■反撃―3■
山椒姉妹の三人と、ダンス――矢神久美の四人を引き連れたシブヤが、亜利絵根女子高等学校近くの市営公園に到着したのは放課後の一時間前だった。
高速道路の高架下――公園とは名ばかりの、古い滑り台と壊れそうなブランコがあるだけのその場所には、金網で囲まれたスペースがあった。現在は扉に針金が巻かれており、「使用禁止」と書かれた板が針金で止められている。地面にはペットボトルやコンビニ袋が散乱しており、少なくともここ一ヶ月は管理されていないことを物語っていた。
ダンスが持ってきたペンチで針金を切断すると、五人は中に入った。山椒姉妹の三人が金網の、地面から160センチほどの高さに手錠を五つ繋げる。地面から20センチ程度の高さには、足首を留められるようにロープを張った。
「シブヤさん、準備終わりました」ダンスは、腕を組んで作業を眺めていたシブヤに報告した。
「ご苦労さん」
「あとは獲物が来るのを待つだけ」山椒姉妹のリーダー格みゃお――宮崎美穂がダーツの矢を、まだ囚われた者のいない手錠に向かって投げる振りをした。
「命中~」まなまな――奥真奈美がふざけた口調で言った。「デコに当たったから20点」
「本気でやっちゃっていいですか?」らぶたん――多田愛佳もダーツの矢を、スローイングのように投げる真似をしてみせる。
「もちろん」シブヤは言った。「ただし、前田とやったときみたいに、決して仲間割れを起こすな。私は仲間同士で争うのは嫌いだ」
前田戦のときに山椒姉妹が仲間割れをして勝利を逃したことは、ネズミから聞かされていた。前田を拘束して、絶対に負けるはずのない状況だったはずなのに、三人は負けた。勝ったのはタッグを組んだ前田とだるまの二人だ。一人では不利でも、二人ならそれを覆すこともある。こいつらはそんなこともわからなかった……まだガキだから仕方がないが、報せを聞いたときにシブヤは辟易した。
亜利絵根の生徒はこの公園から少し離れた商店街を通学路として利用している。そこで亜利絵根十傑集とやらのメンバーを探し、見つけ次第ここに連れ込む、というのがシブヤの作戦だった。商店街にはシブヤ配下のギャルサー二十人を放ってある。亜利絵根十傑集のメンバーは名前しかわかっていないが、人探しは彼女たちのもっとも得意とするところだ。
シブヤは一人では戦わない。相手を囲い退路をなくし、心理的に圧迫する状況下に置く。タイマンでも負けない自信はあるが、念には念を入れるのがシブヤのやり方だった。
ましてや今回の戦いは、サドからの勅命だ。サドの許可なく勝手に前田と戦い、そして惨敗してしまったシブヤは、絶対に失敗するわけにはいかなかった。
亜利絵根十傑集を磔にし、それをサドへの手土産にする。そうすれば再び、サドの寵愛を受けられる……想像しただけで下腹部が疼いた。
そんなことを考えていると、携帯が鳴った。
配下のギャルサーのメンバーからのメールには、「二名、確保。名前は長野せりな、橋本楓」と書かれていた。
「二人来るぞ」シブヤはダンスと山椒姉妹に言った。「戦闘準備だ」
五分後――アクセサリーで派手にアレンジされた制服を着た女子高生たちが、ブレザーとチェックのブリーツスカートという亜利絵根女子高等学校制服の少女二人を引き連れ、公園にやってきた。
二人とも身長は150センチ程度と小柄で、高校生には見えないほどの童顔だった。一人はツインテール、一人は髪をアップしているが、どことなくイメージがダブっていて、姉妹と言われれば納得してしまう程度に似ている。学校指定らしい学生鞄を持った二人は、ヤンキーには見えなかった。
見かけの幼さとはちがい、二人に怯えた様子はない。これが亜利絵根十傑集の余裕なのか……。
ギャルサーのメンバーたちは二人を金網の中に入るように促した。
シブヤはいつものように、ピンクのレザーグローブを装着した。これを着けると気が引き締まり、精神が高揚する。
山椒姉妹の三人は長野と橋本にガンを飛ばしながら、二人の背後に回った。
