■特訓1-3■
立ち上がっても、ヲタは直立の姿勢でいた。だるまも、そんなヲタの様子をうかがって、同じく直立した。
「硬くならなくってもいいっての……」ノンティは笑顔で言った。人なつこいその表情は、彼女がかつて数百人の頂点に立っていた女だとは、微塵も感じさせなかった。「あたしたちは毎朝のお参りに来ただけだし。ね、めーたん」
「そ。お店が終わったあとはいつもこの神社に来るのよ。今日はありがとう、明日もよろしくお願いしますって」
でも、自分たちが階段を上り下りしているときに、この三人は見ていない。ヲタは不思議に思ったが、まだ解けない恐怖の呪縛に、口を閉ざしていた。
「ま。ご利益なんかないけどね……って、こんなところで言ったら神様に聞こえちゃうか」ノンティは目を「へ」の字に曲げて、ぺろりと舌を出した。そのおどけた変顔を、ヲタは思わず笑いそうになった。
「縁結びの神様のはずなのに、いまだに王子様は現れないし」シンディが口を尖らせて、ノンティとめーたんを見た。「結ばれてるのは高校時代の腐れ縁だけ。やんなっちゃう」
「あたしだってやんなっちゃうよ」ノンティが笑った。
「ねえ、とりあえず先に、お参りしちゃおうよ」めーたんが提案し、ノンティとシンディは頷いた。
三人は、ヲタとだるまをその場に置いたまま、拝殿の短い階段を登った。鈴を鳴らし、賽銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼をする。手を合わせている時間が長かったのが印象的だった。
みんなの様子を見ながら、ヲタはだるまに小さく耳打ちするように言った。「一時はどうなるかと思ったぜ。あの先輩たち、マジで怖いから気をつけろよ。昔、ヤバ女二百人を相手に戦ったくらいだ」
「二百人を三人でっか?」
「そうだ。信じられねえけど、どうやらホントらしい」
「たしかに、さっきの力は女とは思えん怪力やった……」
「全盛期の大島優子といい勝負だってウワサも聞いたことある」
そんなことを話していると、三人はヲタとだるまの元に戻ってきた。
「――あのぉ……」だるまがおずおずと口を開いた。「パイセンたちは、大島パイセンのなんこ上なんすか?」
「あたしら三人そろって二回留年してるから、四こ上かな」
「に、二回も、でっか?」
「わざとよ、わざと。学校、面白くてさ」シンディは笑った。
「三年のときに優子が入学してきてから」ノンティが言った。「いつも、もう一人の大島と比較されてさ。悔しかっただろうなあ……」
「もう一人、大島ってパイセンがいたんでっか?」
「そう。麻衣って子。まいまいって呼ばれててね。入学当初は優子は”弱いほうの大島”って呼ばれてた……」
そしてノンティは、ヲタの知らない時代のマジ女について語り始めた。
大島麻衣は、中学二年のときに、通っていた市立中学校を女として初めて制覇した。頂点に立った大島麻衣の配下には、男を含めて三百人の兵隊が編成された。ケンカのスタイルはなんでもあり。手近に使えるものがあればどんなものでも武器として使った。中でも尖っているものが大のお気に入りで、ケンカをするときは文房具を主に使用した。中学生のころ、大島麻衣がトイレ以外でミニスカートの下に手を入れたときは、とにかく全力で逃げたほうがいい、と言われていた。中からコンパス、ボールペン、シャープペンシル、クリップ、ホッチキス、巻尺が現れることになるからだった。ただし大島麻衣は刃物にトラウマがあるようで、自分からカッターナイフなどを使うことはなかった。
いくつもの学校を受験したもののことごとく入試で落とされ、行き場をなくした大島麻衣が馬路須加学園に入学するといううわさが流れ始め、やがてそれは現実となった。
入学式の日、ブルーローズは大島麻衣を呼び出した。中学時代は好き勝手暴れたらしいが、ここじゃそうはいかねぇよ。総長のノンティが釘を差すと、大島麻衣はニヤリと笑っただけだった。
ノンティは大島麻衣をシメた。
大島麻衣が一切抵抗せず、されるがままだったのを、ノンティはかえって不気味に感じた。
いくら中学校で番を張っていた大島麻衣とて、その場にいるブルーローズのメンバー二十人を相手に闘い、勝つのは不可能だ。
