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グロい内容があるので、死体の話が嫌いな人はNGです。

 06, 2007 06:58
 昨日は仕事始め。忙しくはなかったけど、なんか、かったるい。んで、夕食はあそこのあの炒飯。「うまーっ」と言いたいところだが、ちょっと油が少なかった。まあ、こういう日もあるよね。

 幡ケ谷の殺人事件には、ちょっと興味ある。
 この事件が起きた場所って、マイミクの某さん(一応、名前は伏せておきますね)が以前住んでいた場所にすごく近いところだったり、何年か前には仕事でよく通っていたあたりなのだ。自分の知っている場所で起きる事件は、その風景が想像しやすいので興味が沸く。
 ニュースでしか情報を知ることはできないわけだが、この容疑者の犯行は、ずいぶん杜撰だ。「サメの死体」なんて理由が通じると思っていたあたり、ガキとしか思えない。バラバラにしたのはあとで捨てに行くつもりだったのだろうが、あんな程度にバラしただけでは絶対に見つかる。
 ずっと前から思っているんだけど、どうして死体をバラバラにした人は、適当な大きさでやめてしまうんだろう? 今回の事件の場合は家族と同居していたから無理だろうけど、おれだったら、三角コーナーに入れられるくらい小さく切断し、少しずつ時間をかけて捨てていく。まず見つからないと思うよ。
 ただ、それまで死体の残りを保存しておくのが大変だ。冷蔵庫に入りきるかな? 棚を全部外せば大丈夫か? でも、そこまで切り刻むにはかなり時間がかかるから、そのあいだにも腐敗ははじまっていくし……。あ、でも、『ドイト』とかで小さい電動ノコを買ってくれば作業も効率的にできそう。まあ、いずれにしても処理は冬のほうがいいね。
 死体処理といえば、いつだったか自分の家の床下に死体を埋めていたやつが時効でお咎めなしになったというニュースを読んだ(詳細不明)。これはうまくやった例だろう。いい感じに腐ってくれれば、地中で分解されたり虫の餌になったりするから、匂いもそれほどではなかったかもしれない。わからないけど。何十年も経てば消えるのか、それとも家自体に臭いが染み付くのか……。けど、毎日「この下に自分が殺した死体かある」と思いながら何十年も生活するってどういう気分だろう? それが日常化していってしまえば、他人が想像するよりも普通に生活できてしまうものなのかもしれない。
 なんにしろ、殺人なんて割の合わないことだ。死体処理なんて、リアルに考えたらおぞましいだけ。リスクがでかすぎる。人殺しなんてやめといたほうがいい。

 で、話はあの事件に戻るわけだが。
 容疑者は姉に「あなたには夢がない」と言われ、カッとして殺したというふうに報道されているが、それが本当だとしたらなんとも切ない話だと思う。
 夢を適えつつある人って、人生が、ある程度は自分の思い通りになっているわけで、そうならない人に対してもどかしさや優越感をいだいたりするのだと思う。
 ぼく自身も、いま自分の好きなことのできる環境にあって、正直なところ、ときどきそんなことを思ったりしてしまう。
 しかし、夢が叶うってのは、実は単に運の問題だと思うのだ。
 もちろん実力もある程度は関係しているだろう。でも、つまらない話を量産している作家や脚本家とか、面白くもなんともない芸人とか、ちっとも良さのわからない歌手とかの存在について考えると、最終的には運がモノをいうのだと思う。
 はっきり言って、努力してもダメな奴はいる。そういう人は運に見放されているのだ。努力が運を引き寄せることもあるけど、それさえもできない場合もある。努力すればいつかは報われる、なんてのは嘘だ。かといって、運だけでなにかを成し遂げようとするのも無理だろう。やはり世界は思うままに歩けないのだ。
 運は待っていても来ないから、それでも人は何かをし続けるのだろう。ぼくもそう思うから、今日もこれから競馬のメルマガをちまちまと書いたりするのだ。

 この事件の容疑者のことは知らないから、それについてはなにもいえないけど、人を殺したことが本当だとするのなら、それによって、彼には本当に夢も希望もなくなった。被害者の姉の言葉が、自分が殺されることによってより現実化してしまったのは皮肉としか言いようがない。

 今日は雨の予報です。
 後楽園で馬券買ってから、中野に行く予定だったけど、月曜日にしようかな。雨の中外に出るのはヤなんですよ。晴れていれば自転車で行けるし。
 ああ、雨は嫌いだ。

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