■胎動―1■
馬路須加女学園体育館には全校生徒二五三人が集まっていた。
壇上にはまだだれもいないためか、生徒たちは整列もせず、ぶらぶらと体育館の中をうろついていた。床に座り込んでダベる者、ちょっとした小競り合いをする者、持ち込み禁止のはずの携帯電話でメールを打つ者、電話をする者、相撲をする者、プロレス技をかけあう者、ガンを飛ばしあう者、花札をはじめる者、教師に向かって意味なく大声を張り上げる者……。
ネズミはその様子をガムをかみながら、体育館の壁に寄りかかってながめていた。本当にどうしようもないやつらだ、とネズミは思う。列を作っておとなしく待つことくらい、小学生の低学年でもできる。それなのにこいつらときたら、教師の指示に従わないことが誇りであるかのように意味のない反抗をして、それで満足している。こんなところで権力に背いたところでなんになる? やるならもっと大きなものを相手に戦えばいいのに。もっとも、だからこそ、自分がその舞台を用意してあげたわけだが……。
「まゆゆ……?」
近づいてきた松井珠理奈に呼ばれ、ネズミは隣を向いた。
「なんだい?」
「アリジョの話かな、この集会……?」
「さあ……」ネズミはとぼけた。
ホームルームが始まる前の時間、突然流れた放送は峯岸生徒会長からの呼びかけだった。全校生徒は八時半から体育館に集まること、ラッパッパから重大な報せがあるという内容だった。ラッパッパの名前を出したのはサボる者を牽制する意味からだろう。
ネズミはそれを聞いたとき、自分の計画が万事まくいっていることを確信した。蒔いた種が、ようやく芽を出した。あとは花が咲き――それが刈り取られるのを待つだけだ。
「うちはアリジョに勝てるかな……?」
「さあ……」
「負けたらどうするんだい?」
「考えてあるよ」ネズミは右手の人差し指をこめかみに、とんと当てた。「勝っても負けても、すべてはネズミさんの思うがままさ」
「さすがはまゆゆだね」
――バカは支配されるだけさ……。
ネズミはそれは口にしなかった。
アリジョに勝とうが負けようが、そんなことは最初からどうでもよかった。暴力しか脳のないヤンキーどもが自分の計略にふりまわされ、痛い目にあうのを見たいだけだ。派手なら派手なほどいい。いずれにしても、この戦いでマジジョはかつてない痛手をこうむるだろう。
マジジョが負ければアリジョの支配下に置かれるが、そのときはレジスタンスを起こす。マジジョが勝てば現政権を打倒する。いずれの場合でも、もうじき卒業するラッパッパの主要メンバーたちに代わる存在は必要になってくる。大島優子、サド、四天王の六人が一気にいなくなるのだから、吹奏楽部の衰退は必然だ(アンダーの四人など問題外である)。
権力に空白ができれば、それを埋めようとする力が必ず現れる。ネズミはすでに、そのための人選を極秘におこなっていた。頭の中には二十人近いヤンキーたちがリストアップされている。
「――ったく、まだかよ……早く始めろっつーの」
声のするほうを見ると、黄色いジャージを着たどっち――島田晴香がステージを見たいのか、ぴょこぴょこと何度も背伸びをしていた。
一年生だけの『チームフォンデュ』も、ネズミがリストアップしているヤンキーたちのひとつだ。どっち、ツリ、寒ブリ、年増、レモンの五人によって最近作られた新しい集団で、
まだまだ実力的には他の度の集団の足元にも及ばないが、いずれは台頭してくる可能性もある。動向を監視しておく必要のある連中だ。特にネズミは、鉄砲玉のレモンの存在を重く見ている。半開きになった瞳と、あの甲高い声はヤンキーに見えず、だれもが油断する。だが、それはカモフラージュだということはネズミにはわかっていた。そうでなければ鉄砲玉という役割が与えられるわけがない。
リーダーの島田は見た目も正統派のヤンキーで、こちらはこちらで実力をつけてくれば怖い存在になるだろう。ツリ、寒ブリ、年増の三人はまだ未知数で、とりたてて警戒する必要はなさそうだ。もちろん油断はできないが――。
ガサガサッと、マイクの大きなノイズが突然聞こえた。
「えー、ただいまマイクのテスト中……」
生徒会長の峯岸みなみの声が聞こえた。
「じゃあ、戻るね」珠理奈がネズミの手のひらを、人差し指でつーっと撫でた。
そのくすぐったさの奥に、わずかな性的快感を覚え、ネズミは珠理奈を見つめた。
微笑んだ珠理奈はくるっと反転し、スカートをひらめかせて行ってしまった。
さびしかった。
以前なら、他人に対してこんな気持ちにはならなかった。他人はすべて自分を攻撃あるいは無視する存在であり、そうでない人間は二次元の中にしかいなかった。
けれども、人目がなくなるとすぐにキスをせがむ珠理奈と「付き合う」ようになってから、ネズミは自分に初めての感情が芽生えてきたことを自覚した。
だれかを愛おしいと思うこと。
そんなはずはない、とネズミは否定したかった。珠理奈はあくまでも自分の身を守るために利用しているだけ……そのはずだった。
しかし、すでに何百回としたキスによる肉体的な快楽に、ネズミはどっぷりと浸かっている。いまだって珠理奈とキスをしたかった。珠理奈の舌を味わいたかった。そう考えるだけで、自分が潤うのがわかる。
珠理奈の言う「大人でも子供でもない付き合い」を受け入れたとき、ネズミは体を与えることを覚悟した。まだ男も女も知らないネズミだが、初めての経験が珠理奈のような美少女なら悪くはなかった。
ところが珠理奈は一向にネズミの体を求めてこなかった。二人きりで密室にいる機会は何度もあったのに、胸さえ触ろうとしない。