「かといってただ殴られるのも嫌だった。だからせめてもの抵抗として、笑ったんじゃないかな……」大島麻衣が抗わなかった理由を、ノンティはそう解釈している。
その後、大島麻衣は同じ中学からの藤江れいなと近野莉菜を舎弟とし、一年の統治をはじめた。大島麻衣のクラスでは比喩ではなく、血が流れない日はなかった。大島麻衣とダチでない者が一秒以上目を合わせた場合、次の瞬間に体のどこからか血を流すことになった。
1年C組は二週間で大島麻衣の「物」となった。
だが、大島麻衣はブルーローズの配下の者には手を出さなかった。ブルーローズも大島麻衣を監視下に置いたままでいた。出る杭は早めに抜くべき、と主張したのはシンディだったが、ノンティはあえてそのままにした。自分たちが卒業したあとに、学園を統治する者が必要だった。大島麻衣がその器なら、その過程を見届けたいという気持ちがあった。
「やればできる子、だと思ってたわ」
大島麻衣は学校外でも暴れた。他校の生徒とのケンカはもちろん、通学途中の電車内で制服のミニスカートから伸びた脚を見ていただけのサラリーマンを痴漢呼ばわりし「慰謝料」をせしめたりした。これは大島麻衣のチーム「ナンダホー」の重要な活動資金になっていた。
一方、大島優子は1年A組に編入されていた。入学当初は無名だった大島優子は、一年の初夏に吹奏楽部で「ラッパッパ」を立ち上げ、脚光を浴びるようになる。
憂いは早めに絶つことを信条にしていた大島麻衣にタイマンを申し込まれた大島優子は、三秒で床に伸された。密かに学園統一を狙う大島優子にとって、これは大いなる屈辱だった。
それ以降、大島優子は「弱いほうの大島」と呼ばれた。
大島優子は自分が井の中の蛙だということを知った。中学時代はそこそこ強かったつもりだが、高校に入ってみると自分の中学時代の栄光を知る者はおらず、数多いるヤンキーの中の一人でしかなかった。そして自分より強いやつはいくらでもいた。
大島優子はみずからを律し、鍛えに鍛えた。
「そのとき、優子も何度も山篭りしたんだよ……」ノンティは遠い目で言った。「その場所がここの神社。なんでか知らないけど、マジ女の子たちは、特訓っていうとここに来るんだよね。知らず知らずのうちに伝統になってるんだと思う……」
その甲斐あってか、大島優子は徐々に力をつけ、ラッパッパも構成員を拡大していった。それでもラッパッパは「二軍」と呼ばれた。ラッパッパがどれだけ強くなっても、ナンダホーはそれ以上に強さを増したからだ。十はくだらない数の二年のチームでさえ、ナンダホーには太刀打ちできなかった。
ブルーローズのメンバーたちは、自分たちが去ったあと、マジ女を統べるのはナンダホーだと確信していた。ノンティは大島麻衣に帝王学を、めーたんは闘いの技術と性技を、シンディは女としての魅力を磨くすべと人身掌握術を、それぞれが伝えた。大島麻衣はそれらをスポンジが水を吸うように自分のものとした。
「てゆーか、めーたんはまいまいだけじゃなくて優子とも寝てたんだよ。なにしろ当時のマジ女は、めーたんと寝てなかった子を探すほうが大変だったからね」
「ヤだ。自分だって私の舌が好きなくせに、人を淫乱みたいな言い方して……」
「だって、そうじゃん。だからあたしたち、いまだに男じゃ満足できないんだよ……って、初めて会った子の前でなに言わせんの」
もはやブルーローズだけではなく、学園内のだれもがマジ女はナンダホーの手の中にあると思っていた――大島優子とラッパッパのメンバーを除いては……。
大島麻衣と大島優子が二年になり、ブルーローズは卒業と同時に解散した。潔さを旨とするブルーローズはチームそのものの存続には固執しなかった。ブルーローズの名は伝説として残ったほうがいい、とノンティは判断した。
「自分たちが卒業したあとにだらだらと続いても、いつかは凋落するからね。だったら、強いままで解散したほうがかっこいいでしょ。それに、まいまいがいたから学園そのものは落ち着くと思ってたし……」そしてノンティは、これから先は、自分たちが直接見聞きしたわけじゃなくて、後輩から聞いたんだけど……と断ってから、再び話し出した。
ブルーローズ亡きあと、マジ女は「ナンダホー政権」の元に安寧した。
