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マイミクの尾久セントラルくんに借りて読みました。
『響鬼』はいろいろと憶測や物議を呼んだ作品だったが、もう二年も前のことになるのか…。
『響鬼』は放送当時は好きな特撮作品だったが、今ではそうでもない。けれどもそれは、後半のぶち壊しだけが理由ではなく(もちろんそれが一番大きいけれども)、中盤からこの物語がなにを描こうとしているのかわからなくなっていたからだ。
基本的には明日夢とヒビキの交流、そして明日夢の成長譚が軸にあるはずなのに、それは途中でブレていた。毎度毎度変わらぬエピソード、ドラマでありながら日常を繰り返しているだけ…。てなことを書くと、ぼくが『響鬼』を嫌っているように思われるかもしれないが、嫌いなわけじゃなく、残念だなぁと思うのだ(少なくとも『カブト』よりは好き)。せっかくいい素材があるのに、平凡な料理を作られた感じ、とでも言うべきか…。
物語を作るということが、そしてそれを大きな制約のものに作るということが、どれだけ大変なのかがうかがえる一冊。
この手のものがスポンサーありき、ということは大人だから理解しているつもりだけど、これがとにかくうるさい(笑)。朝令暮改的なことを言い出したり、おもちゃの開発の時間がないと急がせたり…。
そもそもバンダイは「仮面ライダー」という名前にこだわりすぎなのではないかと思っていたが、それはどうやらまちがいで、単に失敗を恐れているだけではないかと思う。「ライダーシリーズ」を止め、別の新しいものを作ったとして、それがコケたときに「どうして仮面ライダーにしておかなかったんだ?」と言われないための、いわば言い訳としてブランドが利用されているのではないか?
この『響鬼』だって、最初は「仮面ライダー」ではないものを作ろうと意気込んでいたのに、途中から「やっぱりライダーで」とスポンサーが言い出してくる。ああ、おれはつくづく現場に関わる仕事に就かなくてよかったと思うよ。やはり好きなものとは適度に距離を置いて接し、ときには批判をするくらいの余裕があるほうが楽しめる。
それにしてもすごいと思うのは、物語の設定を考えることの大変さ。特に「異形のモノ」を現実世界にどれだけ反映されるべきかの論議は興味深かった。リアリティの問題は重要で、これをどこに設定するかによって物語のすべてが決まってしまう(たとえば『電王』はこのあたりをボカしたまま進んでいるわけだが)。ぼくの好みで言えば、『ガメラ2』くらいのリアリティはすべての作品に欲しいけど(笑)、まあ、それによって作品のバランスが崩れるものもあるだろうし、贅沢は言いません。この点に関して、序盤の『響鬼』はわりとうまくいっていたと思う。
文芸チームを組む、ということの利点と欠点についても、いろいろと考えさせられた。中心となる人がいることは心強い反面、その人を納得させないとならないという、創作活動とはちがうエネルギーを使う必要もあるし…。
また、著者の『響鬼』第1,2話についての感想も良かった。ここで著者が指摘するミスについて、ぼくはなんの不思議もなく見ていてしまった。なるほど言われて見るとたしかにその通りだと思える。こういうのって、どんな作品にでもたくさんあって、ぼくなんかの目では見逃してしまっているんだろうなぁ…。でも、この件について言い訳をさせてもらうと、もうあえて作品を根掘り葉掘り見る、という視点を放棄していることもあるんですよ。以前、ミステリ研究会に所属していたころ、作品のミスばかり探すような人が多くて、それに辟易したことがありましてね…。しかも自分もそういう視点で作品に接していたりもしたので、いまはできる限りおおらかな見方を心がけているんですよ、ホントに。だからこそ、井上敏樹みたいなテキトーな脚本に腹が立つんですが…。
この本ではプロデューサー交代劇については言及されていないものの、そうなった一端のようなものは垣間見える。まぁ、著者は文芸チームにいただけだから、そこまで知る位置にはいなかっただろうし、それはもうどうでもいい。作品は出来上がったものが全てだから。