キスをしているとき、自分の体の中でもっとも熱くなっている部分に珠理奈の指が侵入してくると考えるだけで、ネズミはぞくぞくした。舌を絡めあっている最中、ネズミは珠理奈に気づかれないように太ももを擦り合わせたり、教室の机の角にその熱くやわらかい部分をこすりつけたりもした。眠れぬ夜はうつぶせになって、珠理奈のことを考えて自分を慰めた。
珠理奈には、なんの感情もいだいてなかった。単なる「暴力装置」としての存在だった。
それなのに、毎朝、駅で顔を合わせるときの安心感はなんなんだろう。たった数時間会えなくなるだけなのに、夕方の別れ際のキスがつらいのはなぜだろう。
「――あ。あ……。大丈夫かな? それじゃあ、皆さん、整列してください」
峯岸の声に、ネズミは思考を邪魔された。
二百五十人ほどの生徒たちはいかにもやる気がなさそうに、騒がしく、だらだらと、毎週月曜日におこなわれている全校集会のときのように並んだ。列はまっすぐではなかったし、話し声はあいかわらず続いているが、これがマジジョの「整列」だった。
ネズミは自分のクラスの列の最後尾についた。
ステージ上の演台には峯岸みなみが、その両脇には平松可奈子と佐藤すみれが立っている。
そこに下手からサドが現れると、ざわついていた生徒たちの声が徐々に小さくなっていった。だが、静まり返ることはなかった。本来、敵対に近い関係のラッパッパと生徒会が同時に壇上にそろうことなどありえない。なにか尋常でないことが起ころうとしている、もしくは起きていることを生徒たちは悟り、隣の者と憶測をかわした。
「サドさんと峯岸さん……?」ネズミの二列向こうにいる、チームフォンデュの寒ブリがつぶやいた。「なんであの二人が?」
「こいつはヤベえぜ」どっちがうなずいた。「ただごとじゃねえ」
――そう。明日、この学園は地獄になる……。
ネズミは声を上げて笑いたかった。
低脳のヤンキーどもにくらべれば、生徒会は少しは頭がキレる(まあ、ネズミさんほどではないが)。それだけに生徒会をこの戦争にどう巻き込むか、ネズミは最後の最後まで迷っていた。下手に生徒会にアプローチすると計画がぶち壊しになる可能性もある。だからあえてほうっておいた。計画に反すること――戦争を回避して講和に持ち込む――さえしなければ、いずれは流れに巻き込まれるにちがいなかったからだ。もし生徒会が独自の動きを見せるようなことがあれば、ネズミは珠理奈を使って、峯岸たちを潰すつもりでいた。
だが生徒会はラッパッパと手を組むという現実路線を選択したようだ。
――すべては、ネズミさんの意のまま……とはいかなかったか。
壇上に目を向けると、峯岸が話し始めた。「――えーっ、みなさん、おはようございます」
笑顔の峯岸は頭を下げたが、生徒たちは白けた様子であいさつを無視した。いつものことだった。生徒総会のときなど、壇上の声などだれも聞いていない。冷やかし半分の嬌声と怒号が体育館に響き渡るのが常だ。いまはサドの存在があるだけ、むしろ静かなくらいだった。
「今日、朝からみなさんに集まっていただいたのはほかでもありません。明日、我が校は戦争状態に突入します」
峯岸みなみのその言葉に、低くうごめくような生徒たちのざわつきがなくなった。
しんと静まり返った体育館に、峯岸の声が、マイクを通じて大きく響いた。
「やってくるのは亜理絵根女子高等学校。この中にも、すでに何人か襲われた人がいます。そして、その人たちのほとんどが負けました」峯岸は自分の発言の衝撃をたしかめるようにしばらく間をとってから、「かつて、我が校は何度も他校の脅威にさらされてきました。そのたびに先輩たちは戦い、学校を守ってくれたのです。そしていま、この学校が狙われています。守るのは私たち以外にいません」
生徒たちの立てる衣擦れの音が、やがてひそひそ声に変わった。
それは不安と恐怖と喜びの混ざりあった、喜怒哀楽では表現しえない感情のあらわれだった。この現実に、どうしてよいかわからず、ただ気勢を上げようとする者。アリジョのウワサを聞いていて、すでに震えている者。強大な敵にこそ生きがいを見つける者。個々の感情は目に見えないものの、ネズミには感じ取れた。それらは渦を巻き、いま、この場に漂っている。これこそ、ネズミが求めるもののひとつだった。
――もっと混乱すればいい。
ネズミは笑い出しそうになるのをこらえ、視線をステージに向けた。
峯岸は黙っていた。
演台からみんなを見下ろし、ささやかな喧騒がおさまるのを待っていた。
やがてだれかが峯岸の寡黙に気づき、口を閉ざした。そしてそれは次々と連鎖した。
ネズミは峯岸のテクニックに感心した。もしかしたら、この女は緊急時にこそ真価を発揮するタイプの生徒会長なのかもしれない。
体育館が静まり返ったのを確認してから、峯岸は再び演説を開始した。「――本来、生徒会はこういう事態を望みません。できる限り武力衝突を避け、平和裏に解決したい。それが生徒会の役目だと私は考えています。けれども今回、生徒会はラッパッパと協力し、一致団結してアリジョを迎え撃つことにしました。ここにいるサドさんが望んだからです。校長先生の許可もいただきました」
峯岸は振り返った。
サドがうなずいた。視線は峯岸に対してではなく、体育館のみんなに向けられていた。現に、チーズフォンデュの年増がどっちに近づき、「生徒会とラッパッパが組むなんて……マジかよ……」とつぶやいた。同様の光景は、あちこちで見られた。
「ラッパッパが生徒会に協力を求めるなんて前代未聞です。それほどアリジョは強いのだと、私たち生徒会は理解しました。だとすれば、アリジョは生徒会の敵でもあります」
