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公開二日目の今日、見てきましたよっ。
……うーん、なんだろ、これ。
冒頭のシーンだけは、ちょっといいなと思った。でも、ちょっとだけ。てゆーのも、ガメラが自爆したとき(生き物が自爆するってのもよくわからないけどマァそれはいいとして)、非難していた人たちが「ガメラはおれたちを助けるために自爆したんだ」って説明したときまでなんですよ(早っ)。
画面見てればわかるでしょう、それは……。この脚本家、大丈夫かと思いましたです。
その不安は的中でした(馬券は当たらないのにね)。子供の視線から物語るのはいいんだけど、いくらなんでも怪獣映画のテイストがなさすぎでしょう。
怪獣という、バカバカしくも愛すべき存在に対して、なんの哲学も感じられない。ありえないものだからこそ、それが必要なのに……。
子供が純粋すぎるのも嫌なんだよなぁ。子供って、もっと身勝手で残酷なものでしょう。「純粋な子供」が出てくる物語って、大人側からの「こういう子供がいたらいいのになあ」っていう願望が伝わってきて、すごく醜い。自分が幼かったころのことを思い出してみなよ、と言いたくなる。子供を舐めるな。
人間を喰う怪獣が出てくるのに、まったく恐怖感がない。死体が出てこないからだ。映倫の審査の基準が厳しくなってきているのかもしれないが、ここは思いっきり、子供を怖がらせるべき。主人公の友だちの弟が襲われるシーン、あそこであの子は喰われるべきだった。それでこそ、親父の「子供がどうこうできる状況じゃない」という言葉が生きてくる。
まあ、R-12でもくらったら困る、というのであれば、百歩ゆずって、死体は出さなくてもいい。直接的な表現でなくとも、恐怖感を演出することはできるだろう。とにかくジダースはまったく怖くないのだ。
ジダース絡みでも言いたいことは山ほどある。なんで政府はジダースって名前を付けたの? 人を喰うジダースを自衛隊は追尾もせず、人間を助けるガメラを捕獲するのも変だ。ガメラにエネルギーを注入するのが目的だったのかもしれないが、それならそれでジダースを追っているというシーンなりセリフが必要だろう。てゆーか、そもそもあいつはなんなんだ? こちとら、なんでもいいから「理屈」が欲しいんだよ。
自衛隊も出てくるのに、怪獣を攻撃しようともしない。出撃が間に合わなかったのなら、それはそれでそういうシーンがあるべきだ。ガメラがいなかったらどうするつもりなんだよ。
田口トモロヲが、なぜ巨大生物審議会に敵愾心を持っているのかもよくわからん。その後、手のひら返しをする「面白さ」を入れたいためだけの、浅い場面としか考えられない。
あと、話が完全に前後するけど、オープニングタイトルの、あの工夫のなさはなに? 本編にタイトルとテロップを入れただけ。おれはタイトルの出方にすごくこだわりたいのだが、田崎監督はどうでもいいと思っているみたいだ。
それから音楽がひどい。なにひとつとして心に残らない旋律。怪獣映画には核となる音楽が必要でしょうに。その音楽を聴いただけで、怪獣が現れるような気がするほどインパクトがないと……。
特撮もねぇ……。俯瞰構図のシーンで、明らかに写真と合成しているものがあって、めちゃくちゃ萎えましたよ。いまどき、あれ、ありですか? ぼくは画面に怪獣が出てきただけでワクワクするのに、今回は全然胸が高鳴らない。予算の都合もあるのかもしれないけど、そういうことじゃなくて、スタッフの心意気が感じられないんですよ。『ALWAYS』みたいな、ちょっと見ただけでも「おーっ」と感動する特撮魂が欠如している。これは断じて、予算の問題ではないんです。ここは強く言いたい。
あ、冒頭に書くべきことを忘れてたけど、ぼくは「平成ガメラ3部作」との比較をするつもりはまったくないですから。
比較以前の出来なので。
映画を見て思ったのは、おれは大人になったんだなぁ、ということ。自分が感情移入しているキャラクターは主人公の親父なんですよね。おれが親父だったら、ぶん殴ってでも連れて帰るな、とか思いつつ見ている自分がいました。子供目線で映画を見ることは、もうできないんだろうなぁ。
