今日は仕事が早く終わったので、前に住んでいた家の近くの図書館に寄り道をしてみました。
最後に行ってから、もう五年は経っていると思うのですが、全然変わっていなくて、いろんなことを思い出しました。
この図書館に通っていたころは、土曜日になると午前中から二時間ほどかけて本を選び、近くのマクドナルドで食事をしながら借りてきた本を読む、というのが生活のパターンでした。競馬はもちろんやっておらず、ただひたすらに、狂ったように本ばかり読んでいました。このころが人生の中で、もっともたくさん本を読んでいたと思います。それでも高々、年間100冊程度で、こんなものでは読書人とはいえないのですが……。
そのころ主に読んでいたのは小説。ミステリが好きなぼくは、お気に入りの作家の本が新刊コーナーに置いてあると、それだけで幸せを感じたものです。
だけどいまは、あまり小説を読みたいと思わなくなってきました。
昔から「感動」というキーワードで括られるなものは絶対に手を出さなかったのですが、最近ではミステリにもこのキーワードが冠されるようになってきて、憤慨しています。好きだった作家の本に、某女優が推薦文を書いた帯が巻かれているのを見たときはすごい衝撃で、試しにそれを読んでみたら想像通りの「感動」本だったので、その作家の本は二度と読まなくなりました。そして、そんな自分に呆れたりしています。
最後に行ってから、もう五年は経っていると思うのですが、全然変わっていなくて、いろんなことを思い出しました。
この図書館に通っていたころは、土曜日になると午前中から二時間ほどかけて本を選び、近くのマクドナルドで食事をしながら借りてきた本を読む、というのが生活のパターンでした。競馬はもちろんやっておらず、ただひたすらに、狂ったように本ばかり読んでいました。このころが人生の中で、もっともたくさん本を読んでいたと思います。それでも高々、年間100冊程度で、こんなものでは読書人とはいえないのですが……。
そのころ主に読んでいたのは小説。ミステリが好きなぼくは、お気に入りの作家の本が新刊コーナーに置いてあると、それだけで幸せを感じたものです。
だけどいまは、あまり小説を読みたいと思わなくなってきました。
昔から「感動」というキーワードで括られるなものは絶対に手を出さなかったのですが、最近ではミステリにもこのキーワードが冠されるようになってきて、憤慨しています。好きだった作家の本に、某女優が推薦文を書いた帯が巻かれているのを見たときはすごい衝撃で、試しにそれを読んでみたら想像通りの「感動」本だったので、その作家の本は二度と読まなくなりました。そして、そんな自分に呆れたりしています。