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これも感動の悪例か?

 25, 2006 19:40
 先日、テレビで放送されていた「ドキュメンタリー」。
 心臓移植のために渡米した6歳の少年が「主人公」。そして彼を支える両親やプロ野球選手が登場する。
 いいお話だろう。スタジオのコメンテイターや観客も涙を流している。まさに感動……表面的には。
 ぼくも、少年には助かってほしい、と思う。本当に。せっかく生まれた命が無駄に散ってしまうのは残酷なことだ。
 ただ、この「物語」の裏では、アメリカ人の子供が何らかの理由で死んでいるのだ。

 移植手術とは、すなわち誰かが死ぬのを待つ、という「医療」に他ならない。少年が心臓を移植できたということは、別の子供が死んだということだ。事故か自然死か、あるいは殺されたのかはわからないが。
 これは本当に「いいこと」なんだろうか?
 命を救うためなら、なにをしてもいいのだろうか?
 ぼくは、脳死をした人からの臓器移植には、すごく疑念を持っている。
 番組は、これを「美談」としている。感動的な音楽をBGMにし、父と子の別れを「演出」した。というか、BGMはずーっと鳴り続けている。なんのために?

 この番組の親子の選択を否定しているのではない。子供が助かる方法があるのなら、親がそれにすがるのは当然のことだ。
 こういうものを一方的な立場から放送するという姿勢と、これだけを見て「どうして日本で移植ができないのか」と思う人々の「純粋さ」に、ぼくはすごく欺瞞を感じる。
 その「ピュア」こそが、ぼくが最も嫌う、人の感情なのかもしれない。

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