連休最後の今日は池袋で『ミュージカル ミンキーモモ 鏡の国のプリンセス』を見てきた。AKB48の秋元才加が準主役で出演していたからだ。
チケット代は手数料とか含めて7000円……。でも、これも才加の出演料の一部になるなら、と馬券を買う金を節約して支払った。
広井王子が脚本なのだから面白いわけはない。そんなのはAKB歌劇団を見た段階でわかっていた。それでも才加が出るなら見ないわけにはいかない。辛い生き方だな、ヲタって。
それで千秋楽の舞台を見たわけだが、これが予想以上にひどかった。
才加はいい。与えられた役割をちゃんと演じていたし、おそらく見た人すべての心の中に留まるだろう。
でも、一番の問題は、その演技が物語にまったく生かされていないことだ。
すべてが浅い。
基本的に、これは子供向けのミュージカルだ(もっとも、製作側が予想した以上に親子連れは少なかったと思うが)。でも、だからこそちゃんと作るべきではないだろうか。
夢がテーマだからって、「夢を持つことはすばらしい」と連呼するのは一番ダメな作り方だと思う。戦争反対がテーマの物語で「戦争はよくない」と台詞で言わせるのはかっこ悪いでしょう。
子供向けだからそれでいい、というのであれば、それこそ子供を馬鹿にしている。
子供向けであればこそ、大人が見ても耐ええるきちんとしたものでなければいけないよ。
子供には人間の姿をありのまま見せるべきだ。
この物語には、人間は善良さと悪の部分を併せ持つということが描かれていない。
世界には、どうやら「いい人」しかいないようだ。
本気で腹が立ったのは、泥棒をしても正直に謝れば許されるばかりか得をするというエピソード。子供には、罪は罪だと教えないといけない。償いというのは正直に謝ることではない(この問題は本作に限ったことではなく、いろんな映画や小説やマンガに見られる根深い問題ではあるのだが、それはまたいずれ……)。
人間は不完全だ。でも、だからこそ希望を持てる。
大人だって不完全なんだから、子供は不完全に決まっているし、それでいい。お互いにダメな部分も良い部分も認め合って折り合いをつけていくのが、世の中を生きていくってことだ。
子供に見せるべきは、そういうものではないのだろうか。
広井王子はアニメの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を見てないと思う。
きちんと見ていたら、こんなものに仕上がるわけがない。
『ミンキーモモ』は「魔法では夢は叶わない。夢は自分自身で叶えるもの」という作品だ。
そして魔法を描きながらも、現実というものを核に置いている。
ことさらに神格化する気はないけど、第42話「間違いだらけの大作戦」を巡るエピソードは今でも鮮烈に覚えている。打ち切りになった場合、スタッフはこのエピソードで物語を終わらせるつもりだったそうだ。この42話は、くだらない間違いから核爆弾が落とされ核戦争が起こり地球が滅亡するというストーリーで(ミンキーモモは核戦争を防げない)、もし、これが本当になっていたら、それはアニメ史上もっとも印象的な最終回になっただろう。いや、本当の最終回も充分、衝撃的ではあるけれど。
大人たちが本気で子供たちに伝えたいと思って作っていたアニメだからこそ、何十年もみんなが覚えているのだ。
原点と違うものを作りたいというのなら、まあそれでもいい。
ただ、それならちゃんとしたものを作ってくださいよ。
でも、「テレビ東京のマイナー番組だったミンキーモモが立派になった」とか言って喜んでる人もいるから、そんなこと気にするおれがおかしいんだろうな、きっと。
『鏡の国のプリンセス』のモモはなにをしたか。
なにもしていない。
その場しのぎに変身しているだけ。
そして空虚なことを言い放つ。責任感のかけらもなく。
「夢はきっと叶う」とか……。
では、夢が叶わなかった人は、そのあとどう生きればいいんだろうか?
このモモには答えられないだろう。
ナイトメアは何者で、最終的に何をしたかったのだろうか。まるでわからない。
ぼんやりとした悪役像を、あそこまで演じた才加はすばらしい。
ちゃんとした脚本なら、もっとすごい芝居ができるだろう。
一刻も早く「広井ファミリー」からの卒業を、おれは本気で願っている。