ネズミはふん、と鼻で笑った。峯岸もよく言う。生徒会はこれを機に学園内の武闘派を手中にしようとしているのだ。ラッパッパを押さえれば、その望みはほぼ叶う。なにが生徒会の敵、だ。
――策士はあたしだけじゃないってことか。
面白い。ネズミは峯岸を見た。
「――五年後、十年後に、私たちがこの学校を守ったんだと胸を張りましょう。あのとき、自分はどこにいたのか、胸を張って答えられるようにしましょう。私たちになら、それができるはずですっ」
峯岸は演台をドンと叩いた。
ネズミはいちばん最初に拍手をした。
だれかが吊られて加わると、別のところからも拍手が起きた。それはいつしか大きな波になって体育館を支配した。峯岸は照れくさそうに人懐っこい笑顔を見せ、頭を下げた。
「――まあまあまあ。皆さん、お静かに……。では、サドさんから作戦の概要を説明してもらいます」
峯岸はそう言い残し、マイクのスイッチをオフにして、演台から離れた。
【この章つづく】
馬路須加女学園体育館には全校生徒二五三人が集まっていた。
壇上にはまだだれもいないためか、生徒たちは整列もせず、ぶらぶらと体育館の中をうろついていた。床に座り込んでダベる者、ちょっとした小競り合いをする者、持ち込み禁止のはずの携帯電話でメールを打つ者、電話をする者、相撲をする者、プロレス技をかけあう者、ガンを飛ばしあう者、花札をはじめる者、教師に向かって意味なく大声を張り上げる者……。
ネズミはその様子をガムをかみながら、体育館の壁に寄りかかってながめていた。本当にどうしようもないやつらだ、とネズミは思う。列を作っておとなしく待つことくらい、小学生の低学年でもできる。それなのにこいつらときたら、教師の指示に従わないことが誇りであるかのように意味のない反抗をして、それで満足している。こんなところで権力に背いたところでなんになる? やるならもっと大きなものを相手に戦えばいいのに。もっとも、だからこそ、自分がその舞台を用意してあげたわけだが……。
「まゆゆ……?」
近づいてきた松井珠理奈に呼ばれ、ネズミは隣を向いた。
「なんだい?」
「アリジョの話かな、この集会……?」
「さあ……」ネズミはとぼけた。
ホームルームが始まる前の時間、突然流れた放送は峯岸生徒会長からの呼びかけだった。全校生徒は八時半から体育館に集まること、ラッパッパから重大な報せがあるという内容だった。ラッパッパの名前を出したのはサボる者を牽制する意味からだろう。
ネズミはそれを聞いたとき、自分の計画が万事まくいっていることを確信した。蒔いた種が、ようやく芽を出した。あとは花が咲き――それが刈り取られるのを待つだけだ。
「うちはアリジョに勝てるかな……?」
「さあ……」
「負けたらどうするんだい?」
「考えてあるよ」ネズミは右手の人差し指をこめかみに、とんと当てた。「勝っても負けても、すべてはネズミさんの思うがままさ」
「さすがはまゆゆだね」
――バカは支配されるだけさ……。
ネズミはそれは口にしなかった。
アリジョに勝とうが負けようが、そんなことは最初からどうでもよかった。暴力しか脳のないヤンキーどもが自分の計略にふりまわされ、痛い目にあうのを見たいだけだ。派手なら派手なほどいい。いずれにしても、この戦いでマジジョはかつてない痛手をこうむるだろう。
マジジョが負ければアリジョの支配下に置かれるが、そのときはレジスタンスを起こす。マジジョが勝てば現政権を打倒する。いずれの場合でも、もうじき卒業するラッパッパの主要メンバーたちに代わる存在は必要になってくる。大島優子、サド、四天王の六人が一気にいなくなるのだから、吹奏楽部の衰退は必然だ(アンダーの四人など問題外である)。
権力に空白ができれば、それを埋めようとする力が必ず現れる。ネズミはすでに、そのための人選を極秘におこなっていた。頭の中には二十人近いヤンキーたちがリストアップされている。
「――ったく、まだかよ……早く始めろっつーの」
声のするほうを見ると、黄色いジャージを着たどっち――島田晴香がステージを見たいのか、ぴょこぴょこと何度も背伸びをしていた。
一年生だけの『チームフォンデュ』も、ネズミがリストアップしているヤンキーたちのひとつだ。どっち、ツリ、寒ブリ、年増、レモンの五人によって最近作られた新しい集団で、
まだまだ実力的には他の度の集団の足元にも及ばないが、いずれは台頭してくる可能性もある。動向を監視しておく必要のある連中だ。特にネズミは、鉄砲玉のレモンの存在を重く見ている。半開きになった瞳と、あの甲高い声はヤンキーに見えず、だれもが油断する。だが、それはカモフラージュだということはネズミにはわかっていた。そうでなければ鉄砲玉という役割が与えられるわけがない。
リーダーの島田は見た目も正統派のヤンキーで、こちらはこちらで実力をつけてくれば怖い存在になるだろう。ツリ、寒ブリ、年増の三人はまだ未知数で、とりたてて警戒する必要はなさそうだ。もちろん油断はできないが――。
ガサガサッと、マイクの大きなノイズが突然聞こえた。
「えー、ただいまマイクのテスト中……」
生徒会長の峯岸みなみの声が聞こえた。
「じゃあ、戻るね」珠理奈がネズミの手のひらを、人差し指でつーっと撫でた。
そのくすぐったさの奥に、わずかな性的快感を覚え、ネズミは珠理奈を見つめた。
微笑んだ珠理奈はくるっと反転し、スカートをひらめかせて行ってしまった。
さびしかった。