ダンスはシブヤの右に位置した。
ひとつしかない出入口はギャルサーたちの人の壁で塞がれた。
ここから二人が出たいのなら、全員を倒すしかない。
「てめえらか、亜利絵根十傑集の長野と橋本ってのは?」シブヤは二人に正対した。
「橋本なら私ですけど……」右側のツインテールが答えた。「なんか用ですかぁ?」
「亜利絵根十傑集なら、あたしがだれだか知ってるだろう?」
「さぁ……」二人はまったく同じタイミングで首をかしげた。
「とぼけてんじゃねぇ」
「あ」思い出したように、橋本が言った。「もしかして、このあいだ奈央がボコった奴の敵討ち?」
「ああ、そうかもね」
「敵討ちじゃねえが、てめえらを潰さなきゃいけない理由があってな」
「やったの私たちじゃないんで……奈央、呼びましょうか?」
「ざけんのもそこまでにしとけよ……」シブヤは二人に歩み寄り、長野のツインテールの右側の髪を引っ張……ろうとした。
髪を掴まれそうになった瞬間、長野はそれまでのしゃべり方とはうって変わって素早い動きでシブヤの右手を交わした。ボタンのかけられていないブレザーと、ミニのプリーツスカートが広がった。
それに合わせて、橋本も左側へ飛び込むように動いた。
まなまなとらぶたんが長野を、みゃおが橋本を追う。
「刺さったら痛いよぉ……」まなまなは持っていたフリル付きの日傘を、長野に向かってフェンシングのフルーレの要領で突いた。日傘の先端は研がれており、まなまなは格闘戦のときには武器として使用していた。
長野は体を流してそれを避けると、日傘に向かってパンチを放った。
――バカが、傘に素手で殴りかかるとは……。
シブヤは嘲ったが、次の瞬間、長野の右手に輝くものを見て愕然とした。
長野はいつの間にか、右手にスパイクの付いたメリケンサックを装備していた。
スパイクが傘布を裂き、フリルが宙に舞う。
「てめえっ、あたしのお気に入りをっ……」まなまなが声を荒げた。
「だったらケンカに使わないほうがいいですよぉ」
軽口を叩く長野に向かって、らぶたんがダーツの矢を投げようとしていた。
「せりな、後ろっ」
橋本の声に長野は振り返ったのと、らぶたんが矢を放ったのはほとんど同時に見えた。
長野は恐るべき反射神経で鞄を顔の前に掲げた。ピンクの矢が突き刺さる。
みゃおは橋本相手にパンチやキックで攻撃しているが、一向に当たらない。
「てめぇ、避けんじゃねえっ……」
「だって遅いじゃないですか。小学生でも避けられますよ」
橋本の挑発に、みゃおはますます力を入れてパンチを打つ。力めば力むほど余計な力が入り、スピードは落ちる。リーチの長いキックも、橋本はおどけた仕草で交わしていく。彼女の右手にも、長野と同じスパイク付きのメリケンサックが装着されていた。
一方、まなまなとらぶたんも、長野に一発のパンチさえ入れられない状況が続いていた。長野は橋本同様に、軽やかな動きで二人の攻撃を交わしている。金網で囲まれた、逃げ場の無いスペースであるはずなのに、長野と橋本は一向に捕まらなかった。金網近くまで追いつめると体の小ささを利用して、わずかなスペースからするりと抜け出し、山椒姉妹の背後に回ってしまう。それでいて攻撃するわけでもなく、ただ延々と逃げ回っているだけなのだ。
ただ単純に逃げるのなら簡単だ。追いかけなければいい。しかし、二人は逃げるというより「かわす」のだ。パンチやキックが当たりそうで当たらない。あと少しという感覚が考える力を奪い、やがて闇雲な攻撃をしているだけになってしまう。
ギャルサー軍団はシブヤから「一切の手出し無用」と厳命されているので、たとえ二人が近くに来ても捕まえようとはしなかった。決して、正々堂々とした勝負を挑むシブヤではなかったが、数に任せてケンカに勝とうとまでは思っていない。ヤンキーとしての最低限の誇りは持っているつもりだった。
――が、それにしても、これじゃあ埒が開かねぇ……。
シブヤは苛ついた。