それでも大島優子はあきらめなかった。彼女の不屈の精神こそ、ラッパッパそのものであり、また強さでもあった。
ナンダホーとラッパッパの力の差が覆されたのは、のちに「血の月曜日」と呼ばれる事件を起こした一人の転入生と、大島優子の矢場久根三十人斬りがきっかけだった。
ゲキカラと呼ばれることになる松井玲奈が、名古屋の高校からマジ女の2年A組に転校してきたのは、大島優子が二年生になった六月の雨の日だった。
転校初日、転入生へ「挨拶」をするため、藤江れいなと近野莉菜が松井玲奈の教室へやってきた。教室の隅に松井玲奈を追い込んだ二人は、一分と経たないうちに次々と血を噴いて倒れた。松井玲奈がいつのまにか手にしていた彫刻刀が、二人の首や喉をえぐったのだ。松井玲奈はなおも襲いかかり、二人を病院送りにした。
報せを聞いた大島麻衣は、もちろん黙っていなかった。学園を支配しているのがだれなのか教える必要があった。かわいい舎弟の二人を半殺しにした転入生に。
ナンダホーは今度は十人で松井玲奈を下校時に襲撃したものの、全員がビニール傘の骨で体中を突き刺された。大島麻衣のお株を奪うような闘い方は、ナンダホーを恐怖させた。
ウワサは瞬く間に学園に広まった。ナンダホーの権威を失墜させないために、大島麻衣はタイマンでケリをつけるほかなくなった。
「血の月曜日」と呼ばれることになるその日の夕方、屋上に呼び出された松井玲奈は大島麻衣と正対した。大島麻衣はいつものように、ミニスカートの中に様々な「文房具」を隠していた。これはなんとしても勝たなければいけない闘いだった。
だが結局、屋上の床と、病院に運ぶためにやってきた救急隊のストレッチャーは主に大島麻衣の血で染められた。アキレス腱からの出血が特にひどく、大島麻衣は今でも歩くためのリハビリを続けている。
腕、乳房、太ももにコンパスやボールペンが突き刺さっていた松井玲奈は、血まみれのまま笑っていた。それが二人の勝敗の理由だった。
大島麻衣の出血はなかなか止まらず、一時は危険な状態となった。命だけはとりとめたが、学校も自主退学した。
「ナンダホーのメンバーはまいまいを助けようとしたけど、絶対に手を出すなって前もって言われていた。それはまいまいの、最後の矜持だったと思う。タイマンはタイマンなんだって……」
トップが不在になり、馬路須加女学園は無政府状態になった。生徒会では秩序を維持できず、小さなチームが雨後の筍のように現れては消え、消えては現れた。その中で、ラッパッパは着々と勢力を拡大していった。
いつしかゲキカラと称されるようになった松井玲奈を、大島優子はめーたん譲りの性技で寵愛した。男を知らぬまま女の悦びを知ったゲキカラは、大島優子の前では従順になった。それにより、マジ女のパワーバランスは一気にラッパッパへと傾いた。大島優子とゲキカラの最強タッグに抗うものは、もう存在しなかった。
そんなとき、マジ女の状態を知った矢場久根女子高が大島優子に刺客を放った。その数、三十人。事実上、その時点でマジ女の頂点に立ちそうな大島優子をシメることにより、マジ女の混乱状態を長引かせるのが目的だと思われた。
どう考えても矢場久根女子高が負けるわけはなかった。一人対三十人である。
だが、大島優子は負けなかった。三十人が地に伏したとき、唯一立っていたのが大島優子だった。この結果はすぐに馬路須加女学園と矢場久根女子高に伝わった。
そり後、馬路須加女学園で、大島優子に歯向かう者はいなくなった。群雄割拠の時代に突入していた馬路須加女学園はこれにより平定されたかたちとなり、ラッパッパ時代が始まった。
「麻里子も優子に魅せられた一人よ」ノンティが言った。「あの子、優子より年上なんだけど、優子と卒業まで一緒にいたいから、わざと留年したんだって」
篠田麻里子が一匹狼という立場を選んだのは、師と呼べる人を探していたからだった。自分は人の上に立つ器量はないとわかっていた。しかし尊敬できる師の元でなら、自分の力を生かせる。
そんなとき、篠田麻里子はとある集団ケンカのときに、大島優子と初めて拳を交えた。そして、その強さと優しさに魅かれたらしい。