以前なら、他人に対してこんな気持ちにはならなかった。他人はすべて自分を攻撃あるいは無視する存在であり、そうでない人間は二次元の中にしかいなかった。
けれども、人目がなくなるとすぐにキスをせがむ珠理奈と「付き合う」ようになってから、ネズミは自分に初めての感情が芽生えてきたことを自覚した。
だれかを愛おしいと思うこと。
そんなはずはない、とネズミは否定したかった。珠理奈はあくまでも自分の身を守るために利用しているだけ……そのはずだった。
しかし、すでに何百回としたキスによる肉体的な快楽に、ネズミはどっぷりと浸かっている。いまだって珠理奈とキスをしたかった。珠理奈の舌を味わいたかった。そう考えるだけで、自分が潤うのがわかる。
珠理奈の言う「大人でも子供でもない付き合い」を受け入れたとき、ネズミは体を与えることを覚悟した。まだ男も女も知らないネズミだが、初めての経験が珠理奈のような美少女なら悪くはなかった。
ところが珠理奈は一向にネズミの体を求めてこなかった。二人きりで密室にいる機会は何度もあったのに、胸さえ触ろうとしない。
キスをしているとき、自分の体の中でもっとも熱くなっている部分に珠理奈の指が侵入してくると考えるだけで、ネズミはぞくぞくした。舌を絡めあっている最中、ネズミは珠理奈に気づかれないように太ももを擦り合わせたり、教室の机の角にその熱くやわらかい部分をこすりつけたりもした。眠れぬ夜はうつぶせになって、珠理奈のことを考えて自分を慰めた。
珠理奈には、なんの感情もいだいてなかった。単なる「暴力装置」としての存在だった。
それなのに、毎朝、駅で顔を合わせるときの安心感はなんなんだろう。たった数時間会えなくなるだけなのに、夕方の別れ際のキスがつらいのはなぜだろう。
「――あ。あ……。大丈夫かな? それじゃあ、皆さん、整列してください」
峯岸の声に、ネズミは思考を邪魔された。
二百五十人ほどの生徒たちはいかにもやる気がなさそうに、騒がしく、だらだらと、毎週月曜日におこなわれている全校集会のときのように並んだ。列はまっすぐではなかったし、話し声はあいかわらず続いているが、これがマジジョの「整列」だった。
ネズミは自分のクラスの列の最後尾についた。
ステージ上の演台には峯岸みなみが、その両脇には平松可奈子と佐藤すみれが立っている。
そこに下手からサドが現れると、ざわついていた生徒たちの声が徐々に小さくなっていった。だが、静まり返ることはなかった。本来、敵対に近い関係のラッパッパと生徒会が同時に壇上にそろうことなどありえない。なにか尋常でないことが起ころうとしている、もしくは起きていることを生徒たちは悟り、隣の者と憶測をかわした。
「サドさんと峯岸さん……?」ネズミの二列向こうにいる、チームフォンデュの寒ブリがつぶやいた。「なんであの二人が?」
「こいつはヤベえぜ」どっちがうなずいた。「ただごとじゃねえ」
――そう。明日、この学園は地獄になる……。
ネズミは声を上げて笑いたかった。
低脳のヤンキーどもにくらべれば、生徒会は少しは頭がキレる(まあ、ネズミさんほどではないが)。それだけに生徒会をこの戦争にどう巻き込むか、ネズミは最後の最後まで迷っていた。下手に生徒会にアプローチすると計画がぶち壊しになる可能性もある。だからあえてほうっておいた。計画に反すること――戦争を回避して講和に持ち込む――さえしなければ、いずれは流れに巻き込まれるにちがいなかったからだ。もし生徒会が独自の動きを見せるようなことがあれば、ネズミは珠理奈を使って、峯岸たちを潰すつもりでいた。
だが生徒会はラッパッパと手を組むという現実路線を選択したようだ。
――すべては、ネズミさんの意のまま……とはいかなかったか。
壇上に目を向けると、峯岸が話し始めた。「――えーっ、みなさん、おはようございます」
笑顔の峯岸は頭を下げたが、生徒たちは白けた様子であいさつを無視した。いつものことだった。生徒総会のときなど、壇上の声などだれも聞いていない。冷やかし半分の嬌声と怒号が体育館に響き渡るのが常だ。いまはサドの存在があるだけ、むしろ静かなくらいだった。
「今日、朝からみなさんに集まっていただいたのはほかでもありません。明日、我が校は戦争状態に突入します」
峯岸みなみのその言葉に、低くうごめくような生徒たちのざわつきがなくなった。
しんと静まり返った体育館に、峯岸の声が、マイクを通じて大きく響いた。
「やってくるのは亜理絵根女子高等学校。この中にも、すでに何人か襲われた人がいます。そして、その人たちのほとんどが負けました」峯岸は自分の発言の衝撃をたしかめるようにしばらく間をとってから、「かつて、我が校は何度も他校の脅威にさらされてきました。そのたびに先輩たちは戦い、学校を守ってくれたのです。そしていま、この学校が狙われています。守るのは私たち以外にいません」
生徒たちの立てる衣擦れの音が、やがてひそひそ声に変わった。
それは不安と恐怖と喜びの混ざりあった、喜怒哀楽では表現しえない感情のあらわれだった。この現実に、どうしてよいかわからず、ただ気勢を上げようとする者。アリジョのウワサを聞いていて、すでに震えている者。強大な敵にこそ生きがいを見つける者。個々の感情は目に見えないものの、ネズミには感じ取れた。それらは渦を巻き、いま、この場に漂っている。これこそ、ネズミが求めるもののひとつだった。
――もっと混乱すればいい。
ネズミは笑い出しそうになるのをこらえ、視線をステージに向けた。
峯岸は黙っていた。
演台からみんなを見下ろし、ささやかな喧騒がおさまるのを待っていた。