ぼくがいつかまた、小説を書くようなことがあったときは、きちんとした設定を考えよう、と思えた一冊でした。なに、この結論(笑)。
『響鬼』はいろいろと憶測や物議を呼んだ作品だったが、もう二年も前のことになるのか…。
『響鬼』は放送当時は好きな特撮作品だったが、今ではそうでもない。けれどもそれは、後半のぶち壊しだけが理由ではなく(もちろんそれが一番大きいけれども)、中盤からこの物語がなにを描こうとしているのかわからなくなっていたからだ。
基本的には明日夢とヒビキの交流、そして明日夢の成長譚が軸にあるはずなのに、それは途中でブレていた。毎度毎度変わらぬエピソード、ドラマでありながら日常を繰り返しているだけ…。てなことを書くと、ぼくが『響鬼』を嫌っているように思われるかもしれないが、嫌いなわけじゃなく、残念だなぁと思うのだ(少なくとも『カブト』よりは好き)。せっかくいい素材があるのに、平凡な料理を作られた感じ、とでも言うべきか…。
物語を作るということが、そしてそれを大きな制約のものに作るということが、どれだけ大変なのかがうかがえる一冊。
この手のものがスポンサーありき、ということは大人だから理解しているつもりだけど、これがとにかくうるさい(笑)。朝令暮改的なことを言い出したり、おもちゃの開発の時間がないと急がせたり…。
そもそもバンダイは「仮面ライダー」という名前にこだわりすぎなのではないかと思っていたが、それはどうやらまちがいで、単に失敗を恐れているだけではないかと思う。「ライダーシリーズ」を止め、別の新しいものを作ったとして、それがコケたときに「どうして仮面ライダーにしておかなかったんだ?」と言われないための、いわば言い訳としてブランドが利用されているのではないか?
この『響鬼』だって、最初は「仮面ライダー」ではないものを作ろうと意気込んでいたのに、途中から「やっぱりライダーで」とスポンサーが言い出してくる。ああ、おれはつくづく現場に関わる仕事に就かなくてよかったと思うよ。やはり好きなものとは適度に距離を置いて接し、ときには批判をするくらいの余裕があるほうが楽しめる。
それにしてもすごいと思うのは、物語の設定を考えることの大変さ。特に「異形のモノ」を現実世界にどれだけ反映されるべきかの論議は興味深かった。リアリティの問題は重要で、これをどこに設定するかによって物語のすべてが決まってしまう(たとえば『電王』はこのあたりをボカしたまま進んでいるわけだが)。ぼくの好みで言えば、『ガメラ2』くらいのリアリティはすべての作品に欲しいけど(笑)、まあ、それによって作品のバランスが崩れるものもあるだろうし、贅沢は言いません。この点に関して、序盤の『響鬼』はわりとうまくいっていたと思う。
文芸チームを組む、ということの利点と欠点についても、いろいろと考えさせられた。中心となる人がいることは心強い反面、その人を納得させないとならないという、創作活動とはちがうエネルギーを使う必要もあるし…。
また、著者の『響鬼』第1,2話についての感想も良かった。ここで著者が指摘するミスについて、ぼくはなんの不思議もなく見ていてしまった。なるほど言われて見るとたしかにその通りだと思える。こういうのって、どんな作品にでもたくさんあって、ぼくなんかの目では見逃してしまっているんだろうなぁ…。でも、この件について言い訳をさせてもらうと、もうあえて作品を根掘り葉掘り見る、という視点を放棄していることもあるんですよ。以前、ミステリ研究会に所属していたころ、作品のミスばかり探すような人が多くて、それに辟易したことがありましてね…。しかも自分もそういう視点で作品に接していたりもしたので、いまはできる限りおおらかな見方を心がけているんですよ、ホントに。だからこそ、井上敏樹みたいなテキトーな脚本に腹が立つんですが…。
この本ではプロデューサー交代劇については言及されていないものの、そうなった一端のようなものは垣間見える。まぁ、著者は文芸チームにいただけだから、そこまで知る位置にはいなかっただろうし、それはもうどうでもいい。作品は出来上がったものが全てだから。
ぼくがいつかまた、小説を書くようなことがあったときは、きちんとした設定を考えよう、と思えた一冊でした。なに、この結論(笑)。