「麻里子は、優子の燃える口づけを受けて、人間じゃいられなくなったって言ってた……。あたしも受けてみたいなぁ……そんなキス」ノンティは頬を紅らめた。
その篠田麻里子が副部長の座に就くと、シブヤ、ブラック、トリゴヤが集まり、それにゲキカラを加えた四人が四天王と呼ばれるようになった。
大島優子――十七歳の夏だった。
「長くなっちゃったね……」
ノンティの言う通りだった。知らないことがほとんどで退屈はしなかったが、その密度の濃さに、ヲタは少しのぼせたような気分になった。
もう一人「大島」がいたことも、大島優子に挫折の過去があることも意外だった。ヲタはマジ女に入学してから半年ほどケンカに明け暮れ、学園内のことはなにも知らなかったに等しい。ラッパッパがマジ女を仕切っていることくらいは知っていたが、その過去はだれも教えてくれなかったし、ブルーローズの伝説を知ったのは入学してからだいぶあとだった。
「なんでこんなに長々と話したかっていうとさ、あんたたちも特訓してるなら、あきらめるなって言いたかったのよ。優子だって最初はまいまいに負けた。最初から強いやつなんて、そうそういないよ……」
「けど……あつ姐は九歳のときにゾクの総長を倒したって……」だるまが言った。
「本当?」めーたんが驚いたような顔をした。「あつ姐がだれだかしらないけど……。あんたたちはあんの? そういうエピソード」
ヲタはだるまと顔を見合わせた。
――ない。
見事なくらい、なにもない。
「ね、そんなのどこにでもある話しじゃないでしょ。あんたたちは平凡な人間なのよ。凡人がなにか成し遂げようとするなら、技術と根性がないとどうにもなんないのよ。優子は実は凡人だった。もちろん、努力したから、特訓したからってだれもが優子みたいにはなれない。でも、なれるかもしれない。そんなこと、やってみなきゃわかんないでしょ。だから、とりあえず、がんばってみなよ」
そしてノンティは、ぽんと、ヲタの方を叩いた。
「は、はい……」
「ちゃんとがんばったかどうか、確認しに行くからね。卒業式の日に」
「え?」――なぜ卒業式の日に……? ヲタは意味がわからなかった。
「あたしたちさ、今でも毎年行ってんのよ。マジ女の卒業式」めーたんが答えた。
「え、え……え?」
「昔着てた制服着てね」シンディが笑う。「そろそろキツくなってきたけど」
「そろそろ? とっくじゃない」
「めーたんに言われたくないなぁ」
「マジ女の卒業式って真面目に出る子少ないし、父兄もまず来ないし、入るときにチェックもされないし……。いつまで潜り込んでもバレないかって思ってさ」ノンティは豪快に笑った。「それで毎年泣いちゃうんだよねぇ。この歳になると涙もろくなってねぇ……」
「ねぇ、そろそろ行こう」めーたんがノンティを急かした。「あたし、早く寝ないと今日、同伴入ってるから」
「わかったよ。さーせん、おしゃべりで」ノンティは頭だけを鳥みたいに動かした。
「それじゃあね、後輩っ」シンディがふざけた敬礼をした。
「ありがとうございましたっ」ヲタは直立して、頭を下げた。だるまも倣った。
三人は拝殿の左手に回った。そうか、あっちにも階段があるのか、とヲタは納得した。
しばらくしてから、先に口を開いたのはだるまだった。「なんやったんや……いまのパイセンたち……」
「いい話してくれたじゃねえか」
「そやけど、重い話もあったで。まあ、あのパイセンが言ってた通り、おまえはなんの才能もないんやから、とにかく努力するしかないやろ」
「そりゃそうだけど……」
「だったら、今日はまだまだ始まったばかりや、階段、あと九往復するで」
「覚えてたのかよ……」
「当たり前や。ほら、行くで……」
だるまに腰を押され、ヲタは渋々階段を下り始めた。けれども、ノンティの話を聞いた今、ヲタはさっきよりは少しだがやる気が増しているような気がした。
たしかに、今日はまだ始まったばかりだった。
【つづく】
・某テレビドラマのパロディ小説です。パロ嫌いな人は読まないでね。
・あとから矛盾とか出てきたらこっそり書き直します。
・著者の上戸に格闘技経験はないので、おかしな箇所があったらこっそり教えてください。こっそり書き直します。
・わかる人にだけわかると思いますが、『覚悟のススメ』リスペクトしてます。