やがてだれかが峯岸の寡黙に気づき、口を閉ざした。そしてそれは次々と連鎖した。
ネズミは峯岸のテクニックに感心した。もしかしたら、この女は緊急時にこそ真価を発揮するタイプの生徒会長なのかもしれない。
体育館が静まり返ったのを確認してから、峯岸は再び演説を開始した。「――本来、生徒会はこういう事態を望みません。できる限り武力衝突を避け、平和裏に解決したい。それが生徒会の役目だと私は考えています。けれども今回、生徒会はラッパッパと協力し、一致団結してアリジョを迎え撃つことにしました。ここにいるサドさんが望んだからです。校長先生の許可もいただきました」
峯岸は振り返った。
サドがうなずいた。視線は峯岸に対してではなく、体育館のみんなに向けられていた。現に、チーズフォンデュの年増がどっちに近づき、「生徒会とラッパッパが組むなんて……マジかよ……」とつぶやいた。同様の光景は、あちこちで見られた。
「ラッパッパが生徒会に協力を求めるなんて前代未聞です。それほどアリジョは強いのだと、私たち生徒会は理解しました。だとすれば、アリジョは生徒会の敵でもあります」
ネズミはふん、と鼻で笑った。峯岸もよく言う。生徒会はこれを機に学園内の武闘派を手中にしようとしているのだ。ラッパッパを押さえれば、その望みはほぼ叶う。なにが生徒会の敵、だ。
――策士はあたしだけじゃないってことか。
面白い。ネズミは峯岸を見た。
「――五年後、十年後に、私たちがこの学校を守ったんだと胸を張りましょう。あのとき、自分はどこにいたのか、胸を張って答えられるようにしましょう。私たちになら、それができるはずですっ」
峯岸は演台をドンと叩いた。
ネズミはいちばん最初に拍手をした。
だれかが吊られて加わると、別のところからも拍手が起きた。それはいつしか大きな波になって体育館を支配した。峯岸は照れくさそうに人懐っこい笑顔を見せ、頭を下げた。
「――まあまあまあ。皆さん、お静かに……。では、サドさんから作戦の概要を説明してもらいます」
峯岸はそう言い残し、マイクのスイッチをオフにして、演台から離れた。
【この章つづく】
46
これから校長と細かな打ち合わせをするという峯岸を校長室に残し、サドは四階の吹奏楽部部室へ向かった。
階段を昇った先の踊り場には、アンダーガールズの四人――ジャンボ、アニメ、昭和、ライス――がいた。なにやらどうでもよい話で盛り上がっているようだったが、四人はサドの姿を認めると弾かれたように姿勢を正し、整列した。
「おはようございますっ」
四人はまったく同じタイミングで言い、膝に顔が着くかと思うほど腰を折った。
「おっす……」サドはいつものように頭を下げず、むしろ顎をくいっと上げてあいさつをした。「ライス、昨日はご苦労だったな、なにもなかったか?」
「はいっ」ライスが顔を上げ、真正面を向いたまま答えた。サドと視線は合わせていない。「なにもありませんでしたっ」
ライスは昨夜、優子の病院の警備に就いていた。
「おまえのおかげだ」
サドはライスの首筋に口づけをした。軽く吸うと、ライスは電流に痺れたように身を震わせ、喘いだ。
サドはライスから離れ、歩き出した。「全員、話がある。ついて来い」
「はいっ」
吹奏楽部の部室にはラッパッパ四天王の、ゲキカラを除いた三人が、それぞれがいつも座る椅子に腰かけていた。
「おはよー、サド……」トリゴヤは枝毛探しから目を離さず、小さな声で言った。
「おいっす」シブヤは折りたたみ式の鏡を見ながらアイラインを引いていた。
ブラックだけは立ち上がり、サドに軽く頭を下げた。
「おはよう」サドは言って、白いファーのかけられた一人用のソファに座った。
隣に置かれている、シルバーとゴールドのシーツのソファをちらりと見る。
『部長様専用』と書かれた紙が、ここにいるべき人の不在をより強調している。
――優子さん……。
いま一番ここにいてほしい人がいない。
もう数ヶ月、この椅子は空席のままだ。もはや空いていることのほうが当たり前のような気さえしてくる。それでもサドは夢想する。再び、優子さんがこの椅子にどっかと腰を据えることを――。
だが、そんな日はもう二度と来ないのだ。おそらく。
そう考えてしまったことを悟られていないかと、サドは一瞬焦った。だが、四天王の三人とアンダーガールズの四人には、その表情の変化は悟られていないようだった。七人はさっきと変わらない視線をこちらに向けていた。
「話がある。全員、集まってくれ」
サドの号令に、シブヤとトリゴヤは立ち上がってブラックの横に、そしてアンダーガールズたちはその背後にそれぞれ並んだ。
目の前の七人が、現在のラッパッパの総戦力だ。サドは内心ため息をついた。
――ゲキカラがいてくれたら……。
明日の「戦争」で使えそうなメンバーはこの中ではシブヤと、せいぜいブラックくらいだった。シブヤは敵を囲い込んでの戦いが得意だが、タイマンでもそれなりに強い。ブラックは闇に乗じた戦闘を得意としているから、今回の戦争ではその力を発揮しきれない可能性もあるが、スピードを生かせる状況に持ち込めば勝機はある。トリゴヤは覚醒させなければ戦力にならないが、それを戦いの最中にどうやってするかという問題もある。うまく覚醒させたとしても、トリゴヤは今回のような「戦争」には不向きだ。相手の過去をリーディングして精神攻撃をしかける、などと悠長なことをやっている余裕があるかどうか。乱戦になればトリゴヤは出番はない。アンダーガールズの四人もラッパッパにいる以上、それなりに強い。しかし、せいぜい学ランか歌舞伎シスターズと同等でしかないだろう。どこまで戦えるかはやってみなければわからない。ゲキカラがいればなにも考えず、戦場に放てばいい。それだけで数十人の敵を倒してくれるはずだ。