妙なのは長野も橋本も、自分たちからは攻撃しようとしないことだった。凶悪な武器を持っているのに、使ったのは日傘を破壊したときくらい……。
シブヤはそこで、長野と橋本の意図に気づいた。
――そうか。こいつら……。
二人はあいかわらず、山椒姉妹の攻撃から逃げるだけで、決して自分からは攻撃しようとしなかった。
最初から全力で戦っている山椒姉妹の三人は、そろそろ疲れてきているようだった。何十枚もの布で構成されたロリィタ服はただでさえ動きづらく、そして暑いだろう。長野と橋本を追うその脚も、そろそろ歩みが怪しくなってきた。
「どうしたんですか、みなさん……?」長野がパンチの勢いと回数を減らしてきた山椒姉妹を見回した。「あ。もしかして……」
「え?」橋本がおおげさに、耳に手を当てた。「デブだから、もう体力が持たないって?」
「ちょっとやだぁ。そんなこと言ってないじゃん」
「ちがうの?」
「まあ……ちがうってわけじゃないけど……」
「てめぇら……舐めてん……のかよ……」みゃおは強がるものの、すでに息は絶え絶えだった。
まなまなとらぶたんも、走るどころか歩いてもいなかった。
――なんなんだ、この無様な戦いは……。
手錠で拘束して捕らえるどころか、体に触れることすらできていないという現実に、シブヤは激しく憤った。
もはや、勝つためにかたちにこだわるべきではない。
「おい、てめえらっ」シブヤは長野と橋本がいる金網際に歩いていく。「よく考えたな。相手を疲れさせて勝つなんてヤンキー、見たことねえよ」
長野と橋本はメリケンサックをシブヤに向かって突き出し、戦闘体制をとった。
距離は5メートル。
「だけど、もうおしまいだぜ、お二人さん。ここにいるギャルサーはあたしが号令をかけたら、お前たちを捕まえる。いくら逃げるのがうまいったって、二十人を相手にするのはキツいだろう? そして捕まったあとはここにいる山椒姉妹三人が容赦ないお仕置きをする。遊んでくれた分だけ、執拗にな……」
シブヤは精神的に二人を追いつめたつもりだったが、長野と橋本はまだにやにやと笑っている。それがまた、シブヤを苛立たせた。
「でも、あたしもマジすか四天王と呼ばれた女だ。そんなことで勝っても嬉しくない。おまえたちの活躍に免じて、タイマン勝負をしてやるよ。どうだい?」
長野と橋本は顔を見合わせた。
「どうする? 二十人しかいないって」と長野。
「やっちゃおか?」と橋本。
二人は、金網に沿って並んでいるギャルサーたちの、一番端の少女に襲いかかった。
電光石火とはこのことだった。
異常なほどの俊敏さで二人に襲いかかられた最初の犠牲者は、五秒で地面に倒れた。長野のメリケンサックのスパイクが二の腕を裂くと、すかさず橋本が腹にパンチとキックを打ち込んだのだ。少女の叫び声が、ギャルサーたちの恐怖心を煽った。
二人は息の合ったダンスのような連携プレーで、次から次へと少女たちを倒していった。長野のメリケンサックが一振りされるとだれかの血けむりが舞い、橋本のキックが心地よい打撃音を上げるとだれかが倒れた。
シブヤは脅しに使ったものの、ここにいる二十人のギャルサーたちはケンカが強いわけではない。そもそも亜利絵根十傑集探しと、心理的圧迫を与えるために連れてきただけだ。
三十秒もかからないうちに、半分近くのギャルサーたちがゴミと砂にまみれ、身をよじっていた。
シブヤはなにかのマンガで読んだ、「地獄絵図」という言葉を思い出した。
まだ無傷の者は一斉に出入口の扉に殺到した。彼女たちにとってラッキーだったのは、長野と橋本を逃がさないようにあらかじめ扉の近くにいたため、たどり着きやすかったこと。アンラッキーだったのはその扉が内側に向かって開くタイプだったことだ。
みんなが狭いスペースに密集したため、扉は鍵もかかっていないのに引くことができなかった。冷静に、一人が二歩ずつでも下がれば扉は開き、少なくとも三人くらいは逃げられたかもしれない。だが、残念なことに彼女たちは完全にパニック状態で、そんな判断はできなかった。