というわけで、まだまだ言いたいことはあるけど、もう眠いからおしまい。
特撮映画は『日本沈没』に期待します。
……うーん、なんだろ、これ。
冒頭のシーンだけは、ちょっといいなと思った。でも、ちょっとだけ。てゆーのも、ガメラが自爆したとき(生き物が自爆するってのもよくわからないけどマァそれはいいとして)、非難していた人たちが「ガメラはおれたちを助けるために自爆したんだ」って説明したときまでなんですよ(早っ)。
画面見てればわかるでしょう、それは……。この脚本家、大丈夫かと思いましたです。
その不安は的中でした(馬券は当たらないのにね)。子供の視線から物語るのはいいんだけど、いくらなんでも怪獣映画のテイストがなさすぎでしょう。
怪獣という、バカバカしくも愛すべき存在に対して、なんの哲学も感じられない。ありえないものだからこそ、それが必要なのに……。
子供が純粋すぎるのも嫌なんだよなぁ。子供って、もっと身勝手で残酷なものでしょう。「純粋な子供」が出てくる物語って、大人側からの「こういう子供がいたらいいのになあ」っていう願望が伝わってきて、すごく醜い。自分が幼かったころのことを思い出してみなよ、と言いたくなる。子供を舐めるな。
人間を喰う怪獣が出てくるのに、まったく恐怖感がない。死体が出てこないからだ。映倫の審査の基準が厳しくなってきているのかもしれないが、ここは思いっきり、子供を怖がらせるべき。主人公の友だちの弟が襲われるシーン、あそこであの子は喰われるべきだった。それでこそ、親父の「子供がどうこうできる状況じゃない」という言葉が生きてくる。
まあ、R-12でもくらったら困る、というのであれば、百歩ゆずって、死体は出さなくてもいい。直接的な表現でなくとも、恐怖感を演出することはできるだろう。とにかくジダースはまったく怖くないのだ。
ジダース絡みでも言いたいことは山ほどある。なんで政府はジダースって名前を付けたの? 人を喰うジダースを自衛隊は追尾もせず、人間を助けるガメラを捕獲するのも変だ。ガメラにエネルギーを注入するのが目的だったのかもしれないが、それならそれでジダースを追っているというシーンなりセリフが必要だろう。てゆーか、そもそもあいつはなんなんだ? こちとら、なんでもいいから「理屈」が欲しいんだよ。
自衛隊も出てくるのに、怪獣を攻撃しようともしない。出撃が間に合わなかったのなら、それはそれでそういうシーンがあるべきだ。ガメラがいなかったらどうするつもりなんだよ。
田口トモロヲが、なぜ巨大生物審議会に敵愾心を持っているのかもよくわからん。その後、手のひら返しをする「面白さ」を入れたいためだけの、浅い場面としか考えられない。
あと、話が完全に前後するけど、オープニングタイトルの、あの工夫のなさはなに? 本編にタイトルとテロップを入れただけ。おれはタイトルの出方にすごくこだわりたいのだが、田崎監督はどうでもいいと思っているみたいだ。
それから音楽がひどい。なにひとつとして心に残らない旋律。怪獣映画には核となる音楽が必要でしょうに。その音楽を聴いただけで、怪獣が現れるような気がするほどインパクトがないと……。
特撮もねぇ……。俯瞰構図のシーンで、明らかに写真と合成しているものがあって、めちゃくちゃ萎えましたよ。いまどき、あれ、ありですか? ぼくは画面に怪獣が出てきただけでワクワクするのに、今回は全然胸が高鳴らない。予算の都合もあるのかもしれないけど、そういうことじゃなくて、スタッフの心意気が感じられないんですよ。『ALWAYS』みたいな、ちょっと見ただけでも「おーっ」と感動する特撮魂が欠如している。これは断じて、予算の問題ではないんです。ここは強く言いたい。
あ、冒頭に書くべきことを忘れてたけど、ぼくは「平成ガメラ3部作」との比較をするつもりはまったくないですから。
比較以前の出来なので。
映画を見て思ったのは、おれは大人になったんだなぁ、ということ。自分が感情移入しているキャラクターは主人公の親父なんですよね。おれが親父だったら、ぶん殴ってでも連れて帰るな、とか思いつつ見ている自分がいました。子供目線で映画を見ることは、もうできないんだろうなぁ。
というわけで、まだまだ言いたいことはあるけど、もう眠いからおしまい。
特撮映画は『日本沈没』に期待します。