サド自身が戦場に出ることはまずないだろう。最後の最後までこの部室で指揮を執らなければいけない。この部屋まで敵が階段を昇ってくるのなら、それはかなり戦況が切迫しているということであり、そのときこそサドの出番ではあるが……。
サドは思考を経ち、話し始めた。「知っての通り、いよいよ明日、アリジョの連中がカチコミに来る。生徒会は約束どおり、作戦計画書を徹夜で作り上げた。そこで私は峯岸とともに校長から今日と明日の授業を中止する許可をもらってきた。あと三十分ほどで生徒全員が体育館に集められ、全校集会で峯岸が非常事態宣言を発令する。形式的にはわれわれラッパッパも生徒会長の指揮下に入ることとなるが、これはあくまで生徒会の顔を立てるためのものだ。実際には、私がこの部屋で指揮を執る。なにか質問は?」
サドはみんなを見回した。トリゴヤがかわいらしく首をかしげただけ――ではなかった。
シブヤが肘から先だけを小さく上げた。
「このこと、優子さんは知ってるんすか?」
挑発的な目つきだった。
「前にも言ったが、この件は私の独断で決めたことだ。優子さんは知らない」
「あのときは、まだこんなに話が大きくなってなかったからよかったすけど……大丈夫すか、ホントに?」
「優子さんには事後報告する」
「シメられますよ」
「覚悟している」
「前から思ってたんすけど……なんで優子さんに知らせないんすか?」
「――おまえたちは知らなくていい」
「それ、おかしくないすか? しかも、よりによって生徒会と組むなんて……。優子さんが知ったらなんて言うか……」
「シブヤ、やめろ」ブラックが低く言った。
「そうだよ、やめときな。サドだっていろいろ考えてんだからさ」
「いずれ、おまえたちにも話す。約束する。だが、いまは言えない」
「いま知りたいんすよ。こっちも命かけるんすから」
「だめだ」
「もしかして優子さんの病気と関係ある……」
サドはシブヤに歩み寄り、ピンクのスカジャンの襟元をつかんだ。そしてそのまま思いっきり自分のほうへ引き寄せた。シブヤはその反動で首をのけぞらしたが、愛嬌のある垂れた瞳の視線はサドから離さなかった。
「一致団結して戦争始める前になって内紛起こす気か? 私は優子さんからラッパッパとマジジョを預かってるんだ。おまえらは黙って私の言うとおりにすればいい」
「戦争が始まるなら、なおさらはっきりしときたいんすよ。あたしらは、だれのために戦うのか。あたしは優子さんのためなら死ねる。けど、あんたのためには死ねない」
「ずいぶんデカい口たたくな。二十人も連れてって、たった二人のガキにボコられたやつが……アん?」
「そうす。あいつらはマジで強ええ。だからあたしらは一心同体で戦わなくちゃけないんすよ。でも、あんただけがなにかを隠してる。みんな口にこそ出さないけど、そう思ってる。そして、それが優子さんのことだってのも……」
サドはシブヤを放した。
ブラック、トリゴヤ、昭和、ジャンボ、アニメ、ライスを順に見た。
シブヤの言葉を否定する者はいなかった。
たしかにシブヤの言うとおりだ。自分が逆の立場なら、サドもシブヤのように食ってかかったかもしれない。
優子の病状に関して本当のことを言い、隠していたことを詫びる。そうすればラッパッパはまとまるだろう。ある種の弔い合戦のような高揚感がわきあがる。
サドは迷った。時間はかけられない。あまりに無言でいれば、それはシブヤの疑惑を肯定することになる。
――どうすればいい? なにが正解だ?
きっと、みんなには、人をにらむときに寄り目気味になるサドの大きな瞳がゆらゆらと揺れているのが見えているだろう。
「――優子さんは……」とりあえず口にした。このあと、どう続けるかは決めていなかった。
前田敦子とタイマンを張る前よりも緊張した。
唾液を飲み込んだ。
みんながサドを見ていた。
「――もうすぐ退院できる。おまえたちが考えているようなことはない。私が優子さんにこのことを言わないのは、余計な心配をさせたくないからだ。ダチのことを一番大切に考えている優子さんに言えば、きっといますぐここに来てくれると思う。私も優子さんがここにいれば、どれだけ心強いか……。しかし、いまの優子さんにそんなことをさせられるか? 病気が悪化して入院が長引けば、今年卒業できなくなる。優子さんはいままで、私たちのことを本当に大切にしてくれた。今度は私たちが優子さんを守る番なんだ」
退院できるという嘘以外は本心だった。
サドはシブヤを見た。
「ま、そういうことにしときますか」シブヤは肩をすくめた。「ただ、これだけは言っておきたいす。あたしはあんたが好きじゃない。だから明日は、あんたのためには戦わない。あたしは、優子さんのために命をかける」
「それなら同じだ。私も優子さんのために戦う」サドは、これで話は終わったとばかりに、部室の奥のタイマン部屋へ歩きだした。「全校集会まで少し休む。だれも入ってくるな」
無言の七人の視線を背中に感じながら、サドはタイマン部屋の中へ入った。
ドアを閉め、施錠する。
サドは部屋を突っ切って、優子に数えきれないほど抱かれたベッドの端に座った。
深いため息。
みんなに優子の病状について嘘をついたのは、優子の秘密を自分ひとりだけが知っているという優越感を持っていたかったから……。
そんな自分にリーダーの資格などあるのか。大島優子という名前を出さなければ、みんなをまとめられない。こんなことでアリジョに勝てるのだろうか。優子さんに恥じない戦いができるだろうか。