長野せりなと橋本楓は、彼女たちの背後から襲いかかった。戦意を喪失し、背中を見せている者を倒すのはケンカでも戦闘でもなく、単なる「作業」だった。
次々と上がる叫び声に、シブヤは戦慄した。しかし、そのパニックの有様や、人間はこうも簡単に倒されるのかと思うと、なんだか少しおかしい気もする。恐怖の末の笑いなのか、情けない人間の姿を見たからなのか――どちらかは自分で判断できなかったが、とにかく不思議とおかしさがこみ上げてきた。
全員が地面でのた打ち回るまで、一分もかからなかった。扉の前には血まみれの人の山ができていた。外に出るためには、この山を崩さなくてはならず、それはとても時間のかかる仕事のように思われた。
つまり――いまや、閉じ込められたのはシブヤと山椒姉妹とダンスの五人だった。
シブヤは自分の脚が震えていることに気づいた。
「ダンス――行くぞ……」
もう意味のないこととは知っていても、シブヤはそう命じざるをえなかった。自分以外に闘えるのはダンスしかいない。
「はい」ダンスは大きな瞳を見開いて頷いた。「自分が先に行きます」
「お前は長野を押さえろ。そのあいだにあたしが橋本をやる」
シブヤは言いながら、もうサドに抱かれることはないだろうな、と寂しくなった。
ダンスが走り出し、そして叫んだ。「この、クソガキどもがぁぁぁぁぁぁ……」
吹奏楽部の部室には夕日が差し込み、一日の終わりを告げようとしていた。
サドは大島優子のことを考えていた。
昭和、ジャンボ、ライス、アニメの四人はもう帰らせた。優子のことを想うときは一人でいたかった。
――優子さんはいつまで生きられるのか……。
病院で聞いた衝撃の言葉は、いつもサドの心に沈んでいる。なにをしていても、ふとそれが思い出される。
自分が短い人生で、初めて本当に愛した人が、来年の今頃にはもういなくなっているかもしれない。
考えただけで胸がいたい。
もちろん希望は捨てていない。もう一度、大島優子と一緒に闘う日がきっと来る――そう信じている。
そのためには今は病院で養生し、病気を治すことに専念していてほしい。
病床で一人闘っている大島優子には、亜利絵根との闘いを知らせてなかった。大島優子のことだ、それを知れば担当医の反対など無視して学校に来るだろう。彼女は彼女なりに、この腐った学校を愛しているからだ。
――私が私だけで解決しなくてはいけない。
そのとき、携帯電話のメール着信音が鳴った。
サドはポケットから携帯電話を取り出し、それを開いた。
メールの差出人はシブヤ。そろそろ亜利絵根の十傑集とやらの闘いも終わっただろうという時刻だった。
だが、そのメールには件名も本文もなく、写真が添付されているだけだった。
写真には、こちらに向かってピースサインをする、見たことのないツインテールの少女が写っていた。自分で自分を撮ったらしい構図で、後ろではシブヤとダンスが金網に手錠で吊るされていた。
サドは思わず携帯電話を閉じた。
わかっているのに、吹奏楽部の部室にだれもいないことを確認した。
サドはもう一度その写真を見ようと携帯電話を開いたとき、二通目のメールが届いた。
今度の写真は横長の構図で、山椒姉妹が三人とも、シブヤと同じ目に合っていた。一枚目とは違う少女がにこにこと微笑んでいた。まるで観光地のオブジェの前で、修学旅行生が撮った記念写真のようなテンションが、その笑顔から伝わってきた。
メールはそれだけしか来なかった。
シブヤが負けた事実は受け入れがたかった。こんなことを大島優子に知られたら、留守を預かる身として申し訳が立たない。
サドは怒りと衝撃で、なにから考えるべきなのかわからなくなった。
【つづく】
・某テレビドラマのパロディ小説です。パロ嫌いな人は読まないでね。
・あとから矛盾とか出てきたらこっそり書き直します。
・著者の上戸に格闘技経験はないので、おかしな箇所があったらこっそり教えてください。こっそり書き直します。