さて、狂乱の一日が過ぎ、ちょっと冷静になれた。
スポーツ新聞は4誌手に入れた。それぞれの新聞社の芸能担当に、ヲタがいるかいないかがわかって面白い。記事は小さかったが、内田眞由美の写真がもっとも大きく載っていたデイリースポーツが良かった。報知が二面も使って特集していたのには驚き。
内田眞由美が勝った瞬間のことを思い返すと、今でも涙が出るくらい嬉しいが、それはそれとして、あのイベントそのものに関して思ったことを書いておく。
南海キャンデイーズの山里亮太が登場したとき、武道館ではブーイングが起きた。
おれは、同じヲタとして恥ずかしかったよ。
彼は仕事で来ている。運営が、ジャッジをするのに相応しいと考えたからだろう。それをブーイングで迎えるとは何事か。
彼は芸能界で、もっともヲタに近いポジションにいる(もしくは、そう認識されている)。だから、ブーイングをした連中は彼に嫉妬しているのだろう。みっともない。じゃんけんをする前にメンバーの拳を合わせる際、誘導するために手首をつかんだ山里にもブーイングが浴びせられた。みっともない。「おれが触れることができないのに、なんであんなキモい奴が!!!」とでも思っているのか? みっともない。
もっとも近い位置で勝敗の行方を見守る彼は孤独だっただろう。観客席で感情を露わに、ああでもないこうでもないと語れるおれよりも辛かったと思う。ひとつひとつの勝負を語りたくてうずうずしていたのではないか。けれども彼は仕事に徹し、淡々とジャッジを務めた。
以前の話だが、山里が「関係者」として劇場公演を見ていたことに関して批判されるのは仕方なかったと思う。大きなコンサートならともかく、小さな小屋で貴重な一席を苦労なく手に入れるのはよくない。「そういうの、いくない」。けど、彼は反省してラジオでも詫びを入れていた。少し浮かれる程度のことはだれにでもある。
「特等席」には「特等席」ならではの苦悩があるのだ。
それから、進行について。
ルール説明の時点では、勝負の前にマイクパフォーマンスがあるような感じだったが、実際にはなにもなかった。もしやっていたら、とてもあの時間で収まらなかっただろうから、なくて正解だとは思う。でも、せっかく大舞台に立っているメンバーの声を聞けなかったのは残念だ。選抜上位組は勝負のあとに、ちょっとしたインタビューみたいなのがあったけど、やるのなら全員にするべき。
少しだけ気になったのは、その選抜上位組の余裕感。だれとは言わないが、負けてヘラヘラしているメンバーがいた。これは対戦相手に失礼だろう。100%運で決まると言っても、ここしかチャンスのないメンバーはたくさんいる。彼女たちにとっては生きるか死ぬかの修羅場なのだ。負けて笑っているメンバーは「どうせ私は次の選抜に選ばれるし」とでも思っていたのだろうか。そんな気持ちでいたら、脚をすくわれるよ。
一方、これは好意的に解釈することもできる。「私に勝ったんだからがんばってね。このチャンスを生かして上っていきなさい」と。あるいは『カイジ』の限定じゃんけんで序盤に負けた参加者が照れて笑ってしまうといった感じかもしれない(なんだ、そのたとえ)。どう解釈するかは個人の自由なので、これ以上言及はしない。
あと、イベントそのものとは関係ないが、新曲のPVが残酷描写満載の点について。
おれは予てから、残酷描写の規制には反対してきたし(でも個人的には好きではない)、アイドルのPVであえてああいうことをしたいのはわからないでもない。
でも「どこかで見た感」がありすぎるし(さすがは『告白』でコカ・コーラのCMをパクリまくった中島哲也だw)、テレビや街角で不意にあれを見せられるのは勘弁してほしい。
残酷描写のある作品は、それを見たいと思う人が見る分にはなんの問題もない。だが、見たくないと思う人もたくさんいるのだ。ああいう表現をする人はその一線を越えてはいけない。おれが残酷描写のある作品(ポルノも含む)を規制してもいいと思う唯一のラインはそこだ。見たくない人が見ずにすむゾーニングはきっちりするべき。
AKBのPVはテレビでも街角でも流されるだろう。そのとき、あんなものを不意に見せられるのは精神的苦痛である。これは残酷描写が大好きな人たちにとってもよくないと思う。こういうものをきっかけに規制が強まっていく可能性があるからだ。
個人的には、無機質なアイドルが好きではないので(だから音楽的にすばらしくても、おれはPerfumeにハマらないのか)、このPVは嫌い。
とはいえ、イベント自体はとても楽しいものだった。おれにとって、このじゃんけん大会は、水島新司の『大甲子園』である。
水島作品の別々のキャラクターが一同に介し、戦う。ちがう世界にいたキャラクターがツーショットになるだけでもアガるのだ。
AKBという世界には、またいくつもの世界がある。それらはときどきは交わるが、大抵は同じ顔ぶればかりだ。けど、じゃんけん大会はその世界の垣根を取っ払い、ごちゃまぜにした。普段はありえないツーショットの数々を見られるだけでも、この大会の意義がある。
じゃんけん選抜がまた開催されるかはわからないけど、第二回目があればぜひとも生で見てみたい。