シブヤが自分を嫌っているのは、普段から感じていた。しかしはっきりと、他のメンバーたちの前で言われたのはショックだった。比べるのはおこがましいが、やはりサドは優子にはかなわないのだ。
それでも、サドは戦わなければならない。
――優子さんのために……。
サドは熱を測るように額に手のひらを当て、指で茶色の前髪をつかんだ。なぜだかわからないが、このままむしりとってしまいたい気がした。
下唇を前歯で噛む。
床を見ていた視界が滲む。
大粒の雫が、ぽたぽたと、スカートの膝のあたりに染みをつくっていく。
声を上げて泣きたかった。
でも、できなかった。
だれも見ていないとはいえ、ラッパッパのナンバー2がそんなことをするわけにはいかない。サドの矜持が許さなかった。
けれども。
涙ではなくとも、なにかを体から吐き出さなければ、心が壊れてしまいそうだった。
「――優子さん……助けて……」
サドは嗚咽するようにつぶやいた。
【つづく】
これから校長と細かな打ち合わせをするという峯岸を校長室に残し、サドは四階の吹奏楽部部室へ向かった。
階段を昇った先の踊り場には、アンダーガールズの四人――ジャンボ、アニメ、昭和、ライス――がいた。なにやらどうでもよい話で盛り上がっているようだったが、四人はサドの姿を認めると弾かれたように姿勢を正し、整列した。
「おはようございますっ」
四人はまったく同じタイミングで言い、膝に顔が着くかと思うほど腰を折った。
「おっす……」サドはいつものように頭を下げず、むしろ顎をくいっと上げてあいさつをした。「ライス、昨日はご苦労だったな、なにもなかったか?」
「はいっ」ライスが顔を上げ、真正面を向いたまま答えた。サドと視線は合わせていない。「なにもありませんでしたっ」
ライスは昨夜、優子の病院の警備に就いていた。
「おまえのおかげだ」
サドはライスの首筋に口づけをした。軽く吸うと、ライスは電流に痺れたように身を震わせ、喘いだ。
サドはライスから離れ、歩き出した。「全員、話がある。ついて来い」
「はいっ」
吹奏楽部の部室にはラッパッパ四天王の、ゲキカラを除いた三人が、それぞれがいつも座る椅子に腰かけていた。
「おはよー、サド……」トリゴヤは枝毛探しから目を離さず、小さな声で言った。
「おいっす」シブヤは折りたたみ式の鏡を見ながらアイラインを引いていた。
ブラックだけは立ち上がり、サドに軽く頭を下げた。
「おはよう」サドは言って、白いファーのかけられた一人用のソファに座った。
隣に置かれている、シルバーとゴールドのシーツのソファをちらりと見る。
『部長様専用』と書かれた紙が、ここにいるべき人の不在をより強調している。
――優子さん……。
いま一番ここにいてほしい人がいない。
もう数ヶ月、この椅子は空席のままだ。もはや空いていることのほうが当たり前のような気さえしてくる。それでもサドは夢想する。再び、優子さんがこの椅子にどっかと腰を据えることを――。
だが、そんな日はもう二度と来ないのだ。おそらく。
そう考えてしまったことを悟られていないかと、サドは一瞬焦った。だが、四天王の三人とアンダーガールズの四人には、その表情の変化は悟られていないようだった。七人はさっきと変わらない視線をこちらに向けていた。
「話がある。全員、集まってくれ」
サドの号令に、シブヤとトリゴヤは立ち上がってブラックの横に、そしてアンダーガールズたちはその背後にそれぞれ並んだ。
目の前の七人が、現在のラッパッパの総戦力だ。サドは内心ため息をついた。
――ゲキカラがいてくれたら……。
明日の「戦争」で使えそうなメンバーはこの中ではシブヤと、せいぜいブラックくらいだった。シブヤは敵を囲い込んでの戦いが得意だが、タイマンでもそれなりに強い。ブラックは闇に乗じた戦闘を得意としているから、今回の戦争ではその力を発揮しきれない可能性もあるが、スピードを生かせる状況に持ち込めば勝機はある。トリゴヤは覚醒させなければ戦力にならないが、それを戦いの最中にどうやってするかという問題もある。うまく覚醒させたとしても、トリゴヤは今回のような「戦争」には不向きだ。相手の過去をリーディングして精神攻撃をしかける、などと悠長なことをやっている余裕があるかどうか。乱戦になればトリゴヤは出番はない。アンダーガールズの四人もラッパッパにいる以上、それなりに強い。しかし、せいぜい学ランか歌舞伎シスターズと同等でしかないだろう。どこまで戦えるかはやってみなければわからない。ゲキカラがいればなにも考えず、戦場に放てばいい。それだけで数十人の敵を倒してくれるはずだ。
サド自身が戦場に出ることはまずないだろう。最後の最後までこの部室で指揮を執らなければいけない。この部屋まで敵が階段を昇ってくるのなら、それはかなり戦況が切迫しているということであり、そのときこそサドの出番ではあるが……。
サドは思考を経ち、話し始めた。「知っての通り、いよいよ明日、アリジョの連中がカチコミに来る。生徒会は約束どおり、作戦計画書を徹夜で作り上げた。そこで私は峯岸とともに校長から今日と明日の授業を中止する許可をもらってきた。あと三十分ほどで生徒全員が体育館に集められ、全校集会で峯岸が非常事態宣言を発令する。形式的にはわれわれラッパッパも生徒会長の指揮下に入ることとなるが、これはあくまで生徒会の顔を立てるためのものだ。実際には、私がこの部屋で指揮を執る。なにか質問は?」
サドはみんなを見回した。トリゴヤがかわいらしく首をかしげただけ――ではなかった。
シブヤが肘から先だけを小さく上げた。
「このこと、優子さんは知ってるんすか?」
挑発的な目つきだった。
「前にも言ったが、この件は私の独断で決めたことだ。優子さんは知らない」
「あのときは、まだこんなに話が大きくなってなかったからよかったすけど……大丈夫すか、ホントに?」
「優子さんには事後報告する」
「シメられますよ」
「覚悟している」
「前から思ってたんすけど……なんで優子さんに知らせないんすか?」
「――おまえたちは知らなくていい」
「それ、おかしくないすか? しかも、よりによって生徒会と組むなんて……。優子さんが知ったらなんて言うか……」
「シブヤ、やめろ」ブラックが低く言った。
「そうだよ、やめときな。サドだっていろいろ考えてんだからさ」
「いずれ、おまえたちにも話す。約束する。だが、いまは言えない」
「いま知りたいんすよ。こっちも命かけるんすから」
「だめだ」
「もしかして優子さんの病気と関係ある……」
サドはシブヤに歩み寄り、ピンクのスカジャンの襟元をつかんだ。そしてそのまま思いっきり自分のほうへ引き寄せた。シブヤはその反動で首をのけぞらしたが、愛嬌のある垂れた瞳の視線はサドから離さなかった。
「一致団結して戦争始める前になって内紛起こす気か? 私は優子さんからラッパッパとマジジョを預かってるんだ。おまえらは黙って私の言うとおりにすればいい」
「戦争が始まるなら、なおさらはっきりしときたいんすよ。あたしらは、だれのために戦うのか。あたしは優子さんのためなら死ねる。けど、あんたのためには死ねない」
「ずいぶんデカい口たたくな。二十人も連れてって、たった二人のガキにボコられたやつが……アん?」
「そうす。あいつらはマジで強ええ。だからあたしらは一心同体で戦わなくちゃけないんすよ。でも、あんただけがなにかを隠してる。みんな口にこそ出さないけど、そう思ってる。そして、それが優子さんのことだってのも……」
サドはシブヤを放した。
ブラック、トリゴヤ、昭和、ジャンボ、アニメ、ライスを順に見た。
シブヤの言葉を否定する者はいなかった。
たしかにシブヤの言うとおりだ。自分が逆の立場なら、サドもシブヤのように食ってかかったかもしれない。
優子の病状に関して本当のことを言い、隠していたことを詫びる。そうすればラッパッパはまとまるだろう。ある種の弔い合戦のような高揚感がわきあがる。
サドは迷った。時間はかけられない。あまりに無言でいれば、それはシブヤの疑惑を肯定することになる。
――どうすればいい? なにが正解だ?
きっと、みんなには、人をにらむときに寄り目気味になるサドの大きな瞳がゆらゆらと揺れているのが見えているだろう。
「――優子さんは……」とりあえず口にした。このあと、どう続けるかは決めていなかった。
前田敦子とタイマンを張る前よりも緊張した。
唾液を飲み込んだ。
みんながサドを見ていた。
「――もうすぐ退院できる。おまえたちが考えているようなことはない。私が優子さんにこのことを言わないのは、余計な心配をさせたくないからだ。ダチのことを一番大切に考えている優子さんに言えば、きっといますぐここに来てくれると思う。私も優子さんがここにいれば、どれだけ心強いか……。しかし、いまの優子さんにそんなことをさせられるか? 病気が悪化して入院が長引けば、今年卒業できなくなる。優子さんはいままで、私たちのことを本当に大切にしてくれた。今度は私たちが優子さんを守る番なんだ」
退院できるという嘘以外は本心だった。
サドはシブヤを見た。
「ま、そういうことにしときますか」シブヤは肩をすくめた。「ただ、これだけは言っておきたいす。あたしはあんたが好きじゃない。だから明日は、あんたのためには戦わない。あたしは、優子さんのために命をかける」
「それなら同じだ。私も優子さんのために戦う」サドは、これで話は終わったとばかりに、部室の奥のタイマン部屋へ歩きだした。「全校集会まで少し休む。だれも入ってくるな」
無言の七人の視線を背中に感じながら、サドはタイマン部屋の中へ入った。
ドアを閉め、施錠する。
サドは部屋を突っ切って、優子に数えきれないほど抱かれたベッドの端に座った。
深いため息。
みんなに優子の病状について嘘をついたのは、優子の秘密を自分ひとりだけが知っているという優越感を持っていたかったから……。
そんな自分にリーダーの資格などあるのか。大島優子という名前を出さなければ、みんなをまとめられない。こんなことでアリジョに勝てるのだろうか。優子さんに恥じない戦いができるだろうか。
シブヤが自分を嫌っているのは、普段から感じていた。しかしはっきりと、他のメンバーたちの前で言われたのはショックだった。比べるのはおこがましいが、やはりサドは優子にはかなわないのだ。
それでも、サドは戦わなければならない。
――優子さんのために……。
サドは熱を測るように額に手のひらを当て、指で茶色の前髪をつかんだ。なぜだかわからないが、このままむしりとってしまいたい気がした。
下唇を前歯で噛む。
床を見ていた視界が滲む。
大粒の雫が、ぽたぽたと、スカートの膝のあたりに染みをつくっていく。
声を上げて泣きたかった。
でも、できなかった。
だれも見ていないとはいえ、ラッパッパのナンバー2がそんなことをするわけにはいかない。サドの矜持が許さなかった。
けれども。
涙ではなくとも、なにかを体から吐き出さなければ、心が壊れてしまいそうだった。
「――優子さん……助けて……」
サドは嗚咽するようにつぶやいた。
【つづく】