といった行事や部活動の予算決定権をにぎっているからだが、それ以外にも理由があった。
長年にわたって継承されてきた諜報活動により、生徒会は馬路須加女学園全生徒のプライバシーに関する情報を常時収集している。それだけではなく、武闘派集団の動向はもちろん、教師の秘密でさえ把握しているようだ。事実、生徒会は半年前、特定の女生徒にストーカー行為とパワハラを繰り返していた男性教師を告発し、退職に追い込んだ。
また、生徒会に対する暴力や脅迫行為が執拗におこなわれた場合、それが間接的であろうが直接的であろうが、その生徒もしくは武闘派集団は、情報の公開によって退学せざるをえない状況に追い込まれたり、あるいは別の強力な武闘派集団によって壊滅させられてきた。
だからラッパッパでさえ、生徒会には手出しができない。逆に言えば、生徒会は手出しをされない限り、ラッパッパが暴力によって学園を統治することに異を唱えないというわけだった。
「なんでも、四天王さんたちもやられたとか?」平松が腕組みをして皮肉った。
「あたし、やられてないけど……」トリゴヤは不服そうに口をとがらせた。
「おい、てめえ……」シブヤが歩き出した。「四天王、なめてんじゃねえぞ、あン?」
「生徒会を脅す気ですか?」平松が立ち上がった。
「生徒会じゃねえ。てめえに言ってんだ」
「やめとけ、シブヤ」サドは手を挙げて、シブヤのやわらかな胸にふれた。「私たちはケンカをしに来たんじゃない」
シブヤは平松をにらみつけたまま、サドの元へ戻った。
「それからおまえ――」サドは顎をしゃくって平松を見た。「――シブヤは今年で卒業だ。御礼参りが怖かったら、あんまり挑発しないほうが身のためだ」
しかし平松は顔色ひとつ変えなかった。
――いい度胸してやがる。
この女がヤンキーになれば、そこそこの地位まで登れるだろう。生徒会に置いておくのはもったいない……いや、だからこそ、か。
「話が中断しちまったが、おまえたち生徒会が知らない情報がある」
「教えて」
「三日後の金曜日、アリジョがこの学校にやってくる」
サドのその一言に、峯岸はただでさえ大きな目をより見開いて、自分の両側に座っている平松と佐藤を交互に見た。二人とも、同じように小さく首を横に振るだけだった。知るわけがない。サドでさえ、昨夜、初めて聞いたのだから。
「本当……?」
「私がウソを言って、どうする?」
「――たしかにそうね。で――アリジョの目的はなんだと思う?」
この学園で、サドにタメグチをきくのは、この峯岸みなみと大島優子だけだった。
そして峯岸みなみは、大島優子にさえタメグチをきく。 そもそもは生徒会長に就任したとき。学園一の武闘派集団ラッパッパの部室へ挨拶にやってきた峯岸みなみは、大島優子に向かってこう言ったのだ。
「生徒会長に選ばれた峯岸みなみです。よろしくね」
右手を差し出す峯岸みなみの強心臓ぶりに、吹奏楽部の部室は凍りついた。アンダーガールズたちは震え、四天王(そのころは、ゲキカラはまだ「おつとめ」に行っていなかった)は殺気立った。サドは唖然として声が出なかった。いまだかつて、初対面で大島優子にそんなフランクな態度で接する者は教師でさえいなかった。半殺しにあうな、とサドは思った。
しかし優子の反応はちがった。凍てついた空気を暖めるつもりかと思うくらい大きく、大島優子は笑った。
「あたしにタメグチとは、いい度胸してんな、おまえ」ファーの付いた部長専用ソファから立ち上がり、大島優子は峯岸のてのひらをにぎった。「気に入った」
「私、学園の生徒みんなと仲良くなりたいから、敬語はやめようって決めたの。そのほうが親しみやすいでしょ。それに、たかが一年早く生まれただけで人の順列が決まっちゃうなんて、イクないと思う。みんな同じ馬路須加女学園の生徒なんだから、先輩とか後輩とか、そんなこと関係なく仲良くしようよ」
その日、大島優子は峯岸みなみを抱いた。
と――思い出に耽っていたサドは、生徒会室がしんと静まり返っていることに気づき、そこでハッとして峯岸を見つめ、話し始めた。「――アリジョの目的……ヤバジョに勝って、この学区では敵なしのうちらマジジョに勝てば、名を上げられるからじゃないか」
「たしかに、それはあるかもしれないわね……」
「そうだ。そこで生徒会の力を借りたい」
「――カネ、ね……?」峯岸は目を細め、ほくそ笑んだ。
【つづく】