ティム・バートンの映画は久しぶり。特に好きな監督でもないけど、なんとなく気になったので見に行きました。
ぼくはミュージカルは嫌いで、どう見てもマヌケな感じに見えてしまう。この映画も冒頭から歌いっぱなしで、それにはやや辟易。やっぱり、おれには合わないな、こういうの。
ところがそれが気にならなくなったあたりから、ストーリーが激しく展開していく。なんだ、これは。想像以上に面白いではないか。
歌を歌いながら客の喉を切り裂くという(あくまで表現方法としての歌であることは承知の上だ)、いかにもティム・バートン的な残酷美は、機械的な作業としての殺人行為をユーモラスにさえ見せていく。ここには恐怖とユーモアがある。
舞台装置にもキャラクターにも、一切の無駄がない。すべてのキャラクターの足場がたしかだから、ストーリー展開も理論的だ。こうなるしかない、と納得させられてしまう。
特に圧巻なのはクライマックス。娘がやってきたことを知らずに復讐を遂げる主人公と、そこに出入りする人たちのタイミングの妙だ。これ、すごくうまいなあ。『バトル・ロワイアル』の灯台のシーンのようで、怖くて怖くてどきどきしてしまう。
伏線の張り方もうまく、ミステリ的な要素まで盛り込んであるのは期待以上の面白さだった。
朝、『電王』みたいな消化不良の作品を見ていただけに、より「ちゃんとしている」感があった。こういうもの同士を比較するのはまちがっているけど、ぼくは自身の流れでしかモノを見られないので、この二つの作品はワンセットで語りたくなってしまう。
それにしても、15歳未満というだけでこの映画を見られないとはなんたる理不尽だろう。最近、ちょっと血が出るとR-15になってしまうのはおかしいでしょう。そのうち、子供が見られるのはディズニーとケータイ映画だけになっちまうんじゃないか?
大人が子供の見るものを選別するなんて傲慢じゃないのか? 子供のいないぼくが言っても説得力ないけどね。
ぼくはミュージカルは嫌いで、どう見てもマヌケな感じに見えてしまう。この映画も冒頭から歌いっぱなしで、それにはやや辟易。やっぱり、おれには合わないな、こういうの。
ところがそれが気にならなくなったあたりから、ストーリーが激しく展開していく。なんだ、これは。想像以上に面白いではないか。
歌を歌いながら客の喉を切り裂くという(あくまで表現方法としての歌であることは承知の上だ)、いかにもティム・バートン的な残酷美は、機械的な作業としての殺人行為をユーモラスにさえ見せていく。ここには恐怖とユーモアがある。
舞台装置にもキャラクターにも、一切の無駄がない。すべてのキャラクターの足場がたしかだから、ストーリー展開も理論的だ。こうなるしかない、と納得させられてしまう。
特に圧巻なのはクライマックス。娘がやってきたことを知らずに復讐を遂げる主人公と、そこに出入りする人たちのタイミングの妙だ。これ、すごくうまいなあ。『バトル・ロワイアル』の灯台のシーンのようで、怖くて怖くてどきどきしてしまう。
伏線の張り方もうまく、ミステリ的な要素まで盛り込んであるのは期待以上の面白さだった。
朝、『電王』みたいな消化不良の作品を見ていただけに、より「ちゃんとしている」感があった。こういうもの同士を比較するのはまちがっているけど、ぼくは自身の流れでしかモノを見られないので、この二つの作品はワンセットで語りたくなってしまう。
それにしても、15歳未満というだけでこの映画を見られないとはなんたる理不尽だろう。最近、ちょっと血が出るとR-15になってしまうのはおかしいでしょう。そのうち、子供が見られるのはディズニーとケータイ映画だけになっちまうんじゃないか?
大人が子供の見るものを選別するなんて傲慢じゃないのか? 子供のいないぼくが言っても説得力ないけどね。
正直、失敗作だと思う。
去年の『カブト』同様、いくつもの謎がほったらかされたままでお終いというのって、やっぱりダメだよなぁ。小林靖子にしては珍しい失態ではないだろうか? 白鳥が途中でいなくなったことはあんまり関係ないと思う。彼女がああなったのは大分前のことだし。修正する時間はいくらでもあった。
なにより、ぼくは「実は生きていた」パターンが嫌いなのだ。
みんな揃って最終回、というのがやりたいなら、なんでウラとキンをあんなふうに描いたのか。ネットの実況スレとか見てみたけど、「ラストでみんな揃ってよかったです」という人は前回、前々回をどう処理できるんだろう? ずっと前から思っていたけど、物語の全体を見るのではなくシーンそのものだけに反応する人って多いよね(だれに言ってるの?)。彼らにとっては全体として破綻しかねない場面でも、それが「別れ」とか「生き死に」とか「愛」を描いていれば前後の文脈など関係なく「泣ける」んだろうなぁ。はっきり言って、こういう人がたくさんいることがドラマや映画をどんどんダメにしていくと思う。
100%のものを求めるつもりはないけど、小林靖子はいつも90%以上のアベレージを叩きだしてきていただけに、『電王』は残念でならない。
去年の『カブト』同様、いくつもの謎がほったらかされたままでお終いというのって、やっぱりダメだよなぁ。小林靖子にしては珍しい失態ではないだろうか? 白鳥が途中でいなくなったことはあんまり関係ないと思う。彼女がああなったのは大分前のことだし。修正する時間はいくらでもあった。
なにより、ぼくは「実は生きていた」パターンが嫌いなのだ。
みんな揃って最終回、というのがやりたいなら、なんでウラとキンをあんなふうに描いたのか。ネットの実況スレとか見てみたけど、「ラストでみんな揃ってよかったです」という人は前回、前々回をどう処理できるんだろう? ずっと前から思っていたけど、物語の全体を見るのではなくシーンそのものだけに反応する人って多いよね(だれに言ってるの?)。彼らにとっては全体として破綻しかねない場面でも、それが「別れ」とか「生き死に」とか「愛」を描いていれば前後の文脈など関係なく「泣ける」んだろうなぁ。はっきり言って、こういう人がたくさんいることがドラマや映画をどんどんダメにしていくと思う。
100%のものを求めるつもりはないけど、小林靖子はいつも90%以上のアベレージを叩きだしてきていただけに、『電王』は残